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現場に力を!(2012)

現場に力を!
Saven Satow
Feb. 18, 2012

「現場で考え研究せよ」。
豊田喜一郎

 2012年2月16日、電機大手の春闘要求が出そろう。赤字が相次ぎ、経営側は賃上げどころか、定期昇給の維持さえ見直す構えだ。

 経営者側は、労働者側の貢献は認めながらも、東日本大震災やタイの洪水などの自然災害、欧州債務危機、歴史的な円高水準、デフレの長期化などを理由に今後も苦しい経営が続くと見られ、要求には応じられないとしている。また、グローバル展開をする際に、世界から人材を集めるために、給与体系も国際標準とする必要があることを付け加えている。

 労働者側は、そもそも定期昇給は一律ではなく、能力や成果に応じて個々に額に差がついており、世界市場で日本企業が打ち勝つための労使間のコンセンサスだと反論している。また、現行の賃金体系や定期昇給は生活の安定や将来設計に欠かせず、購買力の維持は消費につながり、景気を押し上げる効果があると主張している。

 近年の労使の主張は今回とほぼ同じである。もっとも、人員整理の嵐が吹き荒れた時や急速に労働規制の緩和が進んだ時には、賃上げよりも雇用の確保を労働者側が優先させた場合もある。

 正直、春闘のいずれの主張も建設性を欠いている。グローバル化時代に日本企業が生き残ることに関しては、労使双方が共有しているだろう。そこから春闘も展開されなければならないのに、「経営か、それとも生活(雇用)か」の二律背反に陥っている。

 日本企業の最大の強みは現場の力である。これこそが日本のモノづくりの財産である。日本企業がグローバル化時代に打ち勝つにはこの財産を増やし、決して減らないようにすることを優先しなければならない。春闘も現場力を強める観点から労使双方が主張を弁証法的に展開する必要がある。「経営か、それとも生活(雇用)か」ではなく、「現場に力を!」が共有されねばならぬ。

 「アーキテクチャ」、すなわち設計の基本構造は大きく「インテグラル型」、すなわちすり合せ型と「モジュラー型」、すなわち組み合わせ型に二分できる。前者はシステム全体から個々の部品を相互調整的に構造設計するアプローチであり、自動車が好例である。一方、後者は各部品間のインターフェースを標準化して結合するアプローチであり、デスクトップ・パソコンが典型例である。日本はインテグラル型で強みを発揮する。モジュラーがマネジメント力だとすると、これは現場力が試される。

 90年代以降の日本の製造業における国際競争力の低下はモジュラー型製品の急速な普及が挙げられる。後発国はこのモジュラー化の流れに乗って成長している。それに伴い、多くの工業品の価格が下がり、消費者にはありがたい状況が到来する。

 こうした環境の変化に企業は適応を強いられる。それには、現場力を向上させるために、自らの強みと弱みを知り、市場立地と国際分業の観点から海外展開を行い、人材の獲得と育成を図る必要がある。

 ところが、企業の経営者の中には現場の力を強めることを怠り、人件費の削減に走ったものも少なくない。国際競争力の低下は、円高と高コスト体質に原因があり、それには海外への生産拠点の移転と国内労賃の低下が必須であると主張する。生産性ではなく、採算性の向上という製造業ではなく、金融業の考えがそうした大企業のトップの口から出るようになっている。

 小泉純一郎内閣を筆頭に自民党を中心とした連立政権は1990年代後半から大企業の言いなりに、労働規制を次々に緩和している。日本共産党の主張はこの点では正しい。これは無能で無責任な経営者の保身に手を貸しただけで、現場の力を弱めることにしかつながらない。とうとう全労働者の3割まで非正規雇用者が増加する。インテグラル型の現場は、多能工が端的に示しているように、長期的な雇用でないと、力を維持・成長できない。貧富の格差の拡大もさることながら、現場力を弱体化させたことは明らかに失策である。

 円高・人件費対策を主目的に海外移転しても、国際競争力は向上しない。すでに国際競争力を持っていながらも、市場立地や国際分業の観点から海外展開を始めてこそ成功できる。マザー工場など国内に残さなければならない部分と先の理由から海外移転する部分とを見極める必要がある。海外工場の売り上げが伸びれば、国内も連動する。この態勢であれば、産業の空洞化は起きない。

 これは今後の国際環境の変化への対応という点からもメリットがある。進出した先の人件費の高騰や為替相場の変動、3年ほどの間隔で起きる何らかのショックなど将来どうなるかはわからない。人材の確保・育成もこうした考えの下で進められるべきである。お雇い外国人の頃ならともかく、賃金体系を国際標準にしなければ、海外から人材を集められないという信念は本末転倒している。

 たんに経営からではなく、現場力強化の観点から雇用形態・賃金体系を導き出す必要がある。それを軽視した企業戦略は功を奏しない。

 日本の製造業の大半は中小零細企業である。大企業を中心に見ていたのでは、現状を良く認識できない。電機大手の場合、販売製品に液晶テレビのようなモジュラー・アーキテクチャが少なからず含まれている。モジュラー型であれば、アジアの新興国に強みがあり、日本の国際競争力は落ちる。しかし、技術屋は階層構造、すなわちレイヤーで製品を認識する。下の階層を見ると、事情が異なっている。部品や材料、さらにその製造機械はインテグラル・アーキテクチャというものが数多く組みこまれている。韓国企業から押されっぱなしの液晶パネルであるが、そのフィルムに関しては日本企業が圧倒的に強い。

 大企業の電機大手の国際競争力は90年代に入って下落しているが、実は、中小企業は依然として高い水準を維持している。

 大企業偏重は報道姿勢に原因がある。『日本経済新聞』を始めとして経済担当の記者は大企業の関係者と接触することが多い。彼らの見方に沿って記事・番組を作成する。中小企業がとりあげられることは稀で、せいぜい注目の新たな動向にとどまる。記事や映像は、「まだまだ日本企業は捨てたものじゃない」と武田鉄矢を思い起こすような口調で語られる。いわゆる「オンリー・ワン」神話である。

 日本の現場は暗黙知が多いと言われているが、それは事実誤認である。工業では、一定水準の製品を量産しなければならない。暗黙知では限界がある。現場では、日々の改善で獲得・蓄積された知見を明示化して、共有する必要がある。この明示知が現場の力である。暗黙知を盲信する匠や達人好みの意見は無内容だ。この財産は日常的作業であるため、ある時点を切りとる報道にはなじまない。これでは一般の人々もその意義を認知できない。政治家も政府も、こうした状況下、目立つ「オンリー・ワン」への支援に走りがちとなる。

 「現場力」は抽象的な言い方だが、具体的には、開発・生産・流通・販売など各現場における暗黙知の明示知への形式化の絶え間ないループ作業を意味する。モジュラー・アーキテクチャでは、部品の規格化が進んでいるので、インテグラル型よりもこれが要求されない。

 日本の中小零細企業の最大の特徴は「社長の個性が強いこと」である。大企業の経営責任者がスーツ姿であるのに対し、テレビの取材にも、中小零細企業の社長は作業着で応じることが少なくない。彼らはそれだけ現場に責任と誇りを持っている。現場の力こそが自社の財産であり、そのさらなる増殖が今後を左右する。学と教養には乏しいかもしれないが、やる気満々で、いかなる苦境にもめげないたくましさがある。ヨゼフ・アロイス・シュンペーターやピーター・ドラッカーが理想化したイノベーターの姿そのものである。大企業の幹部は、こうしたおやっさんやおかみさんから見れば、環境変化におたおたし、業績低迷の言い訳をあれこれ探して、政府に泣きつくひ弱な連中であろう。

 製造業の置かれた現状と課題に対する解決の糸口は現場にある。労使双方が改めてそれを確認する春闘が望まれる。現場に力を!
〈了〉

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