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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(91)斯波孫二郎を取り込む足利直義の「計算」に恐ろしさを感じながらも、とうとう明かされたその「欠点」!

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2022年12月25日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


諏訪時継、姿だけでなくとうとうセリフまで薄っ!

 「ゲンバ ちょっと来てくれ
 「びく」っとして、そこに時継がいるのに気づく玄蕃。逃若党では「忍(しのび)」担当の玄蕃が、自分に人が近づく気配も感じられないなんて、そんなんで大丈夫なの?と思いつつよく見ると、諏訪時継の姿だけでなく、セリフも薄いんですよね(笑)。ーー松井先生、絶対に時継で遊んでいますよ、これ…と、冒頭から笑いがこみあげる『逃げ上手の若君』第91話。
 何度もこのシリーズでくり返していますが、諏訪氏を調べている感じでは、頼継あたりがかなり異形の当主で、時継みたいな雰囲気が諏訪氏のデフォルトのような気がしています。時継には薄い存在感でもっと活躍してほしいと、矛盾する期待でいっぱいです。

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 さて、今回は足利直義が自ら時行を迎え討つというので、直義の評価爆上げな感じのエピソードが満載でしたね。
 松井先生がすごいなあと思うのは、足利もその一門で固められている関東庇番も嫌いという思い込みでいた私が、気づけば、渋川義季も、石塔範家も、岩松経家も、今川範満もみんな嫌いではなくなっていた、むしろ好きなキャラに転じていたことです。
 そういう点では、庇番の中で一番いいかもと思っていた斯波孫二郎が、直義に簡単に取り込まれて(?)しまっていたのにがっかりです。直義の「計算」なんですよ、きっとこれ。それなのに、孫二郎ってば……。
 直義の腹の内と同様にわからないのが、二人の話を立ち聞きしている上杉憲顕の表情です。これもこのシリーズで何度も触れている通り、憲顕と足利兄弟は従妹同士で、どうやら松井先生は彼らのスペックや性格、雰囲気を似せている感があるので、憲顕は直義の考えていることがわかっているのかもしれません。

 「ただ泣くだけで誰も助けてはくれない世で」「僕の未来を僕より真剣に考えてくれる人に… 忠誠を誓わぬわけはない

 これは、あくまで孫二郎が直義の言動を推し量っての結論なんですよね。このパターン、渋川義季でも見た気がします。--直義は、自分がこう言って、こうふるまえば、相手はこのように解釈して、「忠誠を誓わぬわけはない」という展開になるとだけ計算しているのではないか……そう思うのは私だけでしょうか。孫二郎が、直義に忠誠を誓うという結論に至るまでの思考の道筋と、「僕が死んでもあの人は泣かない」というのがわかっている点について、確かに直義が高く評価するだけの聡明さを感じますが、十代前半の少年がそれを納得するって、なんだか少し寂しいですね。
 ここで思い出したのが、孫二郎のお父さんである斯波高経という人物です。『逃げ上手の若君』には登場していないのですが、私のこのシリーズではすでに2回も紹介しています。

 例えば、敵将である新田義貞の非業の死にひどく驚いて号泣しています。

 また、後妻の子に後を継がせたくて、先妻の子を悪口で追いやっています(その子は、孫二郎と同じお母さんのようですね。その事実もなんだか切ない……)。

 孫二郎は賢いけれども、子どもだからというわけではなく、けっこう感情に振り回されている印象が強くあります。そういう点は父譲りということで、松井先生はキャラづくりをしているのかもしれません。だとしたら、孫二郎には、直義の「計算」からは意外とするっと抜けてしまう危うさも感じられます。だからこそ直義は、先手を打って呪縛しているということなのかもしれませんが……なかなか、尊氏とは方向性が違いますが、やはり直義も恐ろしい人ですね。
 
 この事実は、玄蕃が吹雪に関して「こんな奴でも家柄が無きゃ碌に出世も出来ないとは」「足利に仕えてもたかが知れるな」と分析しているところとかぶります。足利一門であっても、足利本家にとっては彼らもしょせん本家を支えるコマのひとつでしかないのでしょう。企業でいえば、一族経営のものすごく有名なメーカーとかブランドを持つ老舗で、不正こそないものの、トップがワンマンで厳しいブラック企業といったところでしょうか(ちなみに私は、運悪く一族経営の企業を2つ経験しましたが、両社とも、一族でない、あるいは、一族に取り入らない人間は、みな下僕扱いでした)。
 京都編で欲まみれの醜態をさらした玄蕃でしたが、欲を持つからこそ、欲が渦巻く現実における俗な思考回路は抜群だと思いました。時行の郎党たちはそういう意味では欲とは縁遠い子どもたちばかりなので、玄蕃みたいな郎党の存在は頼りになりますね。
 ちなみに、諏訪氏は諏訪大社の祭祀が村々の生活の多くを支えていたため、村内には農民だけでなく、道具を作成する技術者、芸能に携わる民など、様々な職能の人たちがいて、諏訪氏の一族がそういった人々をも重要な構成員としての各村を治める体制を整えていたようです。玄蕃が天狗に「苦労して身につけた技を怖い主君に捧げるより ずっと人間らしく生きられると思うんだがな」と説いているのは、時行を主君とした諏訪での生活を通じての実感であり、俗人ゆえの本心だったのではないでしょうか。考えもなしに天狗の縄も解いてしまったのはそのせいではないかと思いました。
 ーーしかし、天狗の中のかわいい女の子、いったい何者なんでしょうか。いずれ時行の郎党になるのであれば、雫や亜也子は気になってしまうかもしれませんが、読者としては興味津々ですね。

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 最後に再び足利直義です。以前から直義には興味があったので、解説にあった直義の評価の数々には〝そうそう〟とうなずいた私ですが、「元との貿易」だけはちょっとわからなくて調べてみましたが、これのことですね。

天竜寺船(てんりゅうじぶね)
 天竜寺造営の費用を調達するため元 (げん) に派遣された船。1341年(興国2・暦応4)12月、足利直義 (あしかがただよし) は京都・天竜寺の夢窓疎石 (むそうそせき) に対し、二隻の貿易船の派遣を免許し、翌年の秋に出航できるよう準備を進めさせた。直義はそのうちまず一隻を渡航させることにし、疎石は博多 (はかた) 商人至本を綱司に推挙した。至本は貿易の利益のいかんにかかわらず、帰国後に5000貫文を寺に納めることを約束した。他方幕府はこの船を当時瀬戸内海地方に横行していた海賊などから保護する責任を負った。
〔日本大百科全書(ニッポニカ)〕

 「天竜寺」がどんなお寺なのかは今後の物語の展開にもかかわるので伏せておきますが、なるほど、人脈作りだとか交渉事だとかいうビジネスの才にも長けていたのがわかります。
 一方で、「その短所、致命的…!」という編集部の突っ込みコメントも入った「戦が弱い」というのは、南北朝時代のファンの間では有名です。『逃げ上手の若君』では、すでに尊氏が鎌倉に向けて進んでいるようですが、実際は直義がピンチと知ってから動き出しています。以降もある重大な局面で、ボロ負けする直義軍の報を受けて、〝直義が死んじゃう!〟とばかりに尊氏が兵を率いて助けに行くといった具合です。ーー物語の展開上、ネタバレは嫌なのでまだ詳しく述べられないところはありますが、尊氏の生涯において、直義は様々な意味で尊氏の泣き所となっています。

 直義が「戦が弱い」というのは、もちろん本人に自覚があるものだろうと私は思っていましたが、松井先生の解釈はぶっ飛んでいましたね。ーーどうやら、『逃げ上手の若君』の直義はその事実に無自覚のようです。「鎌倉の外で迎撃する」と告げている直義のトーンは、普段の政務や緊急の判断の時とまるで変わりません。これにはどうにも笑いが止まりませんでした。何もかも完璧でないところに付け入る隙があって、人間臭くて魅力的というのもありますが……。

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、諏訪市史編纂委員会『諏訪市史 上巻』を参照しています。〕


 いつも記事を読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。興味がございましたら、「逃げ若を撫でる会」においでください! 次回は2023年1月12日(木)開催です。

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