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高額報酬と資本論(2014)

高額報酬と資本論
Saven Satow
Jul. 15, 2014

「お母さん!僕は、将来、頭を使う仕事につくよ!佃煮にするイナゴをお店に売りに行ったんだ。田んぼを荒らすなってお祖父ちゃんに叱られながら、いっぱい集めたんだよ。なのに、たったこれっぽっち!もう嫌だ!僕は絶対に頭を使う仕事にする!」
昭和の小学生

 電子版『日刊ゲンダイ』2014年7月12日配信の「『赤字』『無配当』でも報酬1億円超 厚顔経営者実名リスト」によると、3月期決算で1億円を超える高額報酬の経営者は過去最高の361人に上ったが、単体決算で最終利益が赤字だったり、無配当だったりする企業のトップも含まれている。

 単体で赤字の上、無配当なのが栄電子・日本通信・日本板硝子の3社、それぞれ1億2100万円・2億4600万円・7億9500万円である。ちなみに、日本通信は従業員との格差が約30倍である。また、株主総会で糾弾されたソニーの平井一夫社長の報酬は1億8400万円で、従業員の平均給与の20倍に当たる。

 経営者の高額報酬の根拠はさまざまに語られている。優秀な人材を獲得し、成果を上げてもらうためというのが一般的である。待遇が悪ければ、優秀な人材を得ることも、留めることも難しい。高額報酬を用意して、成果が上がれば、費用対効果から考えても合理的だ。

 しかし、単体での赤字や無配当は成果と言えない。にもかかわらず、経営者が高額報酬を受けとっている。企業の業績が好転しない、もしくは悪化させたなら、責任と権限がある経営者はそれを手にするのはおかしいと一般の従業員ならずとも思うことだろう。

 成果の有無と経営者の能力の因果関係を実証することは困難である。成果が上がったら、自分のおかげ、そうならなかったら環境のせいと経営者は思いこめる。売り上げの上昇や市場占有率の拡大、赤字からの脱却などを達成できなかったとしよう。しかし、経営者が最善を尽くしたけれども、不確実性のためにその結果に終わったのか、怠けていたり、保身に走ったり、無能だったりしたためなのか評価するのが困難である。

 そうした事情を理由に小経営者は成果の上がらなかった場合でも報酬が下がらないように契約条件を求める。そのため、賃金の下方硬直性が生じる。経営者の報酬は上がりやすく、下がりにくい。単体赤字だろうが、無配当だろうが、経営者は大金を手にできる。挙げ句の果てに、倒産しても、経営者が報酬面で責任をとらない事態までもたらされる。彼らは原子資本主義社会の強欲な資本家より質が悪い。少なくとも失敗すれば資本家は労働者にならざるを得ないからだ。

 高額報酬の問題は情報の非対称性と関連している。これは、機会主義と限定合理性の仮定の下で、利害の異なる主体同士の契約関係を捉えるエージェンシー理論の一例である。雇い主である株主の利得は企業価値の最大化である。一方、その代理人である経営者の利得は所得や私的効用の最大化である。両者の利害は必ずしも一致しない。また、株主に経営に関する専門的な知識・能力は十分ではない。

 こういった情報の経済学は最先端の分野である。21世紀に入ってから、ノーベル経済学賞の受賞者には、ジョージ・アカロフやジョゼフ・スティグリッツ、オリバー・ウィリアムソンなど関連する専門家もいる。

 情報の非対称性に最も初期に気づいていた経済学者の一人がカール・マルクスである。あまり経済学に詳しくなくとも、彼が資本家階級による労働者階級からの「搾取」を糾弾していたことは知っているだろう。利潤率が正であるための必要十分条件は搾取率が正であることだという基本定理も有名である。搾取のメカニズムが情報の非対称性から生じている。

 商品はそれぞれ「使用価値」、すなわち使用する際の主観的効用が違う。しかし、貨幣という客観尺度で交換されることにより同質化される。マルクスはこれを「交換価値」と言い表す。

 商品は原材料などの「不変資本」を元に、労働者が「労働時間」を提供することによって加工されて出来上る。マルクスは労働が商品としての価値を生み出す「労働価値説」をとる。先にも示した通り、この「価値」は、現代では、効用と言い換えられる。しかし、分業と市場経済の資本主義社会は効用が元々商品にあったという「物神崇拝」、すなわちフェチシズムをもたらす。

 労働者は賃金に見合う労働時間がどれくらいかわからない。自分たちが高めた商品の効用に見合う労賃が支払われていると労働者は信じているが、実際には、情報の非対称性を利用して発生した利潤を資本家が搾取している。資本家は機会主義的で、労働者の限定合理性につけこんでいる。資本家に富が蓄積されていく反面、社会の大多数を占める労働者は貧困に苦しみ、格差が拡大していく。

 このメカニズムは隠蔽され、社会的関係の強弱が生じる。実は、利潤を搾取することよりも、この支配=被支配関係の発生が重要な問題である。経済格差が政治格差を再生産するからだ。情報が非対称で、不完全であることが搾取を可能にしている。それが経済格差を生み出し、さらに政治格差へとつながる。

 搾取の問題は、マルクス派・非マルクス派のいずれからも広く経済学で議論されている。搾取の証明可能性がどうかは今回振れない。注目すべきは資本主義の雇用関係に情報の非対称性があり、そこに権力の源泉があるという分析である。これは情報の経済学と知の権力論を合せた主張だ。非常に先見的である。

 ただ、マルクスとエージェンシー理論とでは情報の有無の側が逆である。前者はプリンシパル=エージェントにおいて代理人が自身の情報を知らないとするのに対し、後者は雇い主が相手のそれを持っていないと設定している。

 情報の経済学はプリンシパルがエージェントの情報を持っていないことから考察を始める。そこはマルクスと違う。

 2001年にノーベル経済学賞を受賞したマイケル・スペンスは雇用契約における情報の非対称性を是正する制度について論じている。雇用者は被雇用者の情報を持っておらず、両者の関係は非対称である。そこで前者が後者を知るために制度を考案する。それがシグナリングやスクリーニングである。

 シグナリングは情報を持っている者がそうでない者に開示することである。学歴や資格の提示がそうした例である。高学歴や有資格者は生産性を向上させるだろう。一方、スクリーニングは情報のない者が持っている者に開示するよう選別することである。面接や筆記などの入社試験が好例である。シグナリングよりもスクリーニングの方が全般的にコスト高である。

 20世紀は市場の経済学の時代である。市場メカニズムの役割を論じ、実際の機構が理論通りに働かないことを考察するのが主要課題だ。一方、21世紀は制度の経済学だと予想されている。宇沢弘文東京大学名誉教授は、『社会共通資本』において、資本主義や社会主義に代わって「制度主義」の時代が到来すると記している。制度の役目を検討し、その構造設計を明らかにすることが着手される。

 マルクスは限界革命以前の経済学者である。市場の経済学にとらわれていない。そういった背景もあり、『資本論』には制度の経済学を先取りするような示唆が数多く認められる。彼の意図や結論に納得がいかなくても、着眼点や展開には思索を刺激するに違いない。現代の経済学者は独創性を際立たせるため、歴史上の理論との総合を試みない。しかし、この悪癖は改めるべきだろう。
〈了〉
参照文献
宇沢弘文、『社会共通資本』、岩波新書、2000年

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