「断る力」がないことの弊害と考察とこれからの自分
私は今までしたくないことを断る時、何か状況のせいにして「したいけどできないんだ」と言い、自分の意志であることは相手に伝えられず、相手に本当の気持ちを伝えることから逃げてきた。
それを続けていると、自分が本当はどう思っているのかわからなくなる。自分の気持ちを偽っていることにも気づかず、本当はどうしたいかもよくわからなくなり、ただただ目の前の人が気を害さないように・・・いやそれなら相手に配慮しているだけまだマシ。本当は自分が悪い人だと思われないように、苦し紛れに断ってきた。
多大なエネルギーを使う。断るということに。
「わたしはしたいけどできない」と「わたしはしたくない」
断っていることは同じでも、自分に嘘をついているかついていないかで、両者は大違いだと思う。
悪い人(ここで言うのはテイカー。利用しようとする人)につけ入られるのは、私のように、ものをはっきり言えないタイプだ。彼らは効率よくテイクできる獲物を狙っている。
いろいろな環境に一定数いる悪い人(テイカー)は、私の過敏なアンテナが「危険だよ!気をつけて!」と言っているのに、なぜかよく近くにいて、なぜか離れられない。悪い人(テイカー)は静かに近づき耳障りの良い言葉をかけてくる。金銭・労力・人脈・知恵、何か利用できるものはないかと探りを入れてくる。私はそれを痛いほど感じながらも、悪い人(テイカー)に合わせた笑顔、当たり障りのない言葉でその場を取り繕う。
意を決してはっきり断ったとき、悪い人(テイカー)は機嫌を損ね、時にはトラブルに発展する。(テイカーからしたらあなたそんなキャラじゃないでしょ!?という感じか)
こうして、はっきり断ることで相手に悪く思われるという経験を積み、「断る力」がさらに削がれてしまってきたようにも思う。
今ここで文章にしてみたら、こんな自分は反吐が出るほどなりたくない人間像。
そして、それを何度も繰り返していることに気付いていなかった自分の学習能力のなさ。
もしかしたら、私はテイカーと関わってきたからそういう経験をしたけれど、そうじゃない大多数の人に対しはっきり断っても、こんな苦い経験はしないのではないか。そう考えた。
起業をはじめた今、断ることが必要な場面がやってくる。
断らなければならない方々、意見しなければならない方々へ、相手に敬意を持って、しっかり自分の気持ちを伝えようと決心した。(5月25日)
今までの自分と違う動きをするのはかなりのエネルギーがいるが、それが私に必要な力であると思っている。
(※『GIVE&TAKE 「与える人」 こそ成功する時代』のテイカーという言葉を借りました)
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