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ジョン・スチュアートとハリエット(5)(2005)

8 True Love Never Runs Smooth
 一八四九年、妻の看病のかいなく、彼女に決して少なくない金額の遺産を残し、ジョンが癌により他界する。喪が明けた五一年、二人は誰も招待客のいない結婚式を挙げ、晴れて、彼女は「ハリエット・テイラー・ミル(Harriet Taylor Mill)」と呼ばれるようになる。その際、ジョン・スチュアートは、自らの男女同権の理論に忠実に、夫に認められていた妻に対する不平等な権利を放棄している。

 ロンドン郊外のブラックヒースに子供たちと共に移り住んだものの、結婚後一年もしない間に、二人の結核感染が判明したため、療養目的で、ジョン・スチュアートは会社勤務により休暇をすごすだけだったが、お気に入りのアヴィニョンに居を移し、新たな生活を始める。永遠に続くのではないかと気をもむほど会話は弾み、笑顔がいつも絶えない。一緒にピアノを弾いたり、野原を植物採集して回ったりするなど待ちに待った穏やかな時が彼らを包んでいる。そこにハリエットがいるのを見たとき、ジョン・スチュアートは「ああ、幸せとは、もしかしたら、こういったものだったのか」としみじみ思う。しかし、それは七年半続いた後、突然、幕を閉じる。一八五八年一一月三日、風邪をこじらせたハリエットがこの世から去ってしまったからである。

Stand beside me all the while no matter what goes wrong
Separately we're weak, together we'll be strong
For true love never runs smooth, but I don't care
'cause true love is worth all the pain, the heartaches and tears
That we may share.

la-la-la-la-la-la-la

When the world outside my arms is pulling us apart
Press your lips to mine and hold me with your heart
For true love never runs smooth, that's what they say
But true love is worth all the pain, the heartaches and tears
We have to face.

la-la-la-la-la-la-la

For true love never runs smooth, that's what they say
But true love is worth all the pain, the heartaches and tears
We have to face.

la-la-la-la-la-la-la
(Hal David & Burt Bacharach “True Love Never Runs Smooth”)

9 The Look Of Love
 一人になってから、彼は何の気もなく彼女をふと思い出すと、あの『回想録』に触れたときのごとく、とめどもなく涙が溢れてくる。いくら泣いたとしても、涙の枯れることはない。しかし、そのとき、ほんのりと心が温かくなる。反芻し続けるうちに、前と同じように、ハリエットは彼に語りかけ、癒し、励まして、力を与えてくれる。彼女が自分の涙にそっと口づけをしてくれた気さえする。それは幻覚ではない。一緒に暮らし、一緒に月日を重ねた時に後悔はない。そもそも人生とはあてがはずれるものだ。ジョン・スチュアートは、『自由論』の中で、愚かな行為を含む個人の自由を認め、その自由の前提として「他人に危害を加えない」と付加している。ジョン・スチュアートにしても、ジョンにすまないという気持ちがなかったわけではない。人がどう思おうと、誰もがその名前を忘れたとしても、彼女は、間違いなく、彼にはかけがえのない女性である。思い出を何度も反芻し、「人生とはこういうものだったのか」とその味わい深さを実感する。そこはもう一つの世界である。了見が狭い世間の陰湿な陰口の悪意がいらつかせることはもうない。ジョン・スチュアートとハリエットは十分耐えてきたが、それをわかろうとする人はほとんどいない。迷惑なことばかりしていると眉をひそめるだけである。二人は、無条件に、愛を信じている。それは、世間から見れば、愚かなことだろう。喪服の女王の時代、か、多くの人々は愛という厄介なものなど信じてはいない。打算で生きる彼らには、損得勘定から、条件つきで愛を口にするだけでしかない。愛を信じられない人は二人と離れていくほかない。けれども、愛と共に生きていくとすれば、ジョン・スチュアートとハリエットはああするしかない。ジョン・スチュアートにとって、書くことはハリエットを愛することと同じである。愛を信じているがゆえに、ジョン・スチュアートはあらゆる事象を考え、書き続ける。たとえその名前が記されていなくとも、論理学だろうと、経済学だろうと、政治学だろうと、彼の著作にはハリエットの姿が見える。ハリエットとの愛は、ジョン・スチュアートを思いもよらぬ高みにまで連れていく。彼は幸福を心から感じつつも、一人になった苦痛が消えることはない、しかし、苦痛のあるまま生きられる気がする。と言うのも、愛とはどうしようもなく、そういうものだからである。

The look of love is in your eyes
A look your smile can't disguise
The look of love is saying so much more than just words could ever say
And what my heart has heard, well it takes my breath away

I can hardly wait to hold you, feel my arms around you
How long I have waited
Waited just to love you, now that I have found you
Don't ever go You've got the

Look of love, it's on your face
A look that time can't erase
Be mine tonight, let this be just the start of so many nights like this
Let's take a lover's vow and then seal it with a kiss

I can hardly wait to hold you, feel my arms around you
How long I have waited
Waited just to love you, now that I have found you
Don't ever go
Don't ever go

I love you so
I love you so
I love you so
(Hal David & Burt Bacharach “The Look Of Love”)

 結婚後の自作について、ジョン・スチュアートは『自伝』で「完全に妻の考えを解説したもの」であり、「二人の合作である」と言っている。これは彼がハリエットの思考を化学反応させた「触媒」として機能した、すなわち彼女と出会うことで、「触媒」という生成を自覚したことを告げている。ジョン・スチュアートは、ハリエットを通じて、世界に接する。彼は直接的にそれを見ることはなく、そのために、媒介性を必要とする。

 最初から、ジョン・スチュアートは触媒という認識を抱いていたわけではない。東インド会社に出勤する途中、公園で捨て子の死体を見て、労働者階級の置かれている現状にショックを受けたジェイムズの息子は、正義感に燃える若者らしく、産児制限のビラを配り、これにより、短期間ながら、投獄されている。彼自身が積極的に活動しようとした結果、例の陰鬱な精神状態に陥った際の自問自答につながり、触媒として目覚めるまで、不安定さを克服できていない。彼は、「自律」を説いたイマヌエル・カントと違い、自立という概念を肯定的に捉え、依存が情けない独立心の欠けた未熟さという近代的な通念を斥ける。その後、ジョン・スチュアートは、ハリエットを通じて、共生の重要性を認め、それを触媒が可能にすることを確信していく。

 触媒(Catalyst)は、化学反応において、その反応を加速・減速させる物質であり、触媒自身は反応の影響を受け、反応中間体を形成するものの、最終的には、見かけ上、不変であって、酵素は最も強力な触媒である。促進剤、あるいは助触媒と呼ばれる触媒はそれ自体は触媒機能を持たないが、触媒の活性を増大させる。触媒のメカニズムについては不明の点も多いが、化学反応を促進させる原因は反応物質と触媒が反応中間体を形成し、最終的に反応生成物となる過程での活性化エネルギーがそれを用いない場合より低くなるためである。

 「反応中間体(Reaction intermediate))は複数の素反応からなる反応において最終生成物へと変換される各素反応の生成物を指し、概して、不安定で単離できず、一つの素反応において原料から生成物へ反応する途中のエネルギーの高い状態は「遷移状態」であって、それと区別する。

 触媒は、均一触媒と不均一(接触)触媒に二分できる。前者の反応は溶液内で反応が進行するので、溶液化学に接近し、後者では触媒表面で進行するため、界面化学に近づく。いずれにしても、触媒は、多くの場合、有機化合物が反応に関与する。均一触媒反応の一例は、酸化窒素を触媒として二酸化硫黄を酸素と反応させて三酸化硫黄を形成する反応であり、この反応では中間化合物である二酸化窒素を一時的に形成した後、二酸化窒素が酸素と反応して酸化硫黄を形成し、反応終了時の酸化窒素の量は反応開始時と変わらない。他方、不均一触媒反応の例は、白金微粉を触媒として、一酸化炭素を酸素と反応させ、二酸化炭素を形成する反応であり、排気ガスから一酸化炭素を除去するために、自動車に装備される触媒コンバーターで使用される。近代の環境問題は、環境に価格がないという素朴な理由、すなわち市場経済の根本的な欠点である外部性から派生しているわけだが、その技術的な解決策の一つとして触媒が利用されている。

 触媒の利用の歴史は古く、中でも、チーズのレンネットなどの酵素触媒やアルコールからエーテルを合成するための酸触媒は知られていたものの、触媒反応と量論反応の区別がつかず、触媒自体が研究されることはなく、一八世紀になって、粘土によってエタノールがエチレンに変わる反応から、ジョゼフ・プリーストリーがその存在を発見している。イェンス・ベルセリウスが何らかの作用によって結合を切断する作用のことをギリシア語の解くという言葉から「触媒作用(Catalysis)」と呼び、「始めに言葉あり」の通り、触媒の構造や性質、触媒反応の反応機構、触媒の設計などを研究する「触媒化学(Chemistry of catalysis; Catalyst chemistry)」が始まる。

 触媒は、当初、特殊な触媒力とでもいうべき力によって触媒作用を生み出していると考えられていたが、ヴィルヘルム・オストワルトが触媒の定義を「反応速度を変えるが、平衡を変えないもの」とし、酸や塩基が触媒であることが認知される。第二次産業革命期に、化学工業が発展するに連れて、オストワルト法やハーバー・ボッシュ法によって化学製品が製造されるようになると、触媒の重要性が認識されると、触媒化学は飛躍的に発達し、今では、触媒と担体や助触媒の組み合わせを通じた効率的な触媒の開発、触媒の形状や形態別の性質の解明、電子顕微鏡やX線回折による触媒の構造解析などに至り、化学工業の八〇%は触媒反応を利用している。

 触媒化学の草創期に生きたジョン・スチュアートは触媒を体現している。ハリエットが生きていた間は、均一触媒的であり、亡くなってからは、接触触媒的になっている。触媒であるために、反応中間体になったと自分では感じていても、外から確認できず、彼の独創性はさりげなくしか現われない。二つの相反する理論を、自らが触媒になることで、化学反応させ、両者は共生する。理論は社会を変えるのではなく、触媒として、変化に寄与する。近代の哲学者たちは、押しの弱い者を弱虫と足元を見られ泣き寝入りするだけとばかりに、自説の独創性を声高に社会へ訴える。

 しかし、ジョン・スチュアートから見れば、アジテートはおこがましい思い上がりにすぎない。大声で何かを押しつけたところで、強引に量で質を押しつぶそうとしているにすぎず、しこりを残すだけである。論理学も、経済学も、政治学も、社会にとって触媒であって、過信すべきではない。控え目に納得させるような独創性は、見かけとは裏腹に、むしろ、革命的である。

 晩年のジョン・スチュアートの最大の関心事は女性の権利拡大であり、『女性論(The Subjection of Women)』(一八六九)で女性の権利拡大はたんに女性にのみ利益があるのではなく、男性にも有意義だと優美に説明する。近代の産業革命によって、労働する女性や貧困から悲惨な生活を送る女性が生まれ、婦人問題が出現する。女性は男性の肉体的優位によって隷属させられ、厚かましい暴力と恥知らずな策略が社会を悪化させるので、男女は平等にすべきである。けれども、権利の獲得が最終目的ではなく、そこからさらに尊厳の獲得へと進まなければならない。権利は議会で多数派を握れば、獲得でき、量に属するが、尊厳はそれでは達成できない質的なものである。権利は尊厳を実感するための第一歩である。尊厳は共生に立脚する。ジョン・スチュアートは、触媒として機能することで、このように尊厳の問題を提起している。彼が目指していたのは尊厳の論理学であり、尊厳の倫理学であり、尊厳の経済学であり、尊厳の政治学にほかならない。

10 What The World Needs Now Is Love
 ハリエットの死後、彼女が葬られた大理石製の墓の近くにささやかな家を購入したジョン・スチュアートは彼女の長女で、後に「社会民主連盟」という社会主義団体の創設に協力するリリー、すなわちヘレンに支えられながら、執筆をしたり、会合に参加したりしている。少数意見の尊重を勧めた思想家らしく彼は、イギリスの世論に反して、南北戦争では奴隷解放の点から北軍、普仏戦争の際にナポレオン三世の無分別さを嫌ってプロシアを支持して周囲を驚かせたものの、疎遠になっていた家族や友人とも和解している。

What the world needs now is love, sweet love
It's the only thing that there's just too little of
What the world needs now is love, sweet love,
No not just for some but for everyone.

Lord, we don't need another mountain,
There are mountains and hillsides enough to climb
There are oceans and rivers enough to cross,
Enough to last till the end of time.

What the world needs now is love, sweet love
It's the only thing that there's just too little of
What the world needs now is love, sweet love,
No, not just for some but for everyone.

Lord, we don't need another meadow
There are cornfields and wheat fields enough to grow
There are sunbeams and moonbeams enough to shine
Oh listen, lord, if you want to know.

What the world needs now is love, sweet love
It's the only thing that there's just too little of
What the world needs now is love, sweet love,
No, not just for some but for everyone.
No, not just for some, oh, but just for everyone.
(Hal David & Burt Bacharach “What The World Needs Now Is Love”)

11 Lost Horizon
 一八六五年から六八年までの一期だけ自由党選出の下院議員を務めた後、南仏ですごす時間が増え、観察を重視した博物学者アンリ・ファーブルとも友達になっている。一八七三年五月三日、ジョン・スチュアートはオランジュのアンリの家を訪ね、彼と遠出に出かけ、一五マイルもの行程をちょこまかと忙しそうに進む小柄な昆虫学者の後を大股で自然を観察しながら続き、リリーに採取した美しい植物のお土産を持参して、楽しい気分で帰宅する。功利主義にはいろいろと不備もあるが、快楽を善とすることは決して間違いではないと呟き、それにしても疲れたと崩れるようにベッドへ倒れこむ。しかし、その暑い土曜日から二日後、急に発熱し、八日の早朝、風土病の丹毒の典型的な症状を示して六五歳の生涯を終えている。「私は仕事をなし終えた」とうわ言のような言葉をヘレンは最期に耳にした気がする。遺族はロンドンから要請されたウェストミンスター墓地への大英帝国の宝としての埋葬を拒否し、翌日、彼の亡骸はその歩きなれた道の先にある墓地のハリエットの傍に納められる。二人は、今も、かつての残り香が漂うその場所に眠っている。

(James)
Start with a man and you have one.
Add on a woman and then you have two.

(James & Chorus)
Add on a child and what have you got?
You've got more than three.
You've got what they call a family.

(Chorus)
Living Together, Growing Together, just being together,
That's how it starts.
Three loving hearts all pulling together, working together, just building together,
That makes you strong.
If things go wrong we'll still get along somehow,
Living and growing together.

It just takes wood to build a house.
Fill it with people and you have a home.
Fill it with love and people take root.
It's just like a tree where each branch becomes a family that's
Living Together, Growing Together, just being together,
That's how it starts.
Three loving hearts all pulling together, working together, just building together,
That makes you strong.
If things go wrong we'll

(Gene)
Still get along somehow,

(James)
Living and growing together.

(Chorus)
Living Together, Growing Together, just being together,
That's how it starts.
Three loving hearts all pulling together, working together, just building together,
That makes you strong.
If things go wrong we'll still get along somehow,
Living and growing just like we're doing now, together.
(Hal David & Burt Bacharach “Living Together, Growing Together”)

 「人類の意見は、いつも現実の事実を神聖化し、いまだかつて存在しなかったものを有害であるとか、実行不可能なものであるという傾向がある」(ジョン・スチュアート・ミル『社会主義論(Socialism)』)。
〈了〉
参照文献
J・S・ミル、『経済学原理全』全5巻、末永茂喜訳、岩波文庫、1959~63年
同、『ミル自伝』、朱牟田夏雄訳、岩波文庫、1,960年
同、『女性の解放』、大内兵衛訳、岩波文庫、1967年
同、『自由論』、塩尻公明他訳、岩波文庫、1971年
同、『代議制統治論』、水田洋訳、岩波文庫、1975年
同、『功利主義論』、川名雄一郎訳、名京都大学学術出版会、2010年
『世界の名著』38、中央公論社、1967年
菊川忠夫、『J・S・ミル』、清水書院、2000年
森毅、『数学の歴史』、講談社学術文庫、1988年
同、『二番が一番』、小学館文庫、1999年
ヨゼフ・A・シュンペーター、『経済分析の歴史』上中下、東畑精一訳、岩波書店、2006年


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