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文学DX(1)(2022)

文学DX
Saven Satow
Dec. 23, 2022

“Excuse me, Higgins; but I really must interfere”.
George Bernard Shaw “Pygmalion”

 今日は2022年12月12日だ。2+2+2+1+2+1+2は12になる。12はラッキーナンバーだ。早池峰山の女神が12に人の子を産んだことにより、12日は神の子の誕生日とされる。

 「AI小説家は登場しますか?」と尋ねると、チャットGPTは次のように答えている。

人工知能 (AI) を使用して、人間が書いたものと区別するのが難しいテキストを生成できるという証拠がすでにいくつかあります。たとえば、ニュース記事、詩、さらには小説全体を書くことができる AI プログラムがあります。ただし、これらの AI 生成テキストは通常、人間が生成したテキストの大規模なデータセットから学習したパターンと構造に基づいていることに注意することが重要です。そのため、人間の文章の複雑さと創造性を完全に捉えることができない場合があります。
また、AI によって生成されたテキストは、人間の小説家の独特の視点や声を捉えることができない可能性があることも考慮する価値があります。 AI によって生成されたテキストは、特定の文体や構造を模倣できるかもしれませんが、人間の小説家が作品にもたらすことができるのと同じ深さの感情、洞察、個人的な経験を伝えることはできないかもしれません。
最終的に、AI によって生成された文学の未来を予測することは困難ですが、AI はテキストの作成において引き続き役割を果たす可能性が高く、新しい興味深い方法で文学の分野に貢献できる可能性さえあります。

 「チャットGPT(ChatCPT)」はチャットボットの一種である。米サンフランシスコの企業オープンAI(Open AI)が開発して、2022年11月30日に一般公開、無料で利用できる。チャットボットは、ユーザーの入力に反応して人間のように会話するソフトウエアである。この対話型AIは、ネット上の情報を探索・生成して回答を示す点では、新たな検索エンジンともとらえられるだろう。

 チャットGPTはユーザー・インターフェースが英語だが、サービスは日本語にも対応する。ただし、同じ質問を日本語と英語で入力した場合、前者より後者の方が質の高い回答であるように思われる。英語圏の情報が日本語のそれより多いからだろう。生成の仕組みは学習した文データから最も確からしい出現頻度の高い単語を選んで文章を組み立てるというものだ。学習する文章や単語の量と質が揃っているほどもっともらしくなる。反面、多数派の暴政も起こりやすい。最新の情報よりも浸透したものの方が選択されやすい。アップデートが頻繁な自然科学分野では古い情報に基づく回答する可能性があるので、注意が要る。また、本来の意味と異なっていても、その単語や熟語、表現の用法が大勢であれなら、そう答えてしまいかねない。文化庁の「国語に関する世論調査」の結果通りの文章を生成する可能性がある。だから、最初から英語で入力した方が無難だ。先の引用文はチャットGPTが表示した英文をグーグル翻訳した結果を修正したものである。敬体と常体が混合したり、句読点がや括弧が英語のままだったりするのはさすがに見過ごせない。なお、以降も、断らない限り、同様のものとし、不自然さも残すことにする。

 ちなみに、日本語による同様の質問に対する回答は次の通りである。

AI(人工知能)を使用した小説の作成は、近年注目されているテクノロジーです。AIによる小説の作成は、コンピュータプログラムを使用して、文字列を生成することで行われます。このような小説を作成するAIは、「AI小説家」と呼ばれることがあります。
AI小説家は、小説を自動的に生成することができるため、小説を作成するのにかかる時間を大幅に削減することができます。また、AI小説家は、人間の小説家が書くことができないような、新しいスタイルや話題を提供することもできます。
AI小説家が登場したのは、近年です。そのため、AI小説家が作成する小説はまだ少ないですが、将来的には、AI小説家がより一層普及し、作成する小説の数が増えることが予想されます。

 現在のAIはデータ学習型と知識推論型に大別できる。前者は、バックプロパゲーションなどの技術を利用したニューラル・ネットワークに基づくディープラーニングにより大量のデータを読み込ませて、パターンを発見させる。顔認証システムが一例である。後者はオントロジーと呼ばれる階層構造で知識を覚えこませて、 それを手掛かりに推論させる。病気の診断システムが一例である。いずれも受動態で説明したように、あくまでも人間が指示してAIを動作させている。

 AIの開発をめぐってメディア上で「ノイズを減らす」といった言い回しをしばしば耳にする。これは、簡単に言うと、10×10は100と数が大きくなるが、0.1×0.1は0.01と小さくなることを利用したイノベーションのことである。この掛け算を繰り返せば繰り返すほど、計算結果が小さくなっていくのだから、ノイズも減らせるというわけだ。

 データ学習型と知識推論型の違いを具体的に理解するため、例で説明しよう。銀行の案内窓口にAI搭載のロボットを置いたとする。データ学習型に、それまでその窓口で交わされた全会話を覚えさせる。しかし、最初に応対した客が「あれ、ロボットだ。ここで何してんの?」と尋ねたら、まったく反応できない。案内窓口の行員にそう話しかける客はいないからだ。けれども、ロボットなら、こういった質問があって当然だろう。ディープラーニングは言葉の意味を理解することではなく、あくまでパターン認識であり、そこから外れれば、お手上げである。

 他方、知識推論型では、特定の単語が使われた場合の返答を定義しておけば、無反応ということはない。ただし、文脈を理解しているわけではないので、そのオントロジーに基づく反応である。「何」と尋ねられた場合に「ご用は何でしょうか?」と応えるように定義しているとする。「あれ、ロボットだ。ここで何してんの?」と言われても、「ご用は何でしょうか?」と反応できる。けれども、「ご用か?ロボットなんだから、何か当ててみろよ」とからかわれても、先の文を繰り返すだけである。

 AIは目的論的に動作しない。アルゴリズムに基づき、指示された命令に従い、データを検索、計算結果を表示する。人間が目的を持って文脈に意味づけをしない限り、それはたんなる文字列である。

 いずれのAIも結果は相関性からの導きであって、因果性ではない。過去のデータを参考にしてその可能性があると推測しているのであって、断定しているわけではない。AIは数学に基づいていても、その思考は演繹的ではなく、帰納的である。AIは見逃されてきたパターンを見出すことができるものの、隠れた変数を見つけることは不可能である。カメラは物の表面しか映せない。小さいものを拡大できても、陰になっているものを表示することなどできない。それと同じだ。

 AIは、各種データを学習させれば、Z世代やロスジェネの一般的人間像を描き出すことができる。しかし、それは相関性的推論である。なぜそのような世論調査の結果なのかという因果的分析はできない。商品販売を目的にする場合、なぜは不要なので、AIの計算結果を企業は利用する。しかし、しばしばメディア上で経験やデータを根拠に今時の若者像をしたりげに語っている論者を目にするが、彼らはAIにとって代わられるだろう。

 ところで、AI文章生成技術が今のように話題になる前から、クラスター解析を用いた定量分析による作家の文体の個性を明らかにする試みが行われている。ウィリアム・シェイクスピアの作品をめぐる研究がよく知られている。形態素解析エンジン「MeCab」などの無料ソフトも多く公開されているので、一般ユーザーでも手軽にできる。

 AIが進化すれば、特定の作家の文体を再現することができるようになるだろう。人類の文字的遺産の中にはさまざまな事情によって一部あるいはすべてが焼失してしまったテキストも少なくない。深層学習したAIによってそれが復元できる可能性もある。その際、質と量を兼ね備えたデータが必要なため、わずか数行の断片だけのテキストは難しい。しかし、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』で取り上げられたアリストテレスの『詩学』における失われた喜劇論に関しては大いに期待できる。

 それでは、失われたアリストテレスの喜劇論がどういう内容なのかチャットGPTに聞いてみよう。その質問に対し、AIは次のように答えている。

アリストテレスの『詩学』の第2 部では、喜劇の理論と、文学と演劇における喜劇の役割について論じています。アリストテレスによると、コメディはユーモア、風刺、皮肉を使って観客を笑わせようとするジャンルです。通常、ハッピーエンドと対立の解決が特徴であり、何らかの形で欠陥または不完全なキャラクターが登場することがよくあります.
アリストテレスはまた、予想外または驚くべき方法で何かを提示することを含む不調和の使用や、状況をひっくり返したり、期待を覆したりすることを含む反転の使用など、コメディのいくつかの重要な要素を特定しています。彼はまた、コメディにおけるタイミングと配信の重要性に言及し、成功したコメディ作品を作成する上でのキャラクター開発とプロットの役割を強調しています.
全体として、アリストテレスの喜劇理論は、文学と演劇におけるユーモアと風刺の重要性を強調し、観客に解決感と幸福感をもたらす上での喜劇の役割を強調しています。

 AIはもっともらしく断言的に答えている。アリストテレスの喜劇論が失われたことを知らないユーザーが読んだら、納得してしまいそうだ。しかし、これはアリストテレスの喜劇論ではない。それ以前に、一般的な喜劇論としても意味が通らないところもある。「通常、ハッピーエンドと対立の解決が特徴」なのは悲劇であって、喜劇ではない。

 散逸したテキストの復元には、現存する作者の著作から思想を推論する必要がある。全体としての論旨がこうだから、欠損部分はこのようなものだったろうと因果的に導き出さなければならない。ネット上の情報を寄せ集めるだけでは復元などできない。それは研究者の推測を要約することにとどまる。このAIの回答を見る限り、こうした因果性を相関性に置き換える工夫を考案しないと、復元は難しい。

 また、作者の死により未完に終わってしまった作品も少なくない。深層学習したAIはその続きを自動生成して完結させることもできるだろう。言うまでもなく、これにも質の高い十分な量のデータが不可欠である。世紀の大長編で知られる中里介山の『大菩薩峠』はその条件を満たしている。

 中里介山の『大菩薩峠』の結末を尋ねてみよう。チャットGPTの回答は次の通りである。

申し訳ありませんが、中里介山の『大菩薩峠』や、この作者の他の作品の情報はありません。 『大菩薩峠』はフィクションの可能性がありますが、これ以上の文脈や情報がなければ、その結末を要約することはできません。不正確な情報や誤解を招く情報が入手できる可能性があるため、情報の正確性を確認し、オンラインで情報を探すときは注意することを常にお勧めします。特定の質問がある場合、または特定のトピックに関する情報を探している場合は、私が持っている情報に基づいてできる限りお手伝いさせていただきます.

 それなら、日本語で聞き直してみる。すると、AIは次のように返してくる。

中里介山の『大菩薩峠』は、日本の江戸時代に書かれた武田信玄伝の一部として知られています。
この小説の最終部分では、武田信玄が内乱を起こした元禄の乱を収束させるため、天皇や藩主たちと協議を重ね、内乱を収束させることができます。その後、武田信玄は天皇の代わりを務める「御手洗い大臣」の地位を得て、政治的な権力を握ることになります。
最後に、武田信玄は、「善良な人々を愛する心を持ち、国を守るために、最善を尽くす」ことを誓います。そして、江戸幕府が建設され、武田信玄はその最高司令官として、日本を統治することになります。

 何を言っているのかさっぱりわからない。中里介山の『大菩薩峠』とまったく関係のない話を連ねているだけではない。史実としてもでたらめだ。この小説を知らないユーザーでも、納得することはないに違いない。かりに『大菩薩峠』を「武田信玄伝の一部」だと信じたとしよう。しかし、続く内容は酔っ払いの戯言にもなっていない。

 武田信玄は戦国時代の武将なので、江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の時代である元禄に生きているはずもない。当然、赤穂浪士の討ち入りを収拾できるわけがない。また、「御手洗い大臣」という地位は存在しないが、関白のことだとすれば、それは豊臣秀吉が獲得したものだ。そもそも武田信玄が江戸幕府を開いてなどいない。

 いくらなんでもこれはひどすぎる。英語で同様の質問を繰り返すことにする。それに対し、チャットボットは次のような返答をしている。

前回の回答で混乱を招きましたことをお詫び申し上げます。中里介山の『大菩薩峠』は、死んだ旅人の幽霊が出没するといわれる大菩薩峠という峠を旅する一団の旅人を描いた小説です。
小説の最後の部分で、主人公の新之丞とその仲間たちは、ついに峠の反対側にたどり着き、旅の途中で彼らを包んだ濃い霧から抜け出します。彼らが現れると、彼らを待っていた人々のグループに迎えられ、新之丞は彼がずっと死んでいて、峠を通る旅が死後の世界を旅していたことに気づきます。
最終的に、新之丞と彼の仲間は、旅を通して平和と悟りを見つけることができ、死後の世界を離れて、彼らの存在の次の段階に進むことができます。小説は、新之丞が旅の中で学んだ教訓と、高潔で有意義な人生を送ることの重要性を振り返ることで終わります。

 謝罪から始まるこの回答は、先のものと比べて、小説の解説になっている。知らないユーザーが読めば、納得するかもしれないが、内容はいい加減なものだ。作品の時代設定は幕末で、主人公は机竜之助である。「新之丞(Shinnojo)」ではない。彼は、甲州裏街道の大菩薩峠で、老巡礼を理由もなく切り殺し、その後、各地をさまよい歩く。この小説は、さまざまな人物が登場、史実を含めて数多くの事件や出来事が加味されて、悪人正機説など仏教的なテーマを描いた大作である。AIが言う『ファウスト』のような要旨はない。

 未完作品の完結も復元と同様の作業が必要になる。現存する作品から因果的に結末を推論しなければならない。やはりこれを可能にするにはこの因果性を相関性に変換する工夫が不可欠だ。

 それにしても、ここまでのAIの回答は人間臭い。わからないことを質問されて、慌ててネット検索で情報をかき集め、話をそらし、もっともらしく答える。それはSNS時代に入ってよく見かける光景だ。こうしたごまかしを「論破」とAIが言い出してもおかしくない。

 AIは深層学習により特定の作家の文体を再現することも可能になるだろう。それができるのであれば、故人の作家の新作も著わせるに違いない。

 ジェームズ・ジョイスの新作を書いて欲しいと要求すると、AIは次のように返信する。

申し訳ありませんが、ジェームズ・ジョイスは死後小説を出版していないため、最新の小説の内容を書くことができません。言語モデルとして、私はトレーニングを受けた情報に基づいて情報を提供し、テキストを生成することしかできず、新しいコンテンツを作成したり、フィクションを書いたりする能力はありません。

 実に謙虚な姿勢である。しかし、先の二つのケースよりもこれは可能性が高い。因果性を必要としないからだ。現存する作品から特徴のパターンを見出し、それに基づき文体を相関的に再現することはAIには可能だろう。文体模写ができれば、ユーザーが登場人物や時代、場所、ジャンルなどをキーワード入力すれば、出来はともかく、作品を生成する。

 すでに美術では、AIが過去のアーティストの画風を再現することが可能になっている。それはAIを利用して古典を恣意的に引用し、新たな表現として示すことができるというポストモダニズム的理想の現実化である。

 AIに文章精製ジェネレータとポストモダニズム文学の関係について尋ねてみよう。チャットGPTはそれについて次のように答えている。

人工知能 (AI) による文章生成は、機械学習アルゴリズムを使用して大量のテキスト データを分析し、その分析に基づいて人間のような文章を生成する技術です。この技術は、言語翻訳、コンテンツ作成、自然言語処理など、さまざまなコンテキストで使用できる可能性があります。
ポストモダニスト文学の文脈では、AI 文生成は、言語と意味の伝統的な概念を探求し、挑戦するためのツールとして使用できる可能性があります。ポストモダニスト文学は、断片化、不確定性、および伝統的な物語構造の崩壊に焦点を当てていることを特徴としており、多くの場合、パスティッシュ、皮肉、および自己参照性の要素が組み込まれています。
AI 文生成は、意味と一貫性の限界を押し広げる単語とフレーズの斬新な組み合わせを生成することにより、伝統的な物語と言語の境界に挑戦するポストモダニスト文学の新しい作品を作成するために使用される可能性があります。ただし、AI システムは人間と同じレベルの創造性や世界の理解を持っておらず、AI システムによって作成された作品は、人間の作者によって書かれた作品の深さと複雑さに欠ける可能性があることに注意することが重要です。

 ポストモダニズム文学がAIを利用した新たな可能性を広げるだろうとチャットGPTは言うが、その論証に欠けている。ポストモダニズム文学の特徴と文章生成AIの性質を並列しているだけで、その因果的あるいは相互的関係が不明である。話がそれているとさえ思える。AIは学習した情報をパッチワークしていることにとどまっている。情報を文脈に基づいて因果的に組み合わせることができていない。出来上がった文章は一般論の羅列である。


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