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その「好き」や「自分らしさ」ってホンモノ?

私は普段からメイクをしないで過ごしている。   

メイクをしていた時期もあったけど、
年齢を重ねるにつれしなくなっていった。
(フツーは逆だと思うが)

メイクをしない人が好きだし、
メイクをしない自分が自分らしい
と思っていた。

でも、心のどこかで
何もせずに外に出かけることに対して
「これでホントにいいのか?」と
疑問に思う自分がいたり、

キレイにメイクをしている人を見て
メイクをしない自分はダメなんじゃないか
と自分を卑下することもあった。

私って本当はどうありたいの??

本当の自分の気持ちがわからない…


そんなとき、
自分の過去の記憶を辿ってみる。
すると、答えが見えてくる



私がメイクに一番ハマったのは高校生の頃。

単純に可愛くなりたかった。
周りから可愛いと認められたかった。
だけど、その願いは叶うことなく、
「可愛い」と褒められるのは
いつも私以外の友達だった。

あ~私はメイクしたって可愛くなれない。
結局、元から可愛い子には敵わないんだ!
もう努力するのバカバカしいわ!

↑こんな風に思って、
可愛くなる努力をやめた。諦めた。


努力をやめて、
『ナチュラルメイク』という名の
最小限メイクに徹した。

そこから次第に、
エコな暮らしに興味を持ち始め
自然体でいること=メイクしないこと
という解釈をして
今の私ができあがったのだった。

※決してメイクをしない人を批判しているわけではなく、
「心からメイクをしない自分が好き」でメイクをしないのと、
「可愛くなれないから諦めた」でメイクをしないのとでは、同じ行動でも意味合いが全く異なる、ということを言いたいです。


私が「メイクをしないこと」を選択するきっかけは、何だったのか。

ここが重要。

さっきの流れだと、過去に「周りから認められなくて、可愛くなる努力を諦めた」私がいた。
→つまり、根底には「もっと可愛いと認めてもらいたかった!可愛くなりたかった!」という思いをもった私が存在したということ。

今まで「メイクしない自分って自分らしくて好き」と、あたかもポジティブな感じを醸し出していたけど、

実は、心の奥底に「可愛くなりたかったけど、周りから認められなくて悲しんでいる自分」が潜んでいたのだ。

「メイクしないこと」を好きで選んできたと思っていたけど、
本当はもっと可愛くなりたかったんだ。
「エコで自然体な私」という、いかにもな理由を付けて、メイクしない自分を正当化してきたんだなぁ。

そんなことに気がついた。



そして、過去の自分に言ってあげたいことがある。

「周りから可愛いと認められない」って言うけど、可愛くなるのは誰のため?
自分のために可愛くありなよ。
周りから認められることを目的にしたらキリがないよ。
自分で自分を認められるようになりなよ!

って。

また、一見間違った選択に思えるようなことも、必ずそれを選ぶメリットが存在する。

私の場合、「可愛くなる努力を諦める」という選択をしたことで、

・メイクにかけるお金や時間を節約できた
・努力が報われない、という経験をしないで済んだ


こんなメリットが隠れていた。

振り返ると、こんな風に失敗のない、楽で傷つかない方へ人生を選んできたことっていっぱいあったなぁと思う。

でも、今それに気づけた。
ここからは、諦めから来る選択はやめて、本当に自分が望む道を選んでいく。

その選択は、本当に自分が望んだこと?
その「好き」は、心から好きなこと?


外側に向けていた矢印を
全部自分に向けるんだ。

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