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やらせ問題と熟議民主主義(2006)

やらせ質問と熟議民主主義
Saven Satow
Nov. 07, 2006

「議論の目的は勝利ではなく、改善であるべきだ」。
ジョセフ・ジューベール

 2006年9月に政府が開いた教育基本法改正に関するタウンミーティングにおいて、改正賛成の質問をするよう参加者に依頼していた疑惑に対し、内閣府は、11月7日、いわゆるやらせ質問への関与を認め、衆議院教育基本法特別委員会の理事会で陳謝している。与党は13日に特別委員会、14日に衆院本会議で基本法改正案を採決する日程を提示したが、当然のこととして、野党は調査が不十分として拒否する。

 教育課題に関しておよそ教育的ではない裏工作が行われていたことになる。安倍晋三内閣の体質と言わざるを得ない。

 タウンミーティングは、本体、間接民主主義を補完する直接民主主義の制度である。ところが、政府は人々との議論の場を儀式化させてしまったというわけだ。番組でやらせをして、処分を受けたTVプロデューサーは世論の反応の鈍さに怒り狂っていることだろうが、中央地方を問わず、行政ならびに立法は、概して、こうしたタウンミーティングだけでなく、公聴会や審議会、委員会、検討会などを儀式化させている。それらはアリバイ作りとして機能しているにすぎない。日本政治は民主主義と言うよりも、「儀式政治(Celebration Politics」」と呼べるであろう。こうした儀式は全廃したほうがはるかにましだ。

 アメリカで、従来の「投票民主主義(Election Democracy)」に加えて、「熟議民主主義(Deliberation Democracy)」を導入すべきだという動きがある。十分な情報を有権者が知らされないまま、思いこみや思いつき、思考停止の状態で投票してしまっていることが多いものだ。そこで、フォーマル・インフォーマルを問わず、決められたルールの下で、多様な声に耳を傾けながら、じっくりと話し合って政治的選択を決めるという考えである。

 イェール大学教授ブルース・アッカーマン(Bruce Ackerman)のように、思い切って、「熟議の日(Deliberation Day)」の制定を主張する人もいるが、現実的なプロジェクトとして「デリバレイティブ・ポール(Deliberative Polling)」が行われている。1988 年、スタンフォード大学教授ジェームス・フィッシュキン(James S. Fishkin)が考案し、その後、実際に何度か試されている。これは、言ってみれば、政治における陪審員制のようなものだ。

 しかし、官僚や政治家が圧力をかける日本の現状では、「熟議の日」を開いたら、それは「儀式の日(Celebration Day)」となってしまうことだろう。

 議論において重要なのはその過程である。結果ではない。もっともらしい理由を挙げて議論を早々に打ち切ることは政府による隠蔽工作でしかない。議論を通じて人々の認識は深まっていく。政治がそれを妨げているのは、結局、人々を小バカにしているからにほかならない。
〈了〉
参照文献
柏倉康夫他、『情報と社会』、放送大学教育振興会、2006年

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