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企業合併の成否を分けるもの(2011)

企業合併の成否を分けるもの
Saven Satow
May, 11, 2011

「頭取の現場感あふれる強力なリーダーシップのもと、この困難を乗り切りましょう。頭取に応援メッセージをいただける方があれば返信を。まとめてお届けします」。
2011年3月4週目に役員から送信されたみずほ銀行各支店長宛社内メール

 2002年のシステム統合以来、みずほ銀行はその障害を繰り返している。2011年3月15日に起きたトラブルはお粗末で、今までのものと併せて考慮すると、このメガバンク誕生は成功したと言えないだろう。

 これまでも多くの企業の合併・統合が試みられている。けれども、華々しくスタートしながら、必ずしも成功しなかったケースも見受けられる。個々に特有の事情もあろうが、その際、しばしば理由として挙げられるのが社風、すなわち企業文化の違いである。

 けれども、企業文化は、企業戦略が企業の明示知だとすると、企業の暗黙知である。暗黙知は閉じられた敬で作用する。そこに他者が入り、説明を求められたら、内部はそれを明示化せざるを得ない。系の構造が変化すれば、暗黙知がそのまま残ることはできない。

 譬話をしよう。二人の日本人が会話をしている。そこに、日本語を学習中の外国人がやってきて、二人に「どうして日本語では『山々』と言うのに、『川々』とは言わないのですか?」と質問したとする。彼らはそんなこと考えたこともないと理由を探し、あれこれ説明を始める。

 ちなみに、こうした単語やその一部の繰り返しによる合成語を「畳語(じょうご)」と呼ぶ。これは日本語だけでなく、多くの言語に認められる。さまざまな種類があるが、この例は名詞における複数表現である。これは複数の中で個別性を示すニュアンスがあるとされる。「山々」は個々の山が集まった集合を表している。他方、個々の川が集まって集合を形成することはないから、「川々」とは言わない。本流と支流は川が分流しているのであって、山脈のような山の集合とは異なる。もっとも理由は定かではなく、こうした畳語による名刺の複数表現は日本語では少ないので、一つ一つ覚えるほかない。

 言語の合併の話はこれくらいにして、企業において実際に現場で仕事をしているのは課もしくは部のレベルである。日本の組織体はボトムアップ型なこともあって、企業文化はここに根強い。既存の壁を越えて部以下のレベルを再編しようとすると、コミュニケーションをとり、お互いに暗黙知から脱却し、新たな共通基盤を構築する必要がある。現場が再編されれば、ボトムアップ型の組織体なので、下から突き上げられ、上も意識変化せざるを得なくなる。他方、統合した後も、それ以前の部・課がそのまま存続したとすれば、暗黙知が明示化されないので、実態は変化していないと見なせる。その際、言うまでもないが、総務の一本化は勘定に入らない。

 統合・合併後に、前の部・課が横滑りしただけである場合、その溝が埋まらない危険性がある。既存の企業文化・派閥を引きずり、相互に非協力的だったり、軋轢が生まれたりしてしまう。これでは内部対立が常態化し、つまらない不祥事が相次ぎ、経営自体おかしくなりかねない。みずほ銀行も、この視点から見てみると、興味深い状況が浮かび上がってくるだろう。

 既存の壁を越えて現場を再編すれば、その一体化が成功するというわけではない。ただ、失敗の危険性は少なくなると見こめる。

 統合前後の部・課の構成の変化を比較するというのは一見単純な方法であるが、組織体をコミュニケーションの観点から捉えるならば、十分効果的である。これはおそらく企業の合併に限らないだろう。中央地方政府やNPOの再編成にも拡張できる。

 政治家や官僚、経済人、研究員などはよくスケール・メリットや知識・ノウハウの共有を理由に規模の大きい組織体を推奨する。しかし、彼らには往々にして組織体におけるコミュニケーションの観点が乏しい。コミュニケーションの変容をどうすればいいかが念頭にないため、現場の再編がおろそかになる。結果、名ばかりで、実体が伴っていない統合・合併が生まれる。複数の企業をつなげればスケール・メリットを生かせる組織体が誕生し、知識・ノウハウが共有される。素朴、あまりに素朴と言わざるを得ない。
〈了〉


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