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木の葉は緑(2020年10月14日)

2020年10月14日
 夜中にごそごそという音がするので、目が覚める。耳の穴に虫が入ってきたためとわかり、慌てて人差し指を突っこんで掻き出す。ベンジョコオロギだ!
 
 この後、気になってほとんど眠れない。もしまたベンジョコオロギが近づいてきたら払いのけてやろうと、布団にくるまりながら、激しく寝返りを何度も打つ。普段から寝汗を冬でもよくかくが、バタバタしたため、布団の隙間から冷気が入り、かえって汗がひく。
 
 5時頃、布団から出て、ベンジョコオロギの死骸をティッシュにくるみ、ごみ箱に捨てる。その後、Twitterでニュースを確認しながら、ストレッチを始める。6時頃、一階に降りゴキブリホイホイを確認する。どれも笑ってしまうほどベンジョコオロギが捕まっているが、一階の和室のホイホイに最も入っている。その後に入浴、昨夜のことがあったので、昨日より落ち着いた気持ちだ。湯船の中にもぐり、耳の中にも温泉を入れる。・
 
 朝食はパン、ポタージュ、野菜サラダ、ソーセージ、コーヒー、食後にヨーグルトとリンゴをとる。8時頃から1時間ほどウォーキングをする。昨日同様に、外はひんやりする。いつもと同じように、別荘地の入り口まで行き、帰りは気ままにあちこち回る。業者のライトバンが通り過ぎたくらいで、誰とも会うことはない。帰宅後、入浴して、さっぱりする。
 
 天気もよいので、奥中山に行く。そこには岩手県立児童館「いわて子どもの森」がある。親戚の子どもたちが、昨年まで夏に何度か訪れて、楽しかったという話を聞き、一度行ってみたいと思っている。一日では回わりきれないと興奮して話していたので、その大きさを体感してみたい。大きさや広さというものは「百聞は一見に如かず」の代表だ。
 
 八幡平からいわて子どもの森まではクルマで1時間もかからない。見るだけなので、10時に出る。ネットを検索すると、ブログ等に利用者が記した感想にヒットする。それらは非常に好意的で、驚きと満足にあふれている。子どもの森のキャッチフレーズは「おとなもこどもも のんびりゆっくり ぽけーっとしようよ」である。
 
 広い駐車場にはクルマが数台あるだけである。政府のキャンペーンも関係ない。春や夏の休日ではないので、子どもたちを対象にした施設では無理からぬところだろう。「岩手県立児童館いわて子どもの森」は2003年に開館、2010年4月にリニューアル・オープンしている。正直、「児童館」と言うと、ワンフロアの遊びのスペースで、少々規模の大きな学童保育といった訂正をイメージする。しかし、ここは違う。敷地面積が300,000平方メートル、延床面積は7,418平方メートルである。幕張メッセの敷地面積が217,151平方メートル、延床面積は164,919平方メートルであるから、その広大さが理解できよう。なるほど利用者が一様に驚くのも当然だ。
 
 幕張メッセより広い敷地面積に狭い延床面積の「児童館」に子どもが1日いても飽きないどころか、確かに回り切れない。テーマパークではなく、展示場設計なので、人工物が限定的で、ほとんどが自然環境である。
 
 「ハローハウス」と呼ばれる円錐屋根の屋内施設から入館する。この建物は双子のそれの「ゴーゴーハウス」と連絡通路でつながっている。入館料は無料だ。入ってすぐのところに置いてある非接触型体温計で検温、自動アルコール噴霧器で手を洗っていると、女性職員が現われる。身長は160センチメートルほどで引き締まった体躯、ショートカットだ。マスクを着けているため、それ以上はわからない。歓迎されながらも、平日なので、レストランが休業の他いくつかのスペースも事実上やっていないと申し訳なさそうに彼女から説明を受ける。ハローハウス内のレストラン「ハラヘッタ亭もぐもぐ」が休業では、昼食は施設の外で探さなければならない。見学するだけだからとかまわないとこちらの方が申し訳なくなりながら、パンフレットを受け取る。
 
 せっかくの天気と思い、屋外施設から見ることにする。ハローハウスは三階建てで、入り口が最上階にある。入り口から入って右側に進むと、「まんてんハウス」がある。これは自炊型宿泊施設で、中には入らず、一瞥して戻ることにする。ここにはキャンプ場もあるけれども、季節や気候、家庭の事情などによって屋内に宿泊する方がよい場合もある。それを見ながら、小学生の頃に自炊して学校に泊まるというイベントがあったことを思い出す。確か、あの時の料理はカレーだった気がする。と言うか、子どもの頃のイベントのメニューはいつもカレーだ。
 
 「まんてんハウス」への連絡路の途中にガラス戸があり、出ると、コンクリート製の長い階段が屋外施設に通じている。それを降りていくと、「みずの広場」に出る。3階から1階の高さに降りる階段だから、結構きつい。こうした水の施設は、夏の暑い日なら、涼やかで楽しいだろう。子どもたちのキャーキャーという声が聞こえてきそうだ。ただ、陽光があるとはいえ、紅葉の季節なので、さすがに水は敬遠することにする。
 
 もっとも、その季節であっても、見守るべき存在がいない。むしろ、思い出を分かち合う人がいないのだから、この時期の来訪がふさわしい。分かち合う記憶のない時間は事実上時として存在しない。失われたときは記憶によってではなく、シェアによって見出される。ここは時が存在するための場所だ。ふさわしくない人はふさわしくない時にいることがふさわしい。
 
 ただ、少なくとも、訪れたことにより、親戚の子たち思い出に加わることができる。もちろん、記憶を共有してはいない。けれども、同じ場所の体験の振動が伝わりお互いの記憶を共鳴する。時は、分かち合う思い出がないとしても、場を共有するなら、共振によって存在する。
 
 みずの広場からゴーゴーハウスに向かうコンクリート製の階段がある。途中でハウスに入らず、登りきると、そこはキャンプ場である。
 
 辺りには芝生が広がり、その向こうに林がある。芝生の前にはおそらくキャンプ用品を貸し出すためと思われる小屋がある。平屋で、小学校の教室が二つか三つ分くらいだろう。誰もいない。時期のせいか、芝生には誰もいない。子どもたちがいれば、それを見に、奥まで足を運ぶところだが、これ以上先に進む気になれない。
 
 キャンプ場の先には「ひみつの森」や「ツリーハウス」がある。また、階段を登ってキャンプ場に入る手前に道がある。それを進んでいくと、「わくわくプレーパーク」や「のびのび原っぱ」、「もりもりとりで」が広がっている。どこぞの地方議会の議員の海外視察のようだが、日陰に入ると寒いし、人気もほとんどないので、共鳴はしたいものの、一人で隅々まで見て回るのはやはり億劫だ。
 
 いわて子どもの森のリニューアルを担当したトータルメディアのサイトによると、コンセプトは「子どもたちの理想の“秘密基地”」である。かつては子どもたちが自分たちだけの隠れた遊び場をそう呼んでいたものだ。秘密基地のことは仲間以外には内緒だ。けれども、今は子どもの数が少ない。また、野山や空き地も開発され、隠れて遊ぶ場所も見当たらない。さらに、公園の野球禁止を始め大人による制限も多い。子ども同士で継承されていた遊びの文化も大人が手を貸さないとできなくなっている。
 
 「秘密基地」は「ギャングエイジ(Gang Age)」を象徴する。それは児童が教師や保護者より友だちを大切にし始める発達の時期を指す。小学校低学年までの友人関係は、たまたま遊び場に居合わせたり、教室の席が隣だったりなど機会的で継続性がない。場の共有が友人関係であり、そこから離れると消滅する。しかし、中学年になると、継続的な友人関係を形成するようになり、教師や保護者からその集団を通じて自立し始める。仲間だけで行動し、群れ遊びをしたり、自分たちだけの隠れ家として秘密基地を持ったりする。
 
 ギャングエイジの仲間集団、すなわち「ギャンググループ(Gang-group)」は皇道を共有し、仲間の同質性を強調するが、共同意識により自立を目指している。これは大人が指導するスポーツ・チームに所属することとは異なる。大人を指導者にする集団活動は往々にして子どもを指示待ちにし、自立どころか依存させてしまう。それに対し、子どもたちだけのギャングエイジは自発性の発達時期である。けれども、近年では都市化や少子化、塾などによる遊びの3間(空間・仲間・時間)が失われ、喪失傾向にあるとされる。
 
 けれども、それは子どものせいではない。小4の頃、新幹線工事により、遊び場がいくつもなくなる。野球をやった原っぱやカブトムシやクワガタが捕れた雑木林もなくなる。また、友だちは用地買収に伴い引っ越していく。子どもにはこの変化をどうすることもできない。ただ、消えた風景を寂しく思い返すだけだ。
 
 高学年になると趣味の多様化や性別などにより、集団は小さくなる。同じ言語を共有して集団を形成して排他的になったり、教師や保護者に対して反抗したりするようになる。これを「チャムグループ(Chum-group)」と言う。”Chum”は「仲良し」という意味のやや古めかしい言葉で、もともとは男同士の友人関係について使われている。ギャンググループが行動の共通性に基づいているとしたら、チャムグループは言語を共有する。言語の共通性に立脚してグループを形成、類似性の確認がメンバーに友人関係を認識させる。こうした傾向は、中学生になると、顕著に認められる。
 
 高校生や大学生になると、類似性だけでなく、差異性に目を向けて友人関係を構築するようになる。この「ピアグループ(Peer-group)」では、「あいつはすごい」と一目を置いた友人関係も認められる。“Peer”は同僚といった意味である。人間関係において類似性だけでなく、差異性に目が向くように精神が発達するというわけだ。
 
 先に述べた通り、近年ではギャングエイジを経験しないまま成長するケースが増えている。それが乏しいまま、チャムグループに進み、その時期が長くなる傾向があるとされる。類似性ばかりに目が向き、差異性の意義を見出せない。差異性を認めるからこそ、ライバルと競い合って成長していこうという気になるものだが、それが起きない。高校の部活は言うに及ばず、プロスポーツのチームでも、メンバーが友人として和気あいあいとする光景もしばしば目にする。おそらくギャングエイジのショートカットがそれに影響しているように思える。
 
Mikey: Don't you realize? The next time you see sky, it'll be over another town. The next time you take a test, it'll be in some other school. Our parents, they want the best of stuff for us. But right now, they got to do what's right for them. Because it's their time. Their time! Up there! Down here, it's our time. It's our time down here. That's all over the second we ride up Troy's bucket.
(Richard Donner“The Goonies”)
 
 少々身体が冷えてきたので、「ゴーゴーハウス」に入る。「冒険の塔のっぴい」や「幼児コーナー・ピヨピヨ」、「おもちゃ湯」、「絵本の部屋・ヨムヨム」、「おしごとトレイン」、「ワークショップ・ゲームひろば」、「ちくちくハウス」などがあるとパンフレットが紹介している。それぞれ見学することにする。
 
 「冒険の塔のっぴい」はハウスの1階から3階まで突き抜けるアスレチックで、一番上まで登ったら滑り降りてくることができる。4歳以上が対象、未就学の子どもの場合は一人に、必ず大人が一人付き添うことが必要だ。
 
 「のっぴい」の向かいに「おもちゃ湯」ののれんが目に入る。軽く眺めてみることにする。実際の銭湯のように複数の湯舟があり、中に多くのおもちゃが入っている。壁には、銭湯でお約束の富士山、あるいは岩手富士の絵があり、時々噴火する。
 
 4歳未満のためのすべり台が「幼児コーナー・ピヨピヨ」に用意してある。ここは主に乳幼児対象で、ごろごろ寝っ転がるだけでなく、木製のおもちゃで遊ぶことができる。また、ベビーシートや授乳ができるスペースもある。このコーナーの傍に幼児用トイレが設置されてある。
 
 また、この児童館には身体を動かす遊び以外のスペースもある。「絵本の部屋・ヨムヨム」がそれだ。「幼児コーナー・ピヨピヨ」の隣にある絵本コーナーで、読書や読み聞かせができる。
 
 さらに、ごっこ遊びとして「おしごとトレイン」がある。車両の中で仕事の疑似体験ができる。ただ、寿司屋や郵便配達員など直接的に鉄道と関係がない職種も含まれている。他にも、思いっきり走り回れる「何でも広場」やごろごろ寝転んでアニメを観られる「子どもシアター“ぽけっと”」などもある。ゴーゴーハウスの地下に「トントン」があるそうだが、少々疲れてきたので、降りることはやめにする。
 
 新型コロナウイルス感染症対策として換気をよくするために、各所の窓が開いている。ハローハウスとゴーゴーハウスとをつなぐ「くらやみトンネル」がある。本来は、暗い中を進むと、さまざまな色の光に速いスピードで動きながら照らすそうだが、今はそうもいかない。
 
 遊びは、本来、自由で、自主的、自発的な活動で、年齢に応じて楽しみ、面白さを追い求める活動であり、子どもの身体的発達、知的発達を促し、人と人とを結びつける活動であるなど、子どもの健全な発達に重要な役割を担うものです。
(『いわて子どもの森の考え方』)
 
 テーマパークを代表に商業施設は、入場者をあらかじめ用意した物語の登場人物にして楽しみを与える。アトラクションに興じても、客が自ら物語を作る自主性はない。お仕着せの物語の中に受動的にいるだけだ。一方、子どもの森では物語が提示されていない。それを作るための材料が用意されているだけだ。ブロックや粘土を使った遊びに似ている。工夫する余地がある。
 
 大人にとって遊びは受動的である。それが遊びと見なされるのは、仕事と違い、選択肢の中から選ぶ裁量権があるからだ。そうした遊びはしばしば気晴らしや趣味と呼ばれる。仕事でたまったストレスを発散したり、利益など無視して熱中したりするだけでなく、中にはそこに居場所やアイデンティティを見出す人さえいる。しかし、仕事をせずに、それに興じていると、世間からブラブラしている遊び人や浮世離れした趣味人とまっとうな大人ではない冷ややかな目で見られるものだ。大人にとって遊びには苦や深いに対する快である。

森 ぼくらの若いころでも、「あの人はゴロゴロして」って悪口言うてたけど、その悪口には、ちょっと羨望の気持ちもあったりしてね。
杉浦 あくせくしてると、逆に格好が悪かったんですよね。あんなにあくせくしないと食えねえのか、甲斐性なしめ、みたいなこと言いますから、下町のほうでは。
職人さんには、出世したくないということを意気地として持っている美学がありましたからね。親方とだけは呼ばれたくないとか、先生と呼ばれるようになっちゃあおしめえよとか、そういう言い方がありましたから。最近ですね、そういうのが聞けなくなったのは。床屋の親方さえ、今は先生ですから。うちの父なんか、床屋が先生になっておったまげた、先生なんて呼ばれて照れないような床屋なんて、行きたくねえとかって言ってますよ。やっぱり、職人は照れがなくっちゃあいけないんじゃないかと思いますけどねえ。
(森毅=杉浦日向子『遊びをせむとや生れけむ』)
 
 かつては大いに働き、大いに遊ぶことが望ましい大人の男の流儀とほめそやされたものだ。ライフ・スタイルが仕事と遊びをわきまえつつ、その両方で周囲から一目置かれる人が理想と見なされる。遊びでの武勇伝が男の器とうそぶかれてもいる。他方、遊ばない男は仕事中毒やマイホーム主義者のつまらない人間と同僚から軽蔑されたものだ。
 
 もっとも、こうした理想は性別役割分業制の男性中心主義や高い給与水準を背景にしている。女性の社会進出が進み、そのようなパターナリズム的価値観はアナクロニズムでしかない。また、仕事と遊びの二項対立は、「仕事は苦痛だが、高い給料をもらっているのだから我慢して、その分遊びで楽しもう」という認識に基づいている。しかし、バブルの崩壊以降、給与所得は上がらず、雇用環境も悪化する。我慢できるほどのメリットが仕事にない。
 
 そんな状況で、「仕事は仕事、遊びは遊び」と割り切ることなどできない。そのため、企業は、給料の代りに、やりがいを提供せざるを得ない。そうした仕事なら、不快に対する会館としての遊びの意義の必要性は小さくなる。と同時に、遊びも金銭的放蕩ではなく、心理的満足へと変わる。もはや遊びの武勇伝など時代遅れと冷笑されるだけだ、
 
 大人にとっての遊びに関する認識は依然と異なっているが、子どもの遊びは、先に述べた通り、制約が多くなっている。大人の支援が必要である。ただ、勘違いが生じる危険性もある。
 
 確か、記憶が定かではないが、アメリカにこんな研究があったことを覚えている。子どもたちが遊ぶためのブランコを求めていると知った大人たちは、デッキチェア風を始めさまざまなアイデアを出す。けれども、子どもたちが欲しかったのは、木の枝にぶら下げられた単純なタイヤブランコだったということである。「結局、教科書というものは、生徒のためでなく、教師のために売られている。生徒に学びやすいことを目標にしていると売れず、教師に教えやすくすると売れる。実際に、採択の議論で、『教えやすい教科書』ということばを、何度も聞いた。教師にはとても使いにくく、生徒にはとても使いよい、そんな教科書を作ってみたいとは思うけれど、売れないだろうなあ」(森毅『もう一つの教科書問題』)。
 
 子どもを受動的存在と見ると、こうした見当はずれのことをしてしまう。シンプルで自分たちに裁量の余地があるものが遊びにはいい。子どもは自ら物語を作れる。だから、物語の押しつけは不要だ。大人は物語が作れない。そのため、既成のそれを求める。大人が子どもを受動的に扱う時、それは小さな大人として見ているに過ぎない。大人は、汝自身を知るために、子どもに大いに学ぶ必要がある。
 
 「子供は生まれた時、みんな天才だ。才能をこねくり回して駄目にするのが大人。親の尺度を押し付けたら、それ以上は見込めない」。
(黒澤明)
 
 紅葉の季節の平日とあって、来館客は家族連れが数組である。耳に届くのは木々の風に揺れる音で位で、人間の声はない。まるでハーメルンのようだ。秋の枯れた風景が余計に寂しく見える。これは春や夏の休日ともなれば、自然の発する音のみならず、子どもたちの声が響き渡っていることだろう。その光景は見ているだけで、顔がほころぶ。現在と過去だけでなく、未来もそこにはある。しかし、ハーメルンは未来のない場所だ。三つの時間が共存してこそ場所は生き生きとする。それは思い出として分かち合われ、同世代・い世代の間でつながっていく。かけがえのない人と共有された記憶が反芻される時、時間は過去・現在・未来を持つ。
 
 いわて子どもの森を後にし、明日の朝食には「カナン」のパンにしようと、奥中山高原まで足を延ばす。「カナン牧場」に直接行ったら、応対した女性職員がすまなそうにンは産直などに卸してもう残っていないと言う。確かに、出入口のすぐ傍にある棚に置いてある青いプラスチックのかごは空っぽだ。中に入ると、そこはホールで、労働者が昼食をとっている。メニューはよく見えないが、ホワイトソースのような香りがする。職員によると、予約をすれば、関係者以外でも食事ができるそうだ。
 
 「カナン牧場」は社会福祉法人「カナンの園」が運営している。これは1972年11月年に設立認可された知的障碍者の自立・共生を目的とした支援組織である。その名が示す通り、キリスト教の精神に基づいている。
 
 カナンの園は、同法人のサイトにおいて、「カナンの園のねがい」について次のように述べている。
 
「私達は、神につくられた大切な一人ひとりとして生かされています」
カナンの園はキリストの愛をもとに、障害者といわれる人々を中心として、全ての人が互いに尊重しつつ助け合って生きていく社会の実現をめざします。
 
 確かに、カナンのパンはおいしい。ただ、今は社会的・倫理的消費の時代であるので、それに適っている物を購入したい。戦後しばらくは大衆的・競争的消費の時代、隣にあるならうちも買おうというものだ。80年代を迎えると、個性的・文化的消費の時代に入る。それは自分らしいものが欲しいという消費行動だ。消費に物語を求めたのもそのためである。しかし、今は社会的・倫理的消費の時代だ。エコロジーやフェアトレード、共生、持続可能など社会的・倫理的問題へのコミットメントが消費行動の動機である。消費を通じて想像力がグローカルに拡張する。
 
 親戚にも知的障碍者がいる。接したり、その話を家族から聞いたり、自分で調べたりして学ぶことも多い。もしそういう機会がなかったなら、自分の認識はもっと狭くなっていただろう。
 
 その上で、「カナンの園の三本の柱」を次のように掲げている。
 
1 神に感謝しつつ歩む
2 共に学び、共に育つ
[施設に合った人をつくるのではなく、その人の成長の必要に応じた環境づくりをする]
3 連帯の輪を拡げる
[施設づくりは、枠づくりでなく、連帯し共に育ち合う家庭・地域・社会づくり]
 
 カナンの園初代理事は伊崎正勝元岩手医科大学皮膚科部長である。岩手県は1930年代から主に産業組合という形で地域医療に取り組み、その運動は全国でも最も活発である。たんなる行政区分ではなく、医療を中心とした地域コミュニティ形成を試みている。戦前は中央政府による公助が温情程度であったため、地域が共助の仕組みをとらざるを得ない。また、戦後は日本国憲法25条の生存権に基づく社会保障制度の確立にも岩手県人脈が奔走している。岩手県には地域医療を代表に共助の伝統がある。カナンの園もこの文脈でとらえるべきだろう。こうした事業は奇特な人たちが突然始めるわけではない。多くの人たちの熱意や努力という地の塩の上に生まれ育ち、成長していくものだ。
 
 知的障がい者の置かれた現状にショックを受けたのは全日本手をつなぐ育成会刊行の『私たちにも言わせて もっと2──元気のでる本』を読んだ時である。これは知的障がい者自身が執筆・編集した本である。個人的には、これまで読んだ作品の中で最も泣けたものだ。ただし、1996年に刊行されたものの、通販のみで、一般の流通ルートに乗らなかったこともあり、インターネットで検索しても、ほとんどヒットしない。事実上、知っている人の記憶の中にだけ存在しているにすぎない。
 
 この本には次のような文章が収められている。
 
にゅうしょしせつは きげんが ない。
だから こわい。
 
知的しょうがい者と 言われたくない。
普通に みんなと同じ、平等に みられたい。
 
私のなかにも さべつは ある。
それにまけないで なんでも 思ったことは
言ったほうが いいと思う。
 
「施設をでて、暮らしたい時がきたら そうさせてあげる」
そう 約束しました。
おとうさん、おかあさんが、この約束を わすれたとしても
僕は、この約束を 一日だって わすれていません。
僕は、でるために 努力しています。
 
しゅうしょくに しっぱいして ロッカーに いれられた。
 
十三年間 おしぼり屋さんで はたらいてきた。
でも どんなに がんばっても
さいてい賃金から あがったことがない。
障害者は 給料が やすくてもいい
という かんがえかたは おかしい。
あたらしくはいった おばさんに しごとを おしえて いるのに。
 
いい人がいれば 結婚したい。
タイプは 車をもっていて
ちょっと わるめが 好きです。
 
けっこんについて ゆめも ふあんも ある。
でも「あんたは むりよ」って いわれると かなしくなる。
じぶんでも なやんでいるのに。
かってに きめつけないでよ。
 
いじめられるのは お前のせきにんと いわれた
 
せいかつのことは おしえて もらえなかった。
だんたいで することばかり おしえられた。
だから グループホームにいったときに こまった。
 
同じことを するのにも、
一人ができるから、あなたもできるでしょ
という考え方は ちがうとおもいます。
 
母とふたりで 旅をするのが 好き。
その話をしたら
職員みんなが 「幸せと 思いなさい」という。
どう 思おうが 勝手でしょ。
そんな いいかた やめてほしい。
 
しせつの生活が いやになることが ある。
外出を もっと じゆうにしたい。
いつかは、社会にでて はたらきたいという
つよい希望が あります
 
親が年をとり、私はどのように 生きていったらいいか 考える。
友達や 地域の人と なかよくしていこうと思う。
 
先生に すごく反対されたけど、産みました。
子育ては 大変だけど、来年 保育園に いれようと思う。
 
涙の数だけ しあわせがくるって 本当かな
あたし 涙が でるけど
しあわせは まだきてないよ
涙の数だけ しあわせがきたら
どうしようか 迷うよな
 
 これが人の心を打つ文章というものだ。心の中の思いを言葉に紡ぐとはこういうものだ。仲間内で文学と称して戯れている物語など恥ずかしくなる。しかし、そのようなぬるい小説がもてはやされ、こうした真の言葉が社会と分かち合う機会を得られず、忘れられていく危険性がある。
 
 カナンの園の職員に教わった産直に向かい、そこで山形パンを購入する。それを済ませ、女性販売員に、近くに食事のできるところがないかと尋ねると、一戸町の新岩手農業協同組合の敷地にある「結カフェ」を進められる。
 
 「カフェ」なので、コーヒーにトースト、ナポリタンなどの軽食の店なのかと思っていたら、とんだ勘違いである。1時も過ぎていたが、待つ程ではないけれど、店内は結構客が入っている。4人掛けのテーブルが四つ、2人掛けが二つほどある。メニューには単品の他、各種麺類・定食が並ぶ。県北のレストランや食堂には、カツカレーがメニューに入っていることが多い。せっかく県北に来たのだからとカツカレーを頼んでみることにする。以前に参議院の食堂で食べたカツカレー同様のボリュームだ。JAで店を構えてあるだけあって、米も野菜も肉もうまい。
 
 別荘に戻る途中、ベルフ八幡平に寄り、夕食の食材を買う。ワンタンの鍋を考えていたが、店内にそれがない。キックボクサーの沢村忠は、カネのない修業時代、ワンタンを食べていたと言われる。けれども、今は必ずしも食卓の身近な食材ではないかもしれない。ヒラメの刺身を買う。そのモツももらい、味噌味の鍋の素に混ぜることにする。
 
 虫が多いので、生協と併設している薬王堂で虫よけ用品を購入することにする。若い女性の店員に事情を説明する。背は163cmくらいで、引き締まった感じで、黒髪を後で縛って、快活な女性だ。彼女の話し方や接客態度は親しげで、おそらく都市部のホームセンターと変わらない。そういった違いは都市と地方の間で消えたと思える。寝ている時に耳に虫が飛びこんできて目が覚めたと話すと、「うわ~、いや~」と彼女は顔追いパブロ・ピカソの『泣く女』のように歪める。要求に応えるべく彼女も知恵を絞るが、コオロギのサイズの虫の駆除に適したものはないと残念そうに告げる。ゴキブリホイホイが今のところ最善の策のようだ。
 
 別荘に着いたら、さっそく風呂掃除をして沸かす。ベンジョコオロギには現時点でゴキブリホイホイが最も効果的なので、追加しておくことにする。食事の前に風呂に入る。
 
 夕食は、ヒラメの刺身、ヒラメのモツと味噌ベースの鍋、食後はリンゴを食べる。ウォーキングは11495歩だ。都内の新規陽性者数は177人、死者2人である。
 
 今晩が最後なので、風呂上がりのビールは3缶と少し多く飲む。名残惜しく、青空文庫の国木田独歩の『武蔵野』をiPhoneの読み上げソフトで聞く。独歩は自身の1896年の日記を引用している。それによると、12月2日に初霜、同22日に初雪が記録されている。今の東京よりも代替半月ほど早い。東京がこの間に温暖化したことは確かだ。過去は日記を通じて現在につながる。『武蔵野』は日本伝統の日記文学でもある。しかし、近年、サイバー空間には溢れているのに、文芸誌で日記文学をあまり見ない。物語に居場所を見出す前に、汝自身を知る方が先だろう。
 
 これだけ屋内に虫がいるのに、窓を開けても、外から鳴き声一つ聞えない。ただ、サウンド・オブ・サイレンスがあるだけだ。ただの現在には過去も未来もない。しかし、現在という時間の厚みを増すことはできる。やはり9時を過ぎると、眠くなってくる。自然のリズムに身体がシンクロしているのかもしれない。枕元のゴキブリホイホイを確かめて布団に入る。2匹ほど捕まっていたが、もういないだろうと心に言い聞かせて眠る。
 
 真理の標識としての論理的精確性、透徹性(「真であるすべてのものは、明晰判明に知覚される」、デカルト)。このことでもって世界の機械論的仮説が望ましいものとされ信ずべきものとされている。しかしこれは、「単純さが真理の標識である」という一つの粗雑な取りちがえである。事物の真の性質が私たちの知性とこのような関係にあるということは、どこから知られるのか? --その関係は別様のものではなかろうか? 私たちの知性に権力と安全の感情を最も多くあたえる仮説が、この知性によって最も優遇され、尊重され、したがって真と表示されるのではなかろうか? --知性はおのれの最も自由な最も強い能力や性能を、最も価値多いものの、したがって真なるものの標識として立てる……
(ニーチェ『権力への意志』553)
 

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