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体罰と身体知(2013)

体罰と身体知
Saven Satow
Nov. 05, 2013

「月に向かって打て!」
飯島滋弥

 体罰のニュースが後を絶たず、さすがに改革の動きが出ている。2013年11月05日付『読売新聞』によると、学校以外の地域のスポーツチームなどで起きる体罰をなくそうと神奈川県体育協会は来年4月から、体罰相談窓口を設置する方針を固めている。週に数回、電話の受付時間を設ける他、メールやファクスでも相談に応じる。従来は寄せられた相談に個別対応してきたが、今後は県体協に加盟する各市町村の体育協会や競技団体など89団体と協力して、調査するとしている。

 これほど体罰がスポーツ現場で多いとなると、指導が形式化されていなかったと考えざるを得ない。体罰が使われるのは、往々にして身体知が関わる場面である。身体知は暗黙知とも呼ばれ、潜在学習によって体得される。これは反復練習を通じて規則ではなく、手続きとして身体に記憶されるため、その過程を言語化するのが難しい。スポーツのみならず、芸術や技能、ゲーム、言語など身体を使う分野一般にそれは見られる。

 スウェーデン出身のアンダース・エリクソン(K. Anders Ericsson)フロリダ州立大学教授は熟達に関する認知心理学の研究で知られる。彼は、ベルリンの音楽学校で、バイオリニストについて身体知の研究を行っている。その際、学生を最優秀・優秀・普通の三分類し、さまざまな調査結果との相関性を分析している。

 このレベルの差を最も明確に説明づけるのは、18歳までの累積練習量である。最優秀グループは8,000時間、優秀グループは5,000時間、普通グループは3,000時間の練習量である。ちなみに、バイオリンを8歳から始めて、10年間で8,000時間練習をするには、1日平均2時間は割く必要がある。

 バイオリンの演奏は身体を使う。具体的で、複雑な行為である。反復練習を通じて身体に知識を記憶させなければならない。練習量が多いほど身体知はより体得される。上達するには練習量が必要だ。

 この研究結果は日本のスポーツ関係者にもよく知られており、彼らはしばしば言及する。ただ、概してその引用は不十分である。彼らは反復練習の大切さを訴えるために、この結果を引用する。考えなくても、身体が反応するくらいになるまで練習しなければならない。練習は嘘をつかないというわけだ。

 身体知はより多く反復練習することによって体得される。コーチの仕事は、だから、それを続けられるようにすることだ。このような発想に体罰が入りこむ余地がある。

 確かに、身体知は繰り返しの中で身体に知識を記憶させる潜在学習によって体得される。だから、反復練習はもちろん不可欠である。しかし、エリクソンの研究には続きがある。これは高い技術の習得の理由を明らかにしているのであって、創造的な演奏に関する分析結果ではない。

 創造的な演奏をするためには、ただ技術が高いだけでは足りない。音楽についての深い理解が必須である。それには身体知を検証できるメタ認知を会得しなければならない。考えなくても、身体が反応するレベルはまだまだ一流ではない。

 音楽に関する深い理解の例としてよく挙げられるのがヨハネス・ブラームスのエピソードである。1853年、20歳のブラームスは、ある演奏会場で、ピアノが半音低く調律されていることに気づく。間の悪いことに、その時はバイオリンとの協奏である。時間がなかったため、ブラームスは半音上げてピアノを弾き、バイオリンと協奏するという離れ業をやってのける。

 身体知は手続きとして体得した知識である。これを形式化して規則として認識し、身体知と照らし合わせることで、音楽をより深く理解できる。オラリティとして体得された身体知をリテラシーである形式知へと転換することによって、音楽への認識がより進化する。

 考えなくても身体が反応するとはネイティブになることである。「ネイティブ」は言語を潜在学習を通じて暗黙知として体得した人のことである。彼らは言語を規則ではなく、手続きとして会得している。規則を尋ねられても、往々にして答えられない。もっぱら内省によってのみ用法の正誤を判断するので、メタ認知は希薄である。母語を巧みに使えても、その理解は決して深くない。

 ついでに言うと、幼い頃からデジタル機器に触れて育った若者を「デジタル・ネイティブ」と呼ぶが、彼らもネイティブの点では同じである。機器を使えても、わかっていない。そこに限界がある。ネイティブが何たる川理解していないと、彼らに過剰な期待を抱く。

 不世出の天才ピアニストのグレン・グールドは、演奏中に、自分の姿が見えると言っている。その光景に合わせてピアノを弾くと、思った通りの音が出る。これはまさにメタ認知である。身体知を体得した自己を見つめ、調整を絶えず行う。自分が見えるようになってこそ一流というわけだ。

 身体知は獲得された後、メタ認知によって形式化されることによってさらなる上達が可能になる。真に重要なのはメタ認知である。コーチの仕事はメタ認知の獲得を支援することだ。プレーヤーはメタ認知としてコーチを必要とする。コーチに求められるのは、具体的で複雑な身体知の言語化である。言語化はそれを抽象化して構造化すること、すなわち形式知にすることだ。体罰はこれができない無能の現われにすぎない。扱う領域に関する深い理解のないものがコーチになるべきではない。
〈了〉
参照文献
Ericsson, K. Anders. “The Road To Excellence: the Acquisition of Expert Performance in the Arts and Sciences, Sports, and Games”, Lawrence Erlbaum, 1996

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