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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(74)一番ヤバイ庇番衆は渋川義季でした…弧次郎の謎も気になりつつ、武蔵・久米川戦突入!

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?〔以下の本文は、2022年8月27日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕 


 渋川義季は、「庇番衆牛車旅」でも岩松のような軽さがないので〝ちょっとかっこいいかな…〟なんて思っていたら、関東庇番一番筆頭であるのに納得も納得のヤバイ人だったという『逃げ上手の若君』第74話。

 「武士たるもの忠義を尽くして正々堂々 その美学しか頭にない

義季のヤバさ加減も一瞬でわかった? 頼重は当然のごとくストップをかけるが……

 時行に一騎打ちを求める義季について語る岩松ですが、対岸の時行と諏訪軍はみんな「はぁ!?」です。「…マジかよ 大人の大将が十歳児に一騎打ち申し込むか?」という玄蕃の発言が〝常識〟ですよね(この時の義季は21歳です)。
 ーーでも、通じない。現代でも、職場の上司なんかが自分だけの「美学」で凝り固まっていて、相当に厄介な目にあった方はありませんか。私は身に覚えがあります。「狂気」は〝凶器〟なのですね。

 「お次は拙者一人を集団で襲うか なんという卑怯者共よ

 ここ、戦場ですよ…。もう、私の頭の中で「ヤバイヤバイヤバイ」アラームが鳴りっぱなしでした。
 方向性は違うものの、過去を忘れて徹底的に自分自身の現在にのみ集中し、不愉快な要素を排除しようという足利尊氏に似た精神構造を感じました。ーー『逃げ上手の若君』の足利一門、ヤバくないか!?
 これまでの作品でも松井先生は、人間が持つ様々な「悪」を描いてきましたが、けっこう極まったものをこれでもかと見せつけされているな…とも感じました。

 ちなみに、「この時代の渡河戦の大半は力押しであり 必要なのは軍の勢いと 個の武」と、作品中で解説がなされています。
 『平家物語』や『太平記』にはそうした戦いの多くが語られていますが、前回このシリーズ紹介した婆娑羅絵の題材となった秋山光政あきやまみつまさ阿保忠実あぶただざねの一騎打ちには、川の両岸で戦機を狙って不用意には動けないでいる両軍に流れを呼び込む役割もあったようです。秋山と阿保の当人同士はもちろんのこと、敵の大将や兵同士でも二人の見事な戦いぶりを讃え合い、敵味方関係なく討ち取らせまいと心を砕いています。

 「勝手に武士の理想像を敵に求め ちょっとでも理想と違うと勝手にキレて自己強化する」と、味方の岩松ですらこう思っているわけですが、今は高見の見物を決め込む岩松も、普段は義季を怒らせないようにと、庇番衆とビクビクしていたりするかもしれませんね(笑)。

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 さて、時行の今回の進軍ですが、鈴木由美氏の『中先代の乱』には「上野に入ってからの時行軍の本体の動きは、諸史料から推定すると、上野蕪川かぶらがわ(鏑川)で岩松経家の兄の四郎と合戦→武蔵久米川で渋川義季と合戦→武蔵女影原で合戦」というところになります。庇番の役割についても触れられていて、「関東庇番は引付・軍事両方の機能を持っていて、関東庇番の頭人として渋川義季や岩松経家が反乱鎮圧のために派遣されたと考える」とあります。特に渋川義季については、「建武元年三月の本間・渋谷氏の反乱や、中先代の乱での渋川義季の活動を見ると、彼が鎌倉将軍府の軍事的主体であったことは認められよう」とあります。
 ※久米川(くめがわ)…武蔵国多摩郡(東京都東村山市)。中世、鎌倉から東北・信越に通ずる街道にあった宿駅。入間郡との境に位置し、名の由来となった川がある。〔角川古語大辞典〕
 ※引付(ひきつけ)…中世、処務沙汰を扱う幕府の裁判機関。
 ※本間・渋谷の反乱…『逃げ上手の若君』においては、第33話でその様子が描かれています。

 吹雪が「信濃の敵より洗練されてる」と言って、カブトムシを煮て食おうとする市河助房と小笠原貞宗を思い浮かべていて〝そこ!?〟(吹雪の回想は食べ物基準!?)と突っ込んでしまいましたが、「…すごい統率 皆の鎧もピカピカで」という亜也子や「先頭の武将たち あの若さでなんつー迫力だ」と弧次郎が、驚きを隠せないのもわかる気がしました。

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 第74話ではまた、祢津頼直が弧次郎に対して厳しく当たるところを時行、雫、保科弥三郎がこっそり見てしまいました。
 すでに第61話で弧次郎そっくりの「御跡目」こと「祢津小次郎」が登場しており、弧次郎は戦場において「小次郎」として戦っているらしいのがわかります。今回、弧次郎自身が「祢津小次郎が相手してやる!」と言って義季に挑んでいる場面があります。
 最近、『諏訪市史』や『太平記』を読み直していて気づいたのですが、「祢津小次郎」とは、時行が大きくなってある武将の子どもたち(すでに『逃げ上手の若君』には登場しています!)と共に足利尊氏と戦った際に、もう少しで尊氏を倒せるところまで迫った人物だったことを思い出しました。
 私は歴史的な知識として中先代の乱の結末やその後の時行の動きも知っているので、時に想像をたくましくしてしまうのですが、もしかしたらこの先、時行と弧次郎とは悲しい別れが待っていて、成長して戦場にも出られるようになった小次郎が新たに時行の友となり、郎党として(そして、やはり成長した頼継とも)共に戦うようになるのではないかと考えをめぐらせています。
 「お前さえいなければ我が妹は死ななかった」と冷たく言い放つ頼直。当時はお産も厳しかったので、訳ありで生んでそのまま頼直の妹は亡くなってしまったか、あるいは弧次郎を事故や事件から身を挺して守ったのか……。
 父の愛を受けて少女らしくのびのびしているのは亜也子だけで、頼重とどこか距離がある雫も、出自のわからない吹雪も、素顔不明の玄蕃もーー実は時行の郎党が謎だらけなのに今さらながら気づいてしまいました。

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 鎌倉末・南北朝期は、本当に人気のない時代です。それでも、『逃げ上手の若君』の連載は奇跡のように続いています。松井先生のお力によるものとしか考えられません(あとは、北条氏や諏訪氏の無念の魂が現代に呼び掛けている……か!?)。出版業界の数字の圧力に負けることなく、どうか「ライバルがずっとおっさんなただ1つの少年漫画」が、作品を愛す我々のもとに最後まで届けられますようにと、日々私は祈っています。
 
〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)、鈴木由美『中先代の乱』(中公新書)を参照しています。〕


いつも記事を読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。興味がございましたら、「逃げ若を撫でる会」においでください! 次回は11月11日(金)開催予定です。
  ※詳細は追ってnoteにてお知らせいたします。

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