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「なりたい私はスマホの中」とメーク(2020)

「なりたい私はスマホの中」とメーク
Saven Satow
Nov. 24, 2020

「ソクラテスは若者たちに、たえず鏡に自分の姿を映してみて、美しければそれにふさわしい者となるように、また醜ければ、教養によってその醜い姿をかくすようにせよと勧めた」.
ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ」。白雪姫の継母が鏡に尋ねたように、いまの女の子はスマホのカメラアプリを頼る。アプリは顔を自然に加工し、美しくなった自分を教えてくれる。「アプリの顔に現実でも近づきたい」と願う女の子は、肌をきれいに見せる基礎化粧品やベースメークへの出費を惜しまない。なりたいわたしは、画面の中にいる。

 井上みなみ=松本千恵記者による『日本経済新聞』2020年8月26日2時00分更新「なりたい私はスマホの中 アプリが変える現実メーク 」はこのように始まります。従来、「女の子」は「なりたい私」をセレブなど憧れの対象を「鏡」にして見出していたものです。理想を自分の外部に求めて現実の私がそれに近づけるようにメークするわけです。ところが、今はそうではありません。自撮りした自画像を加工し、それを理想として現実の私が同一になるようにメークにいそしむのです。「なりたい私」は潜在的な自己です。そのため、雲の上の理想に比べれば、実現可能性はおそらく高いと言えます。

 この記事の伝える興味深い同時代的流行について考えてみることにしましょう。

■憧れは芸能人ではない
女子高生に見せてもらった最も「盛れ」ている写真
「『加工』っていう顔で生きてきた」。都内の学校に通う坂本りんなさん(18)と金丸晴香さん(17)はカメラアプリと顔の関係について、こう話す。彼女たちがめざすのは芸能人の顔ではない。アプリでかわいく「盛れた」自分の顔だ。
スマホには肌がきれいに映るものや加工専用など、カメラアプリが十数種類入っている。かわいく見える写真を撮ろうと、自在に使い分ける。

 「盛れ」は「盛れる」の命令形ではありません。画像をアプリによって加工して実物よりかわいく、または美しく盛りつけることです。「盛れる」はその名詞の動詞形ということになるでしょう。「盛る」の可能、すなわち「盛ることができる」ではありません。この「女の子」は自身のポートレートを撮った際、そのままにせず、目的や用途に応じて複数の加工アプリを利用して編集しています。自撮り写真をデコレーションしているというわけです。

 ただ、こうした加工は従来の写真の修正とは異なります。他社に実物よりよく見せたいからではなく、「女の子」にとって実現すべき理想像です。写真は写真、実物は実物と分けて考えていません。目標を発見するために、画像を編集するのです。

■肌とアイメーク重視
メーク研究にも余念がない。特に意識するのは肌とアイメーク。「加工するとメークが白く飛んでしまう。写真映えするよう、発色を意識する」。ツヤの出るジェル状のアイシャドーを使い、ニキビが気になるときはグリーン系の下地でカバー。アプリが映してくれるような、明るく透明感のある肌をつくる。
加工が難しい動画撮影は、よりメークの技術が求められる。「動画のメークは『強め』。ハイライトを入れ、チークや涙袋も濃く描く」。こう話すのはユーチューブなどで頻繁に発信する女子高生、りーたん(17)。撮影場所に十分な自然光があるのかを意識してメークを直す姿勢に、プロのカメラマンも舌を巻く。
メディア環境学者の久保友香さんは「虚構が現実のメークに影響を与えているのは、今に始まったことではない」と指摘する。かつて注目されたパーツは目だった。

 一般用と撮影用のメークは異なります。しかも、加工を前提にした場合、それを考慮する必要があります。

 白飛びは適正露出を超えて明るくしすぎることで生じます。かわいく加工したいのですから、明るく見せようとしますので、白飛びが起きやすくなります。これを防ぐためには、発色のいいメークをしてデジタルカメラが捉えやすくすればよいのです。また、「ニキビが気になるときはグリーン系の下地でカバー」は光の3原色から理解できます。ニキビは赤みがあります。それにグリーン系の下地を塗って撮影して加工すれば、軽く黄色みがかった明るい肌に写ります。ネットから情報を得たのか、経験的に体得したのかはわかりませんが、なかなかの知識です。

 さらに、記事で紹介されている動画撮影のコツは興味深いものです。「女の子」が語るテクニックは自然光を十分に利用して、「強め」のメークをするなどは初期の映画撮影の技法です。サイレント映画は音を気にする必要がないので、スタジオではなく、光亮が十分にある屋外で撮影するのが標準です。その環境下で薄めのメークでは顔がのっぺりするなどカメラ映りがよくありません。チャーリー・チャップリンの時代に培われたノウハウを現代の「女の子」が再現しているというわけです。

■肌の技術進化「自分がきれいに」
放課後にカメラアプリに映えるメークを研究する女子高生
2003年ごろ、「プリクラ」などのプリントシールで目をくっきりさせる機種が生まれた。プリントシールで自分をきれいに見せようと、現実のメークを研究する女の子が急増した。
「ガラケー」の登場も大きい。2000年代後半になると画像処理技術が進化し、コミュニケーションの場としてのブログも誕生。つけまつげやカラーコンタクトといった化粧雑貨も一般的になり、顔や目だけを撮り、画像を送りあうコミュニケーションが盛んになった。
そんな「目」に比べて「肌」の画像処理は難しく、のっぺりとした印象が残った。10年ごろから陰影が作れる技術が登場し、カメラアプリも進化した。若者に人気の「SODA」は加工の程度を調節できるので「盛っているからではなく、自分がきれいになった」ように見せられるのが売りだ。久保さんは「ナチュラルに盛れるアプリと、現実のメークに目が慣れたのだろう。当初は違和感を覚えた人も、別人感を感じなくなった」と話す。

 メークにおいて目が注目されやすいパーツであることは、戦後の女性化粧品の流行からも理解できます。1960年代、女性の美意識が深窓の令嬢から太陽の下の健康美に変わります。1966年に発表された前田美波里の資生堂「ビューティーケーク」のポスターがその象徴です。70年代に入ると、パーツのメークが強調されるようになります。その代表が1976年の資生堂の「ゆれる、まなざし」です。これはシャドウやハイライトの広告キャンペーンで、アイメークに特化しています。この話題作を皮切りに、アイメークのみならず、リップやチークなどパーツを強調した広告戦略を各メーカーがとっていきます。

 スキンケア化粧品は開発・広告されてきましたが、従前、必ずしも印象に残る流行はありません。それが変わるのが1997年ころに起きた美白ブームです。98年、松田聖子を表紙に、「コスメ」を前面に出した美容雑誌『VOCE』が創刊されます。「コスメ」は日本において「美顔」の意味で主に使われていますので、肌の美しさもそれに含まれます。当初は白く見せることが目的で、美肌が追及されていたわけではありません。けれども、2000年代半ばすぎには美肌が美容の重要な関心対象になっています。

 画像の編集・加工技術の発達もこうした歴史をたどっています。なるほどハードウェアの処理能力の向上やそれを生かしたソフトウェアの開発はメークの歴史と関連しているわけではありません。ただ、画像の解像度が低ければ、目元のように目立つパーツへの欲求でとどまっていても、高まれば、肌がより鮮明に映し出されますから、その加工を「女の子」が求めるようになるのも当然の流れです。4K放送が始まると聞いた時のベテラン女優たちの肌をめぐる狼狽ぶりからもそれは理解できるでしょう。

■コロナ禍でも売れる
女子高生が持ち歩いている化粧品
化粧品口コミサイト「アットコスメ」を運営するアイスタイルは「アプリで加工された肌を日常的に見るうちに、加工された自分が理想と考える人が増えた」と分析する。現実でも理想の肌に近づこうと、「トーンアップ」や「素肌感」など肌の仕上がりをうたうアイテムが人気を集める。
ロート製薬の色付き日焼け止め「スキンアクアトーンアップUVエッセンス」は、外出自粛により日焼け止め市場が落ち込むなか、1月27日週から6月29日週までの販売個数が前年同期比で1割増だった。「透明感のあるアプリのような肌」を演出する化粧下地の需要は根強くある。

 アプリで肌を加工すると、それが自分にとっての理想になります。実物を修正した写真にとどまらないのです。「女の子」は加工した自身の肌に実際のそれも近づけようとふさわしい化粧品に手を伸ばすようになったというわけです。

 外出機会が減っていますので、日焼け防止用品の購入は控えるものです。けれども、SNSに画像・動画を投稿したり、リモートによる仕事・社交が増えたりしています。美肌への関心は高まることは合っても低下することはありません。

 一般家庭の照明は光量が少ないので、「女の子」は肌を明るく見せるメークを求めることになります。特に、スタジオと違い、横から照明を当てて、顎の影を消すことはおそらくしていないでしょう。この影が残ると、表情の印象がきつくなりますから、やわらげるためにも、透明感のあるメークが必要になります。

■「#ぴえんアイ」になりたい
吉田朱里さんがプロデュースするB IDOLの「グリッターライナー」は「#ぴえんアイ」になれると話題に
SNS(交流サイト)発のメークもある。泣いていることを示す擬態語「ぴえん」が涙目の絵文字とともに親しまれているなか、現実でも「#ぴえんアイ」「#ぴえんアイメーク」という手法が生まれた。泣いている、もしくは泣いた後のような目元が特徴で、下まぶたをラメでキラキラ見せる。「泣いた後のような、うるうるきゅるんきゅるん感が出る」と若者が熱狂している。
アイドルグループ、NMB48の吉田朱里さんがプロデュースするブランド「B IDOL(ビーアイドル)」が6月に発売した「グリッターライナー」は「宝石のようにラメが反射して、瞳に光とうるおいを与えてくれる」と口コミが拡散。7月末時点で18万本を超えるヒットとなった。
コロナ禍で口紅やファンデーションといった商品は打撃を受けた。しかし、手洗いの回数が増えたことで鏡で顔を見る機会が増え、肌荒れを認識する人が「オンライン映え」のためにフェースパウダーやコントロールカラーを購入する動きも出てきた。
仮想現実(VR)を誰もが使いこなす時代は目の前に来ている。「技術がカルチャーをつくる」と久保さんが指摘するように、新たなトレンドやライフスタイルも生まれるだろう。いつの時代も現実と虚構の間で、乙女は高みをめざす。

 外出する際はマスクを着用しますから、リップやファンデーションではなく、メークは目元や眉に関心が向かいます。「女の子」がアイメークに流行や自己主張を見出すのは自然の流れです。目は口ほどに物を言うのですから、アスクで隠れる表情を補うメークも考案されます。B IDOLの「グリッターライナー」による「#ぴえんアイ」はそう理解できます。

 ただ、虚構を強調したファッションは過去にも認められます。90年代後半に流行した「ガングロ」は虚構性が強いファッションです。中でも「ヤマンバ」は、その名称が示す通り、架空の超自然的存在を思わせるキッチュなもので、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」を思い起こさせます。

 現在、化粧品メーカーはパーツを強調した広告戦略をとっていません。細分化はさらなるそれを招き、市場を小さくしてしまいます。また、部分の総和が全体ではありません。部分はあくまで全体の美しさに奉仕るものです。代表例が2006年の資生堂の「日本の女性は、美しい。」です・これはシャンプー「TSUBAKI」のキャンペーンですが、髪の美について直接的に触れていません。

 今のメークの流行は、従来と異なり、外発的です。廃れて、新たなブームが始っているわけではありません。新型コロナウイルス禍の環境変化が影響しています。マスクの着用や巣ごもりだけでなく、頻繁な手洗いのため鏡で自分の顔を見る機会が増えたこともそうです。自身を対象化して認知するようになったことも、スキンケアへの関心が高まる一因です。

 最近のメークは大きな流行の中の小さな自己表現というより、コミュニケーションとして捉えられています。ファッションは美意識を共有するコミュニティを形成し、それが流行として後に振り替えられることも少なくありません。60年代半ばの「みゆき族」や90年代半ばの「アムラー」など多くの例があります。けれども、今は外部に理想を持ちませんので、そうした集合を見出すことは困難です。それはSNSを通じたパーソナルな共感でしょう。

 ただ、女性の間で自分のスタイルへの固執があり、近年、大きなブームが起きていません。「なりたい私」を自分にすると、実現可能性が優先されますから、ファッションがおとなしく中道になりがちです。大胆や奇抜、斬新といった挑戦の意欲は弱くなります。画期的な革新を自分なりに消化していくことも美意識を磨くためには必要です。逸脱がなければ、発展もありません。それを承知しているから、憧れに代わって虚構に理想を求めることにもなるのです。

 今後の技術革新はさらに自分自身を対象化する認知を「女の子」にもたらすに違いありません。それはどういう私になりたいのかという問いに直面しますから、答えである物語を求めるようになります。「なりたい私」は物語のヒロインで、まさに「乙女」の目指すべき「高み」です。近いうちに、「物語的メーク」の時代が到来することでしょう。
〈了〉
参照文献
井上みなみ=松本千恵、「なりたい私はスマホの中 アプリが変える現実メーク」、 、『日本経済新聞』、2020年8月26日2:00更新
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62788980Z10C20A8I00000/?fbclid=IwAR0ew3p707c8E1fUDMAl2CYA-OZNeRWURgSE5_H7vEzAOfJfgomfaQT5RIU


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