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昔ばなしと社会的メッセージ(5)(2018)

第9章 アイヌと沖縄
 隠れキリシタンの他にも、近世の日本には仏教以外の宗教を信仰していた人々がいます。アイヌです。アイヌは独自の民族宗教を信じています。共通しているところもありますが、アイヌの昔ばなしには内地と異なる特徴もあります。物語の前提となる世界観や社会構造が違うからです。
 
 アイヌ社会は国家ではなく、村落共同体に基づいています。この国家は維持・運営のために役人を必要とする体制のことです。社会構造は水平的で、身分や富などによる階層化があまりありません。
 
 宗教は世界宗教の仏教ではありません。共同体に内属した民族宗教です。世界宗教が現世と来世が非連続であるのに対し、民族宗教は連続しています。前者は死者に裁きの場が待っています。日本仏教ですと、一例を挙げれば、この世での行いが閻魔様に審査され、あの世での行き先が極楽であるのか、地獄であるのかが判断されます。一方、民族宗教には、裁きの場がありません。死ぬとそのまま来世に行き、しばしば現世に戻ってきます。内地でもお盆を思い起こせば、それが理解できるでしょう。民族宗教は共同体に内属しています。外部がありませんから、この世もあの世も併せて共同体を構成しているのです。
 
 世界宗教は共同体をまたぐため、聖典を共通認識にします。仏教にも経典があります。それに対し、民族宗教は宗教的規範も生活習慣に入りこんでいるので、経典を必要としません。共同体は神話や叙事詩によって存立が根拠づけられ、それが民族宗教の倫理観につながっています。
 
 アイヌの昔ばなしは、この民族宗教の特徴によって、内地のそれと違う傾向が認められます。アイヌの昔ばなしは最後の審判を根拠に規範に従った生き方を説くことがありません。多神教ですからさまざまな神が登場しますが、閻魔や鬼など死後の裁きに関わる超自然的存在はいません。この世とあの世が連続しています。アイヌの民話やそれに影響を受けたと思われる北海道の言い伝えには、この世の人間がほら穴を通じてあの世に迷いこむものがあります。『あの世のいりぐち』や『地獄穴の話』がそうした例です。あの世は、死者が暮らしていることを除けば、この世の様子と同じです。ただし、現世の人間は来世にいたずらに惹かれるべきではないというメッセージがあります。
 
 また、僧侶のような教団の定める修業を積んだ専門の聖職者がいません。内地の昔ばなしでは、民衆を苦しめる超自然的現象や化け物の問題を解決するのは主に聖職者です。彼らは知恵や仏教の力によって事態を打開します。武力に頼ることはありません。代わりに、お経が力を発揮します。
 
 一方、アイヌの昔ばなしでは超自然的怪物の退治は勇者が担います。勇者は徳を備えている戦士です。衆目がそう認める存在で、身分や職能に特有の規範を示すわけではありません。並外れた精神力と体力を持った勇者は武力で恐ろしい化け物に戦いを挑みます。人々が苦しんでいるから怪物を退治するのではありません。彼は勇者だから、それにふさわしい相手として、化け物に挑戦するのです。『湖の怪魚』のカンナカムイが好例です。
 
 沖縄の昔ばなしにも、本土と異なる傾向のものがあります。ただ、それは宗教ではなく、統治構造の違いに起因しています。
 
 前近代において沖縄は本土と政治体制が異なります。近世の沖縄は琉球王国が支配しています。王政は幕藩体制と権威と権力の関係が違います。琉球の王は国内において権威と権力が一致しています。権力は権威によってその正統性が保証されます。琉球国王の場合、それは中国皇帝への朝貢によって基礎づけられていますが、国内では王権が権威と権力を備えています。また、君主無答責原則もあります。沖縄の昔ばなしで権威である王が批判的に扱われることはあまりありません。望まない結婚をさせられそうになる娘を王が救い王妃にする『天下一の花嫁』が好例です。
 
 他方、本土の幕藩体制は権威と権力が分離しています。武士階級である将軍や大名は権力を持っています。けれども、権威はありません。大名の任務は大きく三つあります。それは、跡取りを儲けること、官位昇進をすること、幕府の行事に参加することです。官位昇進は実質的には幕府が認めるものですが、形式的には朝廷が授けるものです。天皇という権威が将軍の権力を保証しているのです。本土の昔ばなしに登場する殿様は世間知らずや気分屋、のんびり屋、わがまま、間抜け、天然ボケと言った性格として扱われることがあります。殿様が民に懲らしめられたり、諭されたりすることもあります。『姥捨て山』が最も有名でしょう。
 
 反面、本土の昔ばなしでも帝が批判的に扱われることはありません。帝は権力に正統性を与える権威だからです。もっとも、帝が昔ばなしに登場することは極めて限定的です。特に、民話系はほとんどありません。近世の民衆にとって帝が縁遠かったからでしょう。
 
第10章 社会的メッセージ批評
 昔ばなしをめぐる読解として、さまざまな方法論を用いた批評がすでに実践されています。具体例を挙げましょう。物語分析は展開構造や登場人物の役割などに着目して読み解きます。昔ばなしの分類は研究において規範化しています。「恩返し」型や「隠れ里」型が一例です。また、日本語以外の神話・民話と比較する研究も行われています。『一寸法師』が「美女と野獣」型であるというのはこうした例です。
 
 また、精神分析の理論を援用し、お話に現われる人物や事物、行為などを普遍的意味の象徴と捉えて解釈する方法があります。さらに、特定の地域にその昔ばなしが伝わってきたとして、民俗学の知見を参照して、それを開設する読解もあります。他にも、マルクス主義やフェミニズムといった批評理論を用いて、昔ばなしを評価するものもあります。
 
 昔ばなしは前知識がなくても、楽しめるものが多くあります。ただ、 いくら昔ばなしに接しても、当時の政治・経済・社会の構造や制度といった仕組みはわかりません。しかし、昔ばなしは民衆の集合知識の表象ですから、そこから発送を汲み取ることができます。
 
 現代史学は社会史によって体系が再構成された歴史学です。その影響を受けた現代の日本史研究は伝承や物語も史料として扱います。時代を遡ると、公的な文字史料が少なくなります。古い時代の史料ほど後世に残りにくいものです。文書・考古史料も現代に近づくにつれ、その量が増えてきます。しかも、支配者からだけでなく、被支配者の側が記した文書史料も多くなります。
 
 学術研究では実証性が要求されます。文書史料がない時代であっても、遺跡や遺物といった考古史料の他、人口・地理・気象などの変遷に関する科学的データを用いるなどして過去を探ります。また、言い伝えや伝説、文学も実証研究を補強する史料となります。と同時に、他の史料からはわからない、当時の人々の考え方がそこから浮き彫りになります。歴史家はさまざまな文字史料を読みこみ、考古史料・科学的データを吟味した上で、文学に当たります。その理解の精度は文学研究者よりしばしば上です。
 
 五味文彦東京大学名誉教授はそうした研究を提示している一人です。実証研究を踏まえ、『文学で読む日本の歴史』シリーズを始め文学や伝承から当時の人々の認知を明らかにしています。
 
 このような成果に則り、それを考察する批評があってしかるべきでしょう。すでに何度か昔ばなしの社会的メッセージに言及してきましたが、これがそうです。昔ばなしが伝えるのはかつての民衆の考えです。それを明らかにする作業を社会的メッセージ批評と呼ぶことにしましょう。
 
 社会的メッセージ批評は、昔ばなしを民衆の集合知識の表象と認知し、そのお話を通じて共時的・通時的に伝えられてきたメッセージを明らかにする方法です。その手順はインターネットのタグを例にするとわかりやすくなります。それは「タグ解析」とも呼べる方法論です。
 
 ブログやSNSに文書や画像、動画を投稿する際、検索しやすいように、その内容に関連する情報をタグとしてしばしば付記します。タグは一つのファイルに複数個付けられます。タグを使って、そのトピックに関するファイルを収集して閲覧することができます。
 
 個々の昔ばなしにもその内容に関連する情報が数多く含まれています。例えば、『浦島太郎』であれば、「漁師」や「海」、「カメ」、「恩返し」、「母子家庭」、「竜宮城」、「お姫様」、「玉手箱」、「時間旅行」といったタグが思いつきます。それぞれのタグは他の昔ばなしにもあります。タグを共有する昔ばなしにあたり、そのトピックがどのようにどれが扱われているかを把握します。扱い方には複数の傾向が認められることもあります。「竜宮城」は海の場合だけでなく、川や湖、沼の場合もあります。また、類似するトピックとの傾向の違いもあることでしょう。「カメ」と「カニ」、「エビ」、「クジラ」など水中に生息する生物ですが、昔ばなしの中で扱われ方に類似・差異があります。
 
 『浦島太郎』は『丹後國風土記』の「浦島子」の物語が起源とされています。漁師の島子は一匹の魚も釣れず、三日三晩海をさまよった後、天上の国に辿り着き、その世界を見聞するのです。しかし、社会的メッセージの考察は暗黙の裡に形成された民衆の集合知を明らかにすることです。起源の情報はその暗黙知の吟味に必要な際の参照にとどまります。
 
 ちなみに、沖縄県の宮古島に『浦島太郎』のパロディのような『不思議なつぼ』が伝わっています。主人公が浜辺で女性を助けます。彼女は竜宮のお姫様で、後日、彼はその時にできた双子の男女に連れられて城に招待されます。5日すごして地上に戻る際、お姫様から自分と思って大切にして欲しいとつぼを土産として渡されます。帰ってみると、50年が過ぎていて、自分も白髪姿なのに気づきます。ところが、つぼの中の酒を飲むと、若返るのです。若返りの酒の噂を聞き付け、男の家に大勢が押し寄せます。夜も眠れなくなった男が苛立ってつぼを罵ると、それが鳥になって飛び去ってしまいます。すると、男を始め若返った全員が元の姿に戻ったという話です。
 
 そうした扱い方を分析することによって、そのトピックが民衆の集合知識の中にどう位置づけられ、それを通じていかなる社会的メッセージが伝えられているかが明らかになります。その暗黙知を明示知にする試みが社会的メッセージ批評です。
 
 非専門家による口承文学の昔ばなしにおいて一つの作品を詳細に読解することの意義はありません。そうした質的認識ではなく、多数のお話にあたって傾向を捉える量的批評が集合知には適切です。その上で、典型的もしくは顕著な例として個別の物語を具体的に解説することになります。
 
 ただし、お話だけにあたっていても、社会的メッセージはつかめません。昔ばなしは語り手と聞き手が場を共有して伝えられます。この場は前近代の政治的・経済的・社会的背景に基づき、宗教的・道徳的規範の共有が前提になっています。それらの知識がなければ、昔ばなしの意味が十分に理解できません。文学のみならず、民俗学や人類学、地理学、人口学、政治学、経済学、社会史などの知識が不可欠です。
 
 また、昔ばなしにはさまざまな病気や生物、災害といった言及があります。今日の科学的知見によってそれらの理解を深めることも考察には必要となります。医学や生物学、物理学、化学、気象学など自然科学分野の知識も必須です。

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