きらきら光るガラスみたいなマリネを添えたババロア 〈菓子四季録 vol.10〉
9種の柑橘でデザートを作ったらグラデーションが美しすぎて、小学2年生の頃の記憶まで蘇ってしまった。「色」に興味を持つことになった原体験の記憶。そんな美しいデザートのことを綴りたい。
3月の菓子四季録のメニューは柑橘のマリネとババロアにしよう、と本マガジンのレシピ担当である淳子先生が言った時、わたしはこの季節の柑橘たちに対して特別な印象は抱いておらず、頭に思い浮かぶのは「みかんの仲間がたくさんいる季節だなぁ」という漠然としたイメージだった。でも、春の気配がしつつもまだ少し肌寒いこの季節、店頭には様々な柑橘が並ぶのだ。
(例外としてわたしは「はるか」という柑橘が大好きなので、それが食べられる季節だということは嬉しく思っていて、毎年ふるさと納税で段ボール入りのはるかを注文し、満喫している。はるかについては語ると長くなるので、また別の記事で紹介したい。)
そんなわたしだが、note記事のための撮影日でありメニューとの初対面でもある実食の日、このデザートを前にしてわくわくする気持ちが止まらなくなった。柑橘たちが、あまりにも輝いていた。
当日、淳子先生が用意していた柑橘は9種類。清見オレンジ/甘夏/サンフルーツ/不知火/はるひ/ポンカン/伊予柑/はるか/金柑。
外見が似ているメンバーもいれば、全く異なるメンバーもいる。手のひらよりも大きい甘夏とサンフルーツは、黄色のなかでも温かみのある山吹色。はるひの色はこのふたつに近いけれど、さらに明るい色をしていて、そして表面がつるつるしている。はるかはレモンのような黄色で、9種類の中で一番赤みが薄い。そのほかのメンバーはいわゆるスタンダードなオレンジ色、温州みかんのような色をしている。
先生の手で、するするさくさくと剥かれていく柑橘たち。わたしが同じ作業をしたら倍以上の時間がかかりそうだ。外皮と薄皮から果肉が次々に取り出され、ガラスの器に盛られていく。わたしはカメラを構えながら、この場面に釘付けになった。
光に照らされた果肉の一粒一粒が、まるでビーズのようだった。
きらきらと光を反射するビーズたち。果肉がそれぞれ違う色をしていて、明るく薄い色をした黄色もいれば、見るからに味が濃そうな鮮やかな橙色もいる。例えばわたしが大好きなはるかは、クリーム色に近いくらい薄い、儚くてやわらかい黄色。不知火はパッと目に飛び込んでくるような濃い橙色だ。
それぞれがガラスの器に盛られた姿を見て、わたしは、小学生の時に初めてガラスビーズを買いに行った日のことを思い出した。小学館の雑誌『小学2年生』でビーズのリングの作り方の特集ページがあり、それを実際に作るために、母にビーズを買いに連れて行ってもらったのだ。祖母の家の近くのデパートだった。手芸店でビーズが並ぶケースを見た瞬間、衝撃を受けた。青には様々な種類の青があり、紫にはいくつもの種類の紫があった。もちろん、他の色たちにも。なんて綺麗なんだろう。世界には同じ名前なのに違う色があることを知った。
その日は確か、パステルカラーのパンジーみたいに薄い紫色と菖蒲みたいな濃い紫色をしたダイヤ型のビーズと、空みたいな淡い水色の小さな粒状のビーズを買って帰ったと思う。どきどきしながら色を選んだことを思い出した。
光を浴びた柑橘を見て、ずっと奥底に眠っていたこんな記憶が蘇るとは予想外だった。わたしは無花果のゼリーの菓子四季録でも色についての話を書かせてもらったくらい色というものが好きなのだが、原体験のひとつがここに存在している気がした。
さて柑橘に話を戻すと、ひとくくりに「3月に集まった柑橘」と言っても、記憶がフラッシュバックするくらいいくつもの色があったのだ。3月に対してわたしがなんとなく抱いていた、この季節ってインパクトがある果物の種類が少ない時期だよなぁというイメージ、それは全くの間違いだった。橙色の果物たち。そこには数えきれない種類があり、個性があり、美しいグラデーションが存在するのだった。
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マリネを作る工程ではそれから、皮と種を取り除いた柑橘たちをレモン汁とコアントロー(リキュールの一種)であえる。先ほどまで整然とガラスの器に盛られていた柑橘たちが、ボウルでひとつの、オレンジ色の海になった。混ざり合う果肉たち。でも全ての色は、混ざって均一になるのではなくそれぞれの色を有しながら重なって、なんだか透明水彩絵具を重ねた時の色みたいだった。きらきら光るオレンジの海には、奥行きがあった。
完成したマリネは、ババロアと一緒に皿に盛り付けられた。光を浴びてきらきらする柑橘の果実はガラスのようで、一方のババロアは光を通さずにやわらかい色を発する陶器みたいだった。透明と不透明。組み合わさって、一層美しい。曲線の形をしたガラスの器(これは本物のガラス)にのせられて、果実とババロアは、少し春めいてきた3月の陽の光を浴びていた。
マリネのボウルに残ったスープを、ババロアにかける。コアントローと柑橘の果汁が混ざったスープは、うっすらと色づいていた。これ以上ないくらいたっぷりと水を含ませた筆に、ほんのわずかな絵の具をつけて、紙にのせたときみたいな色だった。
そして、実食の時間がやってきた。お皿に盛られている姿をずっと眺めていたいような気持ちを抑え、まずはババロアにスプーンを入れる。もっちりぷるんと揺れる姿が愛らしい。口に運ぶと、王道のフランス菓子らしい甘さ。濃厚でまったり。だけどエアリー。ふわふわもこもこしすぎず、なめらかな舌触りと絶妙な重みがある。この食感は淳子先生こだわりの食感で、生クリームを泡立てすぎていないからこそ実現されるという。
次に、柑橘のマリネと一緒にババロアを口に運ぶ。びっくりした。なぜかというと、先ほどまではわからなかったババロアの一面が見えたからだ。濃厚でまろやかで甘い、と感じていたババロアは実は、柑橘の酸っぱさに負けない強さを持っていた。
マリネは柑橘の果肉と果汁、洋酒でできているため、かなりくっきりした味わいであり、レモン果汁も入っているのでぎゅーんとする酸っぱさもある。簡単にいうと強い。けれど、ババロアはこの強さに圧されてはいないのだった。バニラとブランデーがしっかり効いているのも大きい。
甘いと酸っぱいの両方を併せ持つデザートに、ついついスプーンが進んだ。そしてなんと、今回のマリネは9種類の柑橘でできている。そう、マリネの中にも味わいの違いが存在するのだ。いまの一口と、次の一口は、同じマリネと言っても果実の種類が違う。そうすると、食感も酸っぱさも全く違う。甘夏はぱきゅーんと酸っぱく、金柑はほろ苦い。口当たりとぷちぷち感もそれぞれ違う。同じ柑橘というジャンルでも、味わいが全く異なる。なんて面白いんだ。飽きなさがすごい。
一方のババロアは、どの果実に対してもおおらかに、でもしっかりと、強さで強さを受け止める。個性を提供し合い、違いを受け入れながら、新しい形をつくること。食材のマリアージュという言葉がぴったりだった。夢中になって完食した。
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記事を書くために記憶を辿っている間もうっとりするくらい、美しいデザートだった。柑橘たちの個性とグラデーションが、とんでもなく輝いていた。このデザートを食べて、新たな色の世界に出会うことができた。
無花果のゼリーの菓子四季録でも、食べものの見た目を愛でる楽しさは感じていて、ゼリーの色を観察するのは面白かった。けれど今回のように複数の種類の食べものを同時に観察することも、また別の面白さがあった。別のものと比較するという行為が見せてくれる世界がある。それは柑橘同士の色や味を比較したこともそうだし、マリネとババロアを比較したこともそうだった。食べものの楽しみ方には、まだまだ知らないことがたくさんある。これだから食べものと向き合うことはやめられない。
きらきら光る橙色のガラスビーズの虜になり、わたしは早春という季節が大好きになった。
柑橘のマリネを添えたババロア
早春、店頭に並ぶ様々な柑橘たち。鮮やかな果実をいくつか家に連れて帰って、マリネにするのはいかがでしょう。薄皮を剥くのはちょっと難しく感じるかもしれませんが、剥いているうちにすぐ慣れるので大丈夫です(実体験)。ババロアと柑橘の組み合わせ。柑橘の種類が多いこの季節を逃さず、ぜひお試しを。
材料
作り方
作り方(全文)
菓子研究家 福田淳子先生のレシピ解説はこちらです。レシピのこだわりや、作り方や材料のポイントが掲載されています。ババロアは一見シンプルなお菓子ですが、上手に作って美しく盛り付けるには小さなコツがたくさんあります。ぜひ記事でチェックしてみてください。あなたもババロアマスターになれるはず。
また、わたしも参加させていただいた「2024冬 国産柑橘食べ比べの会」のレポートもこちらの記事からどうぞ。9種の食べ比べは、それぞれの味を知ることだけでなく、食べものという領域を超えた気づきにつながったようです。「比べること」について書かれた記事の最後に注目してみてくださいね。
マリネとババロアの菓子四季録、おしまい。
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