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普通を追いかけていた

いつか書こうと思っていた氷河期世代のこと。

上の世代が普通にできていたことが普通にできなかった世代。

それなのに、普通を追いかけていた私のことを書いてみようと思う。

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小さい頃から、みんなと同じとか、標準的とか、大勢になじむようなことが苦手だった。

ルールを守れないわけではないので、問題児扱いされていたわけでない。(多分。)

私がとらわれてきた「普通」について、記憶を振り返ってみた。

1.原体験

一番古い記憶は、幼稚園のとき。
みんなでお絵かきをしていて、女の子の絵を書いていたときに同級生に言われた。
「普通、顔から描くんだよ。」
私は髪から描いていた。
なぜそうしていたのかは全くわからない。

ちょっとしたことだけど、他者から普通ではない自分を指摘された経験として、強く記憶に残っている。その後、周りを気にするようになる。

これは世代の問題とは関係ないのだけど、その後の思考に影響を与え、普通を追いかけることにつながったのではないかと思う。

2.社会人デビューから30代前半

小学校、中学校、高校、大学。
不登校、浪人、留年、中退はなく、大学卒業までできたのは表面的には「普通」なのかもしれない。

ただ、大学卒業のタイミングが就職氷河期。
普通の人に普通の就職は用意されていなかった。

卒業後、就職はできたものの納得できる形ではなかった。
ここから長いこと「普通」らしきものを追いかけることになる。

定年退職まで安心して働ける正社員の仕事に就くこと。
新卒で「勝ち組」就職した人と同じ位の収入を得ること。
そういうものを追いかけていたのだと思う。

追いかけていたと共に、心のどこかで期待していた。
景気が回復したら、氷河期世代のみんなも救われるのではないか。

3.30代後半

世の中の景気がよくなることが、私の雇用環境改善になるわけではないことに気付き始めた。
佐々木典士さんの「ぼくモノ」やphaさんの「しないことリスト」に出会ったのもこの頃。

なんかもう、普通を追いかけて、頑張ったり、我慢したりするのは止めようと思った。

今まで無駄にしてきたかもしれない時間の分も、これからは楽しいと思えることに使っていこう。

40歳が見える歳になって思うのは、平均寿命まで生きたとしても、人生残り半分だということ。
その中で、体が思うように動くのは、もっと短いかもしれない。

どこにあるのか、誰が決めたのかもわからない「普通」を追いかけている場合ではない。
それが多数派であるか、少数派であるかは関係なく、私はこう思うということを大切にしていきたい。

そう思えるようになったから、20代よりずっとずっと生きやすくなった。

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氷河期世代という言葉は死ぬまでついてくると思うけど、私も含めて同世代の人達が少しでも幸せに生きていけるといいなぁと思う。

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