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及川あ巻き、あるいは名前のない馬(4)(2003)

89第6章 草の根のネットワーク
 中世や近世において、数学や連歌、俳句などの愛好家の間に知縁とも言うべきネットワークが形成されている。その分野の最新情報を伝えたり、指導したりする人が知縁をたどって全国各地を行脚している。そうした例の一人が松尾芭蕉である。俳句は人間の絆を強めたり、広げたりするもので、個人だけで楽しむものではない。

 あまきはそうした伝統に則っている。彼は一人で俳句をつくるのではなく、草の根の句会を開催している。句会はサロンであり、その出会いは決定論的非周期性がある。必然的ではないけれども、まったくの偶然でもない。草の根の草は雑草であり、自発的・ゲリラ的であって、その広がりは身分や階級、職業を超える。それは「個人性に大きく依存するプライベートなネットワーク」の「ええかげんネットワーク」(森毅『ええかげんネットワーク』)である。Jリーグが成功し、インターネットの発達により、むしろ、「ええかげんネットワーク」は定着している。

 あまきは句集の各章に土地の名前をつけている。句集は「日向と欧州(昭和三年秋──七年冬)」・「西荻窪と甲府(昭和七年春──十四年秋)」・「荻窪(昭和十四年秋──二十一年冬)」・「北上(昭和二十一年冬──二十八年冬)」の四部構成である。宮崎県日向と山梨県の甲府は赴任地であり、荻窪は、当時、あまきの自宅があった場所である。彼は荻窪の天沼に居を構えている。その地域には太宰治も下宿していたなど文人が集まっている。「雛の間に旅の衣を解れよと」と詠みながら、あまきは土地の間を遊牧民のように移動している。

 『白馬』には、日本だけでなく、アメリカやヨーロッパの各地で詠んだ句も多い。あまきが詠んだ句以上に、携わったネットワークが重要である。その点において、彼のような俳人を考える意義は小さくなく、むしろ、現代の問題である。「普通、人と人との間は言葉を通じて絆を結ぶと言うが、どちらかというと、言葉は絆というよりも隙間を埋めるキノコの菌糸に似ている。人と人との間には隙間があるから、その隙間に言葉の菌糸が広がり、それでつきあいが生まれるのではないか」(森毅『おしゃべり社交術』)。

 草の根の自律的活動は、最近、期待されているが、その代表例がグラミン銀行である。それは、貧しい人たちだけに融資する銀行として、一九八三年、ムハマド・ユヌスによりバングラデシュで発足している。ベンガル語で「農村」を意味する「グラミン」の名の通り、発足以来二〇年間に渡り、女性を中心に無担保で少額融資を行い、貧しい農村が貧困から抜け出せるよう支援している。バングラデシュ国内の三万以上の農村で活動が行われ、利用者の九割以上を女性が占めている。融資を受けるには、五人でグループをつくって銀行のメンバーになり、研修を通して、自分の名前のサインの仕方や生活改善、起業に関する知識を得て、融資を受けられる。五人のうち資金を最も必要とする二人が最初に融資を受け、翌週から毎週定期的に集会を開き、その場で、行員に返済していき、残りの三人も順次貸し付けを受けられる。融資された人々は、少額の資金で、家畜の飼育や農作物の栽培、工芸品制作などで安定した収入を得て、返済率は九割以上に達している。

 この試みは、貧困層に小規模融資を提供するマイクロクレジットの先駆けとして注目を集め、開発援助協力の新たな方法として同様のプロジェクトが途上国にとどまらず、世界五〇ヶ国以上で実践され、成果を上げている。グラミン銀行の成果にならって、一九九七年にはアメリカで一三七カ国が集うマイクロクレジット・サミットが開催され、その後、アジア、アフリカ、中南米の途上国を始め先進諸国でも、貧困の撲滅や雇用の創出などのためにマイクロクレジットが広がっている。また、グラミン銀行は、九〇年代初めから、預金や貸し付けに加えて、織物生産や農業、漁業といった事業もスタートし、さらに携帯電話やインターネットを利用した通信サービス、医療・保健サービスも進行中である。しかも、このプロジェクトは慈善事業ではなく、サービスをあくまでも有料で提供し、ビジネスとして成り立たせることで、受益者の自律に向かわせている。

 グラミン銀行の方針は、途上国の生産者を先進国の消費者が対等な立場で支援しようというフェアトレードのアプローチにも重なる。グラミン銀行の活動はたんなる地域経済ではなく、地域文化として考えるべきだろう。

 あまきにとって、句会はグラミン銀行であり、俳句はマイクロ・クレジットである。近代以降、国民国家の枠組みは政治的領域にとどまらず、経済や文化にも及び、地域の独自性・主体性は抑圧されている。この地域は国民国家内部における狭い区分、あるいは複数の国家を横断する範囲の二つの場合がある。いずれにしても、国民国家の均質化がもたらす諸問題に対するオルタナティヴである。国民国家が領域と境界を明確に設定しようとしたが、ローカル・エリア・ネットワークがインターネットと接続されて効力を発揮するように、そうしたオルタナティヴは住む自由と移動する自由が認められた「ええかげんネットワーク」によって可能になる。あまきはそれを実践している。

第7章 雑草の文化
 あまきは、一九四六年以降、馬の句よりも農業に従事した句が増えていく。けれども、それを素朴な大地への回帰と考えるべきではない。あまきは「雪掘って笹食うべをり牧の馬」、さらに「採氷の雪につまれてみどりなる」と詠んでいる。緑を育てるには土や水への視点が不可欠である。土や水は生産の場だけでなく、分解の場でもある。土や水の中には、動物の腸の中と同様、微生物が住んでいる。植物にとって、窒素は必須であるけれども、窒素は大気中に最も含有率が高い気体であるが、窒素分子は三重結合をしているため、植物には直接取り入れることができない。微生物が窒素固定を行った後、植物はそれをアンモニアとして体内に取りこめる。土や水は異なったものたちの共生の場である。

 植物全体にあって、雑草は原野には生えない。雑草という概念自体、原野には、存在しない。雑草は「人間の論理と自然の論理とが、適度になれあう場」にしか生育しない。草の根はそうした異なった論理が「適度になれあう場」にしか生まれない。雑草の文化には、そのため、退廃がつきまとう。こうした退廃こそが、ナチスが「退廃文化」を斥け、ユダヤ人を排除しようとしたように、共生である。ナチスはドイツの伝統的な農村を賛美したが、そこではユダヤ人に土地所有が禁止されている。それはユダヤ人差別のレトリックである。「人間にできることは、自分の世界のなかに、その自然の世界をとりこんでいくことだけだろう」(森毅『せっかくの”雑草”を結局”盆栽”にしちゃうんだ』)。

 俳句の論理はこの「自分の世界のなかに、その自然の世界をとりこんでいくこと」であるが、草の根の俳句は借景ではない。せっかくの雑草を「盆栽」にしてはいけない。草の根のしたたかさが盆栽にされることで失われてしまう。「人間が育っていくには、もう少しは、自然の論理に目をくばらなければなるまい。目的や計画ばかりでなく、草や木の茂りあうバランスが基礎になる。すべてがスギになるのではなく、さまざまな雑りあう姿の、その一本ごとに目をとどめ、そして道のはたの花や虫を楽しんだほうがよい。それは美妙なことだけに、たえず気を配らねばならないことだが、日曜日に裏山をぶらつく気分の程度でよいのだ。一途に進むよりも複雑だけれど、人生という世界だって、そのほうが楽しいと思うのだ」(『せっかくの”雑草”を結局”盆栽”にしちゃうんだ』)。

 あまきは「盆栽」ではなく、雑草の俳人である。彼は俳句をつくるのを「日曜日に裏山をぶらつく気分の程度」で行っている。おそらく、現代社会において、最も必要とされるのは「一途に進む」のではなく、そういう「楽しさ」を感じられることだろう。草の根には眉間に寄せられたしわやこめかみに立てられた青筋ではなく、「日曜日に裏山をぶらつく気分」のほうがふさわしい。文学史に名を残す俳人とは違い、草の根として生きた及川あまきという俳人を考えるとき、「さまざまな雑りあう姿の、その一本ごとに目をとどめ、そして道のはたの花や虫」を楽しむことの大切さが思い起こされる。「何ゆえにわれわれは自然に対して不平を言うのか。自然は好意をもって振舞ってくれている。人生は使い方を知れば長い」(セネカ『生の短さについて』)。 

On the first part of the journey
I was looking at all the life
There were plants and birds and rocks and things
There was sand and hills and rings
The first thing I met was a fly with a buzz
And a sky with no clouds
The heat was hot and the ground was dry
But the air was full of sound

I been through the desert on a horse with no name
It felt good to be out of the rain
In the desert your can remember your name
Cause there ain't no one for to give you no pain
(la la la...)

After two days in the desert sun
My skin began to turn red
After three days in the desert fun
I was looking at a riverbed
And the story it told of a river that flowed
Made me sad to think it was dead

You see...

After nine days I let the horse run free
Cause the desert had turned to sea
There were plants and birds and rocks and things
There was sand and hills and rings
The ocean is a desert with its life underground
And a perfect disguise above
Under the cities lies a heart made of ground
But the humans will give no love

You see, ...
(America “A Horse With No Name”)
〈了〉
参照文献
及川あまき、『白馬』、近藤書店、1959年
寺山修司、『馬敗れて草原あり』、角川文庫、1992年
林良博、『検証アニマルセラピー』、講談社ブルーバックス、1999年
森毅、『ええかげん社交術』、角川oneテーマ21、2000年
同、『元気がなくてもええやんか』、青土社、2003年
セネカ、『生の短さについて 他2篇』、大西英文訳、岩波文庫、2010年
CD-ROM『Microsoft Encarta 総合大百科 2003』、マイクロソフト社、2003年


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