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志賀直哉が「小説の神様」?(1)(2021)

志賀直哉が「小説の神様」?
Saven Satow
Oct. 16., 2021

「単純に考えるべきだろうね。結局、パーフェクトということはないんだからね。その逃げ道がなかったら、人間キツイよ。オレは楽して勝て、と言うんだ。苦労して勝つな。楽して結果だせ。笑って結果だせ。これだけやってますから、なんて言うな。自分が好きでこの商売やってんだから、どうやったらいい結果が出るか、一生懸命考えればいいんだよ。真剣に考えたら何らかの糸口はでてくるって。絶対でてくる。でてこないのは体を動かす量は多くても、考える量が少ないんだよ。やる量は多いけど何も考えていないんだな」。
落合博満

第1章 パンデミックと『流行感冒』
 新型コロナウイルス感染症のパンデミックによりスペインかぜの世界的流行にも関心が寄せられる。20世紀最大のパンデミックはどのような影響と変化を社会にもたらしたのかを知るために、各方面で映像・活字媒体の発掘・公開が進む。1918年から3年に亘って世界的にスペインかぜが流行する。全世界で発病者数5億人、2000万~4000万人、研究者によっては1億人以上が犠牲になったとされ、第一次世界大戦の死者2000万人前後を上回る。発病した長明人も多い。パリ講和会議中にウッドロー・ウィルソン米大統領が発症、その後の国際政治の行方に影響を及ぼしたとされる。また、エドヴァルド・ムンクは『スペイン風邪の後の自画像』を描いている。さらに、ギョーム・アポリネール、エゴン・シーレ、クリムト、島村抱月等が亡くなっている。流行から10年以上後に、スペインかぜはインフルエンザウイルスによる感染症と判明する。

 ところが、これほどの禍でありながら、日本文学にはスペインかぜを扱った作品が少ない。善く知られた作品としては、斎藤茂吉の「はやり風はげしくなりし長崎の夜寒をわが子外に行かしめず」を挙げることができる。散文の中では志賀直哉の『流行感冒』(1919)が従来から周知されている。しかし、スペインかぜ文学は結核に比べると質量ともに劣ると言わざるを得ない。

 ただ、今回のパンデミックでリバイバルした小説は志賀の『流行感冒』ではない。菊池寛の短編小説『マスク』である。文藝春秋はこの作品を収録した文庫『マスク スペインかぜをめぐる小説集』を2020年12月に刊行している。新型コロナウイルス感染症がもたらした最も可視的な変化は「マスクのある風景」である。この小説はそうした今と相通じるものがあると同社はサイトで次のように紹介している。

スペイン風邪が猛威をふるった100年前。作家の菊池寛は恰幅が良くて丈夫に見えるが、実は人一倍体が弱かった。そこでうがいやマスクで感染予防を徹底。その様子はコロナ禍の現在となんら変わらない。スペイン風邪流行下の実体験をもとに描かれた短編「マスク」ほか8篇、心のひだを丹念に描き出す傑作小説集。

 一方、志賀の『流行感冒』はかねてよりスペインかぜを扱った小説と知られていたにもかかわらず、『マスク』のような再評価を受けていない。それはこの作品が今の読者にとって共感できるところに欠けているからだろう。

 「流行感冒」は「流行感冒と石」の題名で『白樺』1919年4月に掲載された短篇小説である。石《いし》という女中を中心にインフルエンザ流行の渦中を描いている。スペインかぜが日本での流行を見せ始めるのが1918年4月頃で、11月に最初のピークをク迎える。同作品はこの時期の志賀の体験を元にしている。

 舞台は千葉の安孫子である。志賀は柳宗悦に誘われ、1915年より同地に居住している。当時の志賀は父と不仲で、1916年、長女慧子が病で夭折している。次女留女子(るめこ)が1917年7月に誕生、志賀は8月に父と和解する。志賀の私小説は続き物のリアリティショーなので、この予備知識がないと、『流行感冒』もピンとこない部分が少なくない。

 「最初の児が死んだので、私達には妙に臆病が浸込んだ」と小説は始まる。そのため、「私」は病気を過剰に恐れるようになっている。なお、次女は「左枝子」として登場する。「流行性の感冒が我孫子の町にもはやって来た。私はそれをどうかして自家に入れないようにしたいと考えた。その前、町の医者が、近く催される小学校の運動会に左枝子を連れて来る事を妻に勧めていた。しかしその頃は感冒がはやり出していたから、私は運動会へは誰もやらぬ事にした」。

 「毎年十月中旬」恒例の町の芝居興行を女中たちは楽しみにしていたが、「私」は「今年だけは特別に禁じて、その代り感冒でもなくなったら東京の芝居を見せてやろう」と指示する。しかし、その日、石はどこかに外出、帰宅後、「芝居には参りません」と答えている。「私」は芝居見物に行ったに違いないと思い、石を子に近づけないよう妻に言いつける。だが、子を抱く石をみて、「私」は激高、それでも収まりがつかず、妻にも当たり散らす。

 誰が聞いても解らず屋の主人である。つまらぬ暴君である。第一自分はそういう考を前の作物に書きながら、実行ではそのまるで反対の愚をしている。これはどういう事だ。私は自分にも腹が立って来た。
「お父様があんまり執拗くおうたぐりになるからよ。行かない、とあんなにはっきり云っているのに、左枝子を抱いちゃあいけないの何の……誰だってそれじゃあ立つ瀬かないわ」
気がとがめている急所を妻が遠慮なくつッ突き出した。私は少しむかむかしてきた。「今頃そんな事をいったって仕方がない。今だって俺は石のいう事を本統とは思っていない。お前まで愚図々々いうと又癇癪を起すぞ」私は形勢不穏を現す眼つきをして嚇かした。
「お父様のは何かお云い出だしになると執拗いんですもの、自家の者ならそれでいいかも知れないけど……」
「黙れ」

 しばらくして、石の噓が発覚、「私」は暇を出すと決めるが、妻にとりなされてそれを撤回する。数週間後「流行感冒も大分下火になった」頃、「私」が感染する。そこから妻やもう一人の女中、看護婦、左枝子にも感染していく。石だけが発症せず、普段は働き者と言えないが、看病や家事を献身的にこなす。それから「私」の彼女への見方が変わる。

 以上のような内容である。これでは、パンデミック下に置かれた読者にとって感情移入できない。当時は「7歳までは神の子」と言われ、感染症などにより乳幼児死亡率が高い。長女を早くに亡くしたこともあり、幼い次女がインフルエンザに感染しないようにと予防に細心の注意を払うことは理解できる。専門家である医者の勧めに従わないとしてもやむを得ない。また、観劇に行くなと命じておいたのに、それを無視したのではないかと石に不信感を抱き、嘘が判明したため暇を出そうとしたこともわかる。しかし、「私」の態度はモラル・ハラスメントに当たるほど異常だ。「私は不愉快だった。如何にも自分が暴君らしかった。--それより皆から暴君にされたような気がして不愉快だった」。このような主人公は感染者バッシングや自粛警察を思い起こさせる。

 しかも、「自家」で感染源となったのは石ではなく、「私」である。パンデミック時にインフルエンザ感染は誰にでも起こり得るので、それを非難すべきではない。ただ、「私」が他人に厳しく自分に甘いコントロール欲求の強い「暴君」であることは確かである。加えて、「私」が石を見直したのは彼女の献身であって、その際、自身の認知行動の歪みは不問にしている。それも、自らの言行不一致に疑問を抱いていたにもかかわらず、である。「私には予てから、そのまま信じていい事は疑わずに信ずるがいいという考があった。誤解や曲解から悲劇を起すのは何よりも馬鹿気た事だと思っていた」。主人公はパンデミックをめぐって放言を繰り返すタレントとさほど違いがなく、今の読者にとって共感しようがない。リバイバルどころか、この小説を評価する人は社会性がないと言えるだろう。

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