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大学生活を振り返って

みなさん!こんにちは!
夜に見てるかたは、こんばんは!
朝に見てるかたは、おはようございます!
と、言っているとキリがありませんね(笑)

気づけばもう12/31の大晦日。
大学生活の振り返りをしていこうかと思います。

〜長いようで短い大学生活〜

このnoteを投稿しているさわという人間は、大学4年生で2024年3月に卒業する。だから、2023年は、自分にとって大きく前進し、節目となる年となる。ここで、大学生活の振り返りでもしてみようか。

大学1年生

 私の大学生活が始まろうとするとき、世間的にもビッグニュースで話題になっていた。そう。コロナだ。コロナのせいでもちろん、入学式中止。新歓、部活動説明会などはなくなった。さらに、対面授業ではなく、オンライン授業となった。みんなが期待し、想像していたキャンパスライフは奪われ、気づいたらヌルッと大学生活がスタートしていた。履修登録もわからないし、友達なんてできるのか、そんな不安ばかりで心のなかはいっぱいだった。オンライン授業は、個人的には好都合で効率的な手段のひとつだった。というのも、片道約1時間半かかる大学だったから、通学時間がなく、交通費が浮くというメリットがあった。だから、友達ができるかどうかというよりも、そのときから、無理して友達を作ろうとしていなかった気がする。

 もともと、いま通っている大学は第一志望ではなく、滑り止めで受けたところだ。センター試験最後の年に受験をし、第一志望の国立大学には出願すらできない。そんな状況に陥っていたのだ。だから、その滑り止めの大学入学当時からワクワクもしてないし、むしろ誰とも仲良くなれないだろうと、ほとんど負の感情だっただろう。

 でも、そんな自分が叶えたい夢があった。中学校英語教師になる!という夢だ。少なくとも、大学入学したからには、教員免許を取得し、教員採用試験に合格する!これだけは、頑張ろうと意気込んでいた。だから、色々なことに挑戦し、他の大学生よりも充実した大学生活を送る!そんなふうに思っていた。卒業したときには、他の大学生よりも胸を張って良かった!と思える大学生活を送る。また、卒業後に振り返りたい。

・楽しすぎる個別指導のバイト

 大学だけでは、まぁ他の大学生と同じで面白みがないと感じた当時の自分は、まずはアルバイトをしよう!と考え、塾の個別指導のアルバイトを志望した。たしか、ゴールデンウィーク後にはもう働き始めていたと思う。

 このバイトが本当に楽しい。というのも、現役の小学生、中学生、高校生と話もできるし、勉強を教えることができる。教師志望の私にはとても最高な環境だったのだ。SNSを見ていると、「バイトつらい」とか「バイト辞めたい」という検索ワードが流れてくることもフツーにある。でも、今もずっと個別指導を続けているが、そんなふうに思ったことは一度もない気がする。←断言すると怖いから保険をかけておく(笑)それくらい最高の環境に身を置くことができたこと。とても感謝している。

 やっぱり、生徒から学べることも多いし、何よりも自分自身が成長するきっかけがこの個別指導のバイトであったことが多い。だから、このアルバイトをすると決断した自分はさすがだと思う。

・資格の意義とか、持つ意味って?

 私はただでさえ、学歴はそんなに良くはないので、資格で差別化を図ろうとした。その結果、いろいろと受けてみた。漢字検定2級、秘書検定2級、TOEICなどと。勉強するなかで、知識が深まり、学ぶことって楽しいなって思う反面、これらの知識が実際に使えることはあるのだろうか?と、ふと思うことも多々あった。資格って持っているだけでその技能を使えなかったら意味なくないか?と思ったのもそのあたりかもしれない。そこから、資格という肩書きで自分という存在を強く見せようとすることは、やめた気がする。資格は使えてなんぼではないかと。もちろん、ないよりはあったほうがいいという意見は重々承知のうえでだ。だから、興味があったらその資格を取ろうと飛び込んでみた。資格が役立つかどうかよりも、自分がワクワクするか、好奇心の赴くままに、流れに任せてみたのだ。

大学2年生

 この年も大学1年のときとほぼ同じ感じだ。オンライン授業を受け、単位をしっかり取る。そんな毎日が続いていた。授業では顔見知りの人もちらほらと出てきた。が、オンライン上なのでご飯に行こう!と仲良くなるまでの関係には至らない。そんな関係なら、下手に仲良くなるよりも顔見知りのままのほうがラクだと感じていた気がする。

 入学当時から、大学には微塵も期待していない。大学に入学したからといって何かが降ってくるわけでもない。自分から行動しなければ何も得られないと当時から感じていた。だから、大学信者にはなりたくないし、なりたくもなかった。そんな精神がいまの自分を形成していると思う。

・新たに始めたラーメン屋のバイト

 おいおい、教師を目指す大学生がなぜ飲食店の、しかも忙しそうなラーメン屋のバイトを?って思っただろう。私もいま思えば、なぜラーメン屋なのかわかっていない(笑)たしか、個別指導のアルバイトだと、そこまで授業を任せられることが少ないため、稼げなかったからという理由だろう。あとは、家からシンプルに近くて通いやすかったから。そんなところだ。

 今はもうこのバイトを続けてはいないが、やって良かったと感じている。なぜなら、色んな人間を見ることができたからだ。飲食店では、子どもから年配の方まで年齢層は様々だ。なかには、ヤンキーと呼ばれる見た目が怖そうなお客さんも来たのを覚えている。いまでも覚えているのが、オーダーを取りに行ったらいきなり「おい、ぶち◯すぞ!」と暴言を吐かれる。そんな客にも出会った。めちゃくちゃ怖い思いをしたと同時に、店員にこんな言葉しか吐けない底辺な人間がいることも知った。自分は、小さい頃から恵まれていて、割と平和で穏やかな環境で育った。だから、クラスの隅でひっそりと暮らす平凡な人間だ。だから、荒れた同級生には関わりたくないと内心感じていたのだ。だから、当時のそんな客を見たとき、哀れだなぁとも思った。

 こんな話題だから、このバイトは良くなかったのではないかと思われがちだがそうでもない。なかには、「忙しいのにありがとうね」とか、「このラーメン美味しいわね」とか感謝を伝えられる場面も多かった。同じ人間なのに、なんでこんなに投げかける言葉が違うのだろうかとつくづく思った。あとは、体力的な面でも成長できたし、言葉遣いとかマナー、洞察力も鍛えれた。なんといっても、大きな声を普通に出せるようになったことはかなり活きている。やってよかったなぁと思うラーメン屋のバイト。ありがとう。

・密かにハマっていたLIVE配信

 コロナ禍に入り、スマホを使う時間がかなり増えたように感じる。大学1年の頃から、私はLINELIVEという配信アプリで配信者のLIVEを見ることにハマっていた。雑談で視聴者を楽しませる配信者もいれば、弾き語りで視聴者と音を共有する配信者もいる。なかには、企画を自分で計画し視聴者と一緒に楽しむ配信者といて、見ていて楽しかった。配信者は私と同じ大学生もいれば、高校生くらいの人もいる。2、30代の人もいるし、年齢は様々だ。そんな人たちと配信者を共有し、コメントでわちゃわちゃするのは毎日の楽しみでもあった。つまらない、退屈な日々を変えてくれた配信アプリはすごいと思う。

 大学2年の秋頃だろうか。ここでまた、私の良いところでもあり、悪いところでもある好奇心、興味本位で視聴者から配信者側になってしまったのだ。視聴者側しか経験していない私は、配信者がどんな苦労をし、どのような大変な思いをしているかわからなかった。しかし、いざ配信してみると、何を話して良いのかわからないし、視聴者をなんて呼ぼうかもわからなかった。それでも、視聴者の方々から色々と教えてもらい、フォロワーが100人を超えたあたりで、自分には向いていないなと思いやめてしまった。自分は視聴者側で配信者を楽しませたり、視聴者とわちゃわちゃするほうが向いてるなと、直感的に感じた。

 でも、この配信アプリで出会った人たちとは、SNSなどを通じて仲良くさせてもらっている。出会いは直接会うだけではなくて、SNSでも良いじゃないか。気が合う人、趣味が合う人、自分が仲良くなりたいなって思える人なら、どんな出逢い方であれ、イイなって思えた。

・好奇心だけで始めたInstagram発信

 こんな自分だが、一応Instagramで発信をしていた。フォロワーは650人くらいまで伸びたが、もうほぼ動かしていないので減少する一方だ。興味のある人は、noteのプロフィール欄のリンクから覗いてみてほしい。もしくは下からどうぞ。

 もともと、日常で起きた出来事をただ投稿していた。スマホのノーマルカメラで1枚写真を撮って、投稿に文章を綴り、ハッシュタグをつける。それだけだ。なんの面白みもない(笑)でも、続けることに意味があると思い、約半年間は不定期であったが投稿を続けた。フォロワー0から始まったこのアカウントも気づけば200人くらいまで増えて、色々な方々の目に届くようになっていた。“継続は力なり”という言葉を実感した瞬間でもあった。なによりも、無名の大学生でもこんなことができるんだと驚きが大きかった。

 Instagramの投稿をみた方は、ふと思っただろう。その割には、文字入りで凝った投稿が多いなぁと。これは、とあるインスタグラマーのかたからDMをいただき、「さわさんの文字入り投稿楽しみにしています!」というひとことから始まった。デザインの知識は皆無の私が1から作ってみよう!と思ったのだ。Instagramで活躍している人はどんなふうに投稿を作り、見てくれる人のことをどんな風に考えているのか気になったのだ。もう投稿作りは滞っているが、また作るときには色々試行錯誤してみたい。あのとき、声をかけてくれたAさんには、良いきっかけを与えてくれてありがとうと伝えたいし、感謝の気持ちでいっぱいだ。

 そしてある日、とある転機が起きた。こうやって発信を続けているとDM(ダイレクトメール)に色んな人からメッセージが届く。そのなかで、インカレへの加入に誘われた。内容は、色んな大学の人が集まり、zoom上で雑談っぽく、議論っぽく?話し合う的な感じだ。他大学の人と交流できる!新たな環境に飛び込める!そう思って、そのインカレに参加することになったのだ。

・世界の広さを思い知ったインカレ

 私は、このインカレに参加し、zoomで議論を交わした。参加者は同じ同級生なのにも関わらず、すごい人ばっかりだった。コミュニティを立ち上げ、管理している人。読書をしたり、資格取得をしたりして、その知識をInstagram上で発信している人。自分の大学にはいないであろう、キラキラした人たちを見て、自分の視野が広がりまくった。もしかしたら、このときから何者かになりたいと思っていたのかと考えてみたり、みなかったり。

 何かに長けている人って、こんなにもカッコいいんだ。って思う瞬間は何度もあった。そのためには、知識や経験をもっと積むべきだって実感しまくりだった。そこから、読書とか積極的にするようになったし、自分を高めていったと思う。

大学3年生

 このあたりから、オンライン授業が徐々に減り、対面授業がすこーしずつではあるが再開していった。嬉しい反面、残念だと思う気持ちが強かった。いや、がっかりする気持ちがかなり強かった。なぜなら、オンライン授業のラクさが半減され、自分の自由に使える時間が減ってしまうからだ。自慢ではないがというと、嫌味に聞こえるので、自慢します!!!大学2年までの成績(GPA)は、3.70(MAX4.00)くらいだったのだ。オンライン授業だから、高く成績がつく傾向にあったのも重々承知だ。きっと、大学内の上位10%以内には入っているだろう。

 まぁ、対面授業がすべて悪かと言われるとそうでもない。授業で仲良くなった友人がいれば、親身に相談に乗ってくれる教授にも出会えた。これらも一期一会という言葉があるが、対面授業があったから。履修登録でその授業を選んだから。そんな出会いがあったのだ。置かれた環境でどうベストを尽くすか、これが生きるうえで大切だって感じている。

・集団授業スタート

 大学1年からずっと続けていた個別指導のアルバイト。そこで、集団授業のアルバイトが募集されていたのだ。私は教師志望で、ゆくゆくは30人くらいの生徒を目の前に授業をする。この経験は絶対に活きると感じたのだ。だから、この募集を見た瞬間、即参加した。

 参加してからというと、何度も研修があり、授業構成の仕方とか、声の出し方、身振り手振りの使い方、板書の仕方とかとか、教育者にとって必要不可欠になる技術を私の住んでいる地区で1番偉い人に教わることができた。もちろん、大変だったがこの経験があるからこそ、今も堂々と生徒の前で授業をすることができている。

 個別指導と集団指導(集団授業)は似ているようで、やはり違う。生徒とのコミュニケーションの取り方とか、距離感が大きく違うのだ。個別指導だと1対1や1対2が多いから、すぐに仲良くなれる。一方で、集団指導って、2、30人を相手にするから、なかなか全員とコミュニケーションを取れない。そんな苦悩もまたどこかで話してみたいと思う。

・夢の実現のために走り出す!

 大学3年の7月ごろから、私は教員採用試験の勉強を始めた。はじめは、SNSで「教員採用試験の対策の仕方」とか「教員採用試験 勉強スケジュール」とか調べながら、勉強していた。でも、1人じゃわからないことも多々あり、教員採用試験のコミュニティに参加し、サポートしてもらうことを決断した。毎日、教員採用試験の情報や知識を手に入れつつ、地道に努力し続けた。

 一緒に同じ目標に向かって頑張る仲間がいること。これって、本当に自分の頑張る原動力になるなって、最近思う。学生時代のことを思い出してみると、大会で勝利するといった目標を掲げて毎日練習をしていた部活動の仲間たち。志望校は違えど、受験合格を目指して勉強を共にした友人。こんなように、気づけば当たり前のようにいた仲間って、本当にかけがえのない存在なんだなって感じる。大学に入って、みんながみんな教員になるわけじゃないから、孤独だった自分の居場所を見つけられた。そんな気がした。コミュニティ選びや仲間って大切だって感じた瞬間だった。

 また、地元の教育委員会が開催する教員採用試験に向けて講座をする機会にも積極的に参加をした。参加者は私と同じ大学生もいれば、現役で学校現場で働いている講師の方々もいた。何年も受験しているが合格せずに受け続けているという現実を目の当たりにしたのもこのときだった。色んな人が集まるこの場で、少しでも多くのことを学ぼうとしたこの経験は活きている。

・特別支援学校の生徒と触れ合う

 私は、大学生と特別支援学校の生徒が一緒に大学の授業を受けるというプログラムに、企画から実行まで参加した。大学で募集をしていて、面白そうだと思い参加した。しかし、参加者は私を含めて5人だった。あぁ少ないなと思うと同時に、私以外女子でアウェー感が半端なかった。そのため、企画から参加したと言っても、大きなことはそこまでやっていない。彼女らには申し訳ないと思っている。

 当日は、私はレクリエーションの説明や進行を担当した。歌に合わせて踊るというものだ。なんとも恥ずかしい役が私に回ってきたと思いつつも、断れずに実行した。あまり企画に参加できずにいたから、これくらいで済むのであれば上等だといった具合に。でも、想像以上に楽しかったのを覚えている。特別支援学校の生徒たちも楽しそうに踊っているし、笑顔でニコニコしていた。このプログラムに参加して良かったと思えた。

・大阪の高校へ授業見学

 とある授業を受講しているときのことだった。大学の教授で仲良くしている高校の先生がいるようで、運良く、その先生の授業を見学できることになった。現役で子どもたちの前で授業をしている先生が何を意識して、どんな授業をしているのか興味があったし、自分の理想とする授業や教師像を見つめ直す機会にもなった。

 その高校は、偏差値70を超える進学校だった。自分が通っていた高校は偏差値55くらいで、国公立大学を勧めてくる、いわゆる自称進学校と呼ばれるところだった。小学生や中学生の時は、良い先生が多く恵まれたが、高校は正直ビミョーな先生が多かった。そんな過去があったこともあり、その大阪の高校は、私が想像していたものと大きくかけ離れていた。授業中にスマホを出して授業OK。制服だって、私服or制服の選択制といった具合に。そして何よりも、先生自身がとても楽しそうに授業をしていたことが印象的だった。私も、こんな先生になりたい!と高校の先生で思えたのははじめてだった。ますます、教師になりたいという想いは増していった。

大学4年生

 大学4年生。まさに、いまの学年である。1年後には卒業を迎え、社会で活躍している。そんな想像をしていた頃が懐かしいくらい、時間は忙しなく過ぎていく。大学4年生という学年は、ビッグイベントまみれで、忙しすぎた。

・教師になりたい!と思えた教育実習

 教員免許を取得するために必ず課される教育実習。私は地元の中学校に赴き、中学1年生を担当した。3週間乗り切れるのだろうか、生徒とはコミュニケーションを取ることができるだろうかと不安な気持ちがいっぱいだった。その一方で、本当に教師になりたいのか考えるきっかけにもなると思い、楽しみでもあった。

 教育実習が始まった初日は緊張で胸が張り裂けそうだった。クラスでの自己紹介後なんか、生徒の反応なんか見る余裕はなかったし、拍手が鳴り響いていたくらいしか思い出せない。

 しかし、廊下で生徒とすれ違ったときに、よくわからないが私の名前を呼んでいるような気がした。そしてその声の方向へ振り向くと、私の担当クラスの生徒があだ名で呼んでいたらしい。初日から、こんなにも親しくなれるのかと嬉しい気持ちでいっぱいになった。

 教育実習を終えたとき、私は子どもたちに学級通信風のクラス全体へのメッセージと一人一人に向けてメッセージカードを渡した。子どもたちからは、卒業証書と思い出のアルバム(色紙のようなもの)、合唱をプレゼントとしていただいた。長いようで短かった教育実習が終わったのだという安心感と同時に、この子どもたちとはお別れなのかという複雑な気持ちでいっぱいで、気づいたら目から涙が溢れていた。子どもたちの大半以上が泣いていて、もらい泣きもあったのだろう。こんなにも素晴らしい教師という職業に絶対になる!って、思えた瞬間でもあった。子どもたちの可能性やチカラって、計り知れないし未知数でスゴいな!って感じた。教師になろう!って想いは変わらなかった。

・運命の分かれ目(教員採用試験)

 今年の7月に1次試験、8月に2次試験があった。結果からいうと、1次試験合格、2次試験不合格だった。不合格通知をもらった瞬間、なんだったんだこの一年間、結局こうなるのかと絶望した。頑張った人が報われるなんて言葉は偽りだって思ったし、自分の無力さに何度も悩まされた。2次試験不合格後は、立ち直るまで少し時間がかかった。とゆうか、これから自分はどうするんだ?って、自分と向き合った。

・わたしのこれから

 大学院進学は考えてないし、私立で講師をすることも考えてはいなかった。公立の中学校で講師として働こうと思っていた。しかし、考えに考えを重ねた結果、私は私立学校の非常勤講師×塾講師のバイトで来年度の受験をすることに決めた。理由はと聞かれると、答えるのは難しいが、2つ理由がある。私立学校の雰囲気を知ってみたい。教員採用試験の対策に時間を充てたい。この2つだ。1つ目の理由で、私は、小学校、中学校、高校までずっと公立(県立)学校に通ってきた。私立学校についても少し興味があったのだ。2つ目の理由で、常勤講師になると担任を持つことになり、教員採用試験の勉強がほぼできないということを知っていたからだ。それは、上記で話したが、現役で何年も教員採用試験を受け続けているが合格できない講師の方々を目の当たりにしていたことも少なからずあるだろう。これらの理由から、私は、この選択をしたのだ。なりたい公立学校で講師をする王道のルートからは外れたが、ある意味、自分の人生がスタートした気がした。

まとめ

 ここまで、見てくださった方、ありがとうございます。とても長い文章にはなってしまいましたが、大学生活を自分なりにまとめてみたつもりです。これが私のすべて!とは言い切れませんし、もっと深掘りしようと思えば、まだまだ伝えきれていない部分もあります。そこは、追々更新できればなって思います。

 少なくとも、投稿主“さわ”がこんな人間だって伝わればなって思います。これからも自分のペースで発信していこうと思います。また、近況報告等します!

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