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書籍:世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか: カノッサの屈辱(藤崎 衛 (著))

「カノッサの屈辱」を題材に、ローマ教皇の形成や位置づけの変遷を中世を中心に解説した書籍。

「カノッサの屈辱」といえば、声に出して読みたい歴史用語第1位(たぶん)!ただ、雪の中でおじさんが跪いている絵は浮かんでも、誰が、誰に、なぜ、何を謝罪したのか、そしてなぜそれを高校世界史の知識として勉強しなければいけないかを理解している人は少ないと思う。自分もあやふやだったので読んでみた。

簡単に言うと「神聖ローマ皇帝・ハインリヒ4世」が、「ローマ教皇・グレゴリウス7世」に、「破門」を解いてもらうために謝罪した、という事件ですね。ざっくり。高位の聖職者を任命する権利を巡ってハインリヒ4世が喧嘩を売った、いわゆる「叙任権闘争」(これも声に出して読みたい歴史用語上位)によって、グレゴリウス7世に破門されちゃった、という話。神聖ローマ皇帝とローマ教皇の対立が顕在化し、その上下関係が明確になった事件という感じでしょうか。

とまぁ、これくらいは高校の世界史でも習うと思うんですが、こちらの書籍では、なぜ「ローマ」と「教皇」は結び付いたのか(第2章)、「十字軍」って結局何だったん(第3章)、そして「宗教改革」へ(第4章)といった感じで、ローマ教皇史をその成立から宗教改革までざーっと眺めることができます。「声に出して読みたい歴史用語」がたくさん出てきます(ゲルマン人の大移動、ランゴバルド王国、ヴォルムス協約、レコンキスタ、ウルバヌス2世、インノケンティウス3世、ボニファティウス8世、アナーニ事件、大シスマ などなど)。ボ二ファティウス8世といえば、みんな大好き「憤死」のローマ教皇ですね。

今までローマ教皇というと「宗教のトップ」くらいのイメージしかなかったけれど、この書籍を通じて、政治家、行政官、司法官としての教皇の姿が見えたのがとても興味深かった。訴訟案件を裁くのに忙しくて、とある修道院長から「仕事を調整したらどうですか」と言われるくらい。

とくに教皇職にある者にとって、毎日というだけでなく、一日の大部分を雑務のために費やし、そのような人たちと汗を流して働くことぐらい不相応で恥ずべきことはないということをごぞんじでしょうか。このようなことで心身のエネルギーを消耗していたら、祈りのために、人びとを教えるために、教会を育てるために、また神の教えについて黙想するために、はたしてどれだけの余力が残るでしょうか。(略)わたしの言っていることは、それら[の仕事]を正しく調整するようにということなのです。

「世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか: カノッサの屈辱(藤崎 衛 (著))」p.128-129

こちらがその書簡。売り切れになっているけれど、「一読すればその言葉の選び方、話の紡ぎ方が非常に卓越していたということがよくわかります」(同書籍 p.118)と評価されているので、是非読んでみたい。

「ローマ教皇」と「神聖ローマ皇帝」の関係、そして教皇庁内の対立を眺めていて、日本の「天皇」と「征夷大将軍」と比較したらどんな感じだろう、と考えていた(その道の人に怒られてしまうかもしれないけれど…)。

源頼朝が亡くなったことを契機として幕府を討伐しようとした上皇方が幕府に敗北した「承久の乱」は、「逆『カノッサの屈辱』」と言っても良いのかもしれない。後鳥羽上皇は隠岐島に流されて、まさに「屈辱」だったんじゃないかなと。

武家政権が優位な時代になっても朝廷の権威は残り続ける。後醍醐天皇を擁する「建武の親政」が行われ(その後、「大シスマ」ならぬ「南北朝時代」が発生する)、豊臣秀吉は関白という朝廷の官職を得る。時代は巡って、大政奉還が起こり、天皇主権の明治時代がやってくる。この辺りは、「教皇・皇帝」と異なるところか。

「おわりに」より。

中世のローマ教皇についてさらに理解を深めるためには、恭興と直接的または間接的にかかわりのある、さまざまなテーマから、興味を抱いたものをえらんで学んでいくのがよいでしょう。たとえば、巡礼、列聖手続、異教や迷信の排除と改宗、十字軍、異端、修道制、教会法、各種の典礼、普遍公会議と地方の教会会議、東方協会との関係、秘跡、悪魔、煉獄、中世の伝説、十二世紀ルネサンス、大学、スコラ哲学、教会芸術など、いくつもの個別テーマをあげることができます。

「世界史のリテラシー ローマ教皇は、なぜ特別な存在なのか: カノッサの屈辱(藤崎 衛 (著))」p.157

なかなか興味は尽きないですね。

自分が気になったのは、破門に相当するとして禁じられていた「聖職者に対する課税」をしようとしたフランス王・フィリップ4世端麗王(端麗王!)に対し、ボニファティウス8世はブチ切れるんですが、一方、フランス王はフランス史上初の身分制議会「三部会」(聖職者・貴族・平民)によって、各身分から「同意」を得た、ということ。貴族や平民はともかく、なぜ聖職者は同意したんでしょうかね。調べてみたいなと思います。

ちなみに私の一番好きな「声に出したい歴史用語」は「マルクス・アウレリウス・アントニヌス帝」)です!ギリシャの「五賢帝」の最後の一人で、「自省録」で有名ですね。

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