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泡沫候補(2013)

泡沫候補
Saven Satow
Jun. 27, 2013

「そういえば、家財を整理していたときに出てきた小学校の文集に、将来の夢は総理大臣と書いていた」。
三枝玄樹『結党!老人党』

 2013年6月29日より藤岡利充監督のドキュメンタリー映画『立候補』が公開される。いわゆる泡沫候補と呼ばれる立候補者たちに迫った作品である。主な被写体は政見放送の「スマイル・パフォーマンス」で知られるマック赤坂である。参議院選挙が近いこともあって注目され、試写会での前評判も非常に高い。

 泡沫候補は選挙につきものの際物に見える。しかし、藤岡監督は立候補について「政治参加の手段なのに、みんなの意識の中にないもの」と語る。有権者は投票する権利を持っていることを知っている。けれども、多少要件は違うものの、被選挙権も有していることを忘れがちである。泡沫候補はそれを自覚している有権者である。

 泡沫候補は、地盤・看板・鞄はともかく、識見や温情、情熱などの点で他の候補者と比べて必ずしも劣っているわけではない。泡沫以上に泡沫的な議員さえ実際には少なくない。何しろ、憲法13条の包括的人権保障を知らずに改憲を主張する法学部出身者が首相に選ばれる国である。

 泡沫候補は惨敗する。けれども、それは強者と選挙という同じ土俵で戦った結果である。戦わなければ、負けることもない。自分たちは泡沫候補だなどと立候補もせずに言うとしたら、思い上がりである。泡沫候補は不戦敗ではないからだ。

 権利であるから選挙権・被選挙権を行使するかどうかはあくまで個人のオプションだ。政治家志望などどうかしている。利権を漁るか、独善的であるかといった具合で、まともなら、別の仕事を選ぶはずだ。政治は胡散臭いものだから、関わるのを避けた方がいい。そうしないと、自分の仕事や評判に悪影響が出る。そう思いながら政治を眺め、泡沫候補を冷笑する。しかし、泡沫候補はそんな有権者に傍観者ではないのかという自問を引き起こす。

 欧州の多くの地方議会では泡沫候補が存在しない。実費しか支給されない名誉職だからだ。一般市民が自治の精神に則り議員として参加する。議員歳費がないのだから、定数も多い。泡沫を嘲る前に、なぜこうした候補があり得るのかを考えた方が本質的である。

 実は、泡沫候補を主人公としたドキュメンタリー映画が日本で話題になるのはこれが初めてではない。2007年1月23日にBS1で、イランの大統領選挙を扱った『 イラン 大統領になりたかった男 (President Mir Qanbar)』が放映されている。イランのロヤビーン・メディアが2005年に制作したドキュメンタリー映画である。同作品は2005年度山形国際ドキュメンタリー映画祭で「アジア千波万波」部門奨励賞、2006年度上海テレビ祭においてドキュメンタリー部門最優秀社会番組賞をそれぞれ受賞している。

 イラン・イスラム共和国の東アゼルバイジャン州に暮らすミール・カンバールは庶民の声を届けたいと大統領になることを夢見ている。内務省に勤務したこともあるこの75歳は、長年、大統領選挙と国会議員選挙に立候補を続けている。イランの大統領制は米ロなどと違うが、そうした認識もない。

 コーランの一節「アッラーの助けありて、勝利は近し」を染め抜いた赤い革命旗を立てた年季の入った自転車にまたがって、イラン北部の村々を回り、年代物の拡声器で人々に主張を訴える。長年連れ添った妻は何も言わない。夫は理解してくれていると信じて疑わない。

 運動員は、イラン・イラク戦争により手足に障害を負ったため、いつもロバの引く馬車に乗っているセイフォッラーだけである。老人が大統領になった暁には、保健大臣のポストが約束されている。その姿はドン・キホーテとサンチョ・パンサを思い起こさせる。生きられた諷刺である。

 二人の選挙活動はロード・ムービーさながらに気ままである。ロバが普通に歩いている地域だ。前時代的なイランの片田舎を彷徨っていると言った方が正確だろう。道すがらに出会う村人や羊飼いに政策論議をもちかけ、貧困層の声を国政に届けると約束して、投票を依頼する。しかし、床屋談義を超えるものではない。選挙公約も曖昧で、通俗道徳にとどまっている。ただ、自分たちのような庶民の思いを政界に伝えなければと大統領の座を目指している。

 2012年の総選挙において94歳の川島良吉候補が話題となっている。この日中戦争従軍経験者の姿にイランのドン・キホーテがだぶって見えたことは言うまでもない。

 開票日、ミールの獲得票は当選には遠く及ばない。海外の人々はおろか、イランンの有権者でさえこの泡沫候補が誰なのか知る人は多くないだろう。けれども、彼は前回より増えたと喜んでいる。その結果を踏まえ、次こそはと彼は心に誓うのである。

 『立候補』の公開に際し、このイラン映画に関する言及がマスメディアやネット上であまり見られないのは残念なことである。『立候補』だけでなく、2005年の秀作も鑑賞することが望まれる。

 泡沫候補のドキュメンタリーが非常に印象深い理由は、強烈な個性の被写体による生きられた諷刺を感じさせるからだろう。泡沫候補は近代選挙制度の理念をレトリックとしてではなく、字義通り受け取り、それに忠実である。泡沫候補の活動は、そのため、理念と現実の衝突を顕在化させる。有権者を含めた選挙のあり方の批評として機能している。

 選挙という統治の選択の機会は時代や社会を反映する。その理念にコミットメントする行為はそれらを他にないほど諷刺してしまう。泡沫候補への冷笑や罵倒、無視は自由民主主義を儀式と見なす欺瞞の現われだ。シニシズムがない泡沫候補は民主主義の草の根を強くする。被選挙権の行使から民主主義の根の姿が見える。
〈了〉
参照文献
三枝玄樹、『結党!老人党』、毎日新聞社、2007年
NHK、「BS世界のドキュメンタリー|イラン 大統領になりたかった男」、2007年
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/070123.html


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