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一円玉

もう同じ場所に三週間一円玉が落ちている。車道と歩道の隙間に突き刺さり、少しわかりづらい。もちろん何人かは気付いているだろう。しかし誰も拾わない。僕も拾わない。拾ったところで一円だし、馬鹿正直に「一円拾いました」と交番に行く姿も想像できない。

気付かれても無視され、風雨に晒されている一円玉が不憫になってきた。小銭入れにたくさんあると鬱陶しいが、ここぞいうときには足りない。どうしてお前はいつもそうなんだと僕は一円玉が嫌いだった。しかしたとえどんなものでも一円足りなければ買うことはできない。一億も一兆も一円の集合体であることには変わりない。

意を決して僕はその一円玉を救済することにした。とはいえおそらくそれは犯罪なので、僕は自分の一円玉を新たにそこに置くことにした。僕は「その」一円玉に愛着を覚えたからであり、落とした人なり他の誰かがいつかは拾ってあげるだろうという期待も込めていた。しかし新たな一円玉もまた延々とそこに放置されることになった。言うまでもなく、今度はその一円玉が気になる。

そうしているうち、数週間毎に一円玉を交換することが僕の習慣になってしまった。常にそこに一円玉はあるので落とした人のお金を盗ってはいないし、不憫な一円玉たちも救済できている。我ながら名案だと今日も同じようにそこを通ると、見知らぬ中年の男性が「その」一円玉を拾い上げていた。やっと誰かが拾うか!と影からその様子を窺っていると、彼もまたそこに新たな一円玉を置いた。皆、一円玉が気になるのである。

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