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アベノーマルの時代(2020)

アベノーマルの時代
Saven Satow
Sep. 03, 2020

「民進党の皆さんだとは一言も言っていないわけで、自らに思い当たる節がなければ、ただ聞いていただければ良いんだろうと思うわけで、訂正でんでんという指摘は全く当たらない」。
安倍晋三

 安倍晋三首相の慶応大学病院への通院が報道され、辞任の憶測が流れ始めると、この政権のレガシーが何かを指揮者やメディアが問い始める。ほぼ共通して、彼らは最長だったことを挙げている。安倍政権最大の実績は長く首相を務めたことというわけだ。

 2020年8月24日、2012年の第2次政権発足に始まる安倍晋三首相の連続在職日数が2799日となり、佐藤栄作元首相の記録を超え、歴代1位になっている。短命に終わった第1次政権を含む通算在職日数は2019年11月に戦前の桂太郎元首相の記録をすでに抜いている。もちろん、在任記録は内閣の政治的実績ではない。その二人の記録ホルダーも祖のレガシーは在任期間ではない。佐藤栄作首相には沖縄返還や公害関連14法の成立、曾良太郎首相は日英同盟締結や日露戦争の勝利などがある。

 衆目が一致するこれといった実績がないにもかかわらず、最長政権になった一因に国政選挙の勝利もあるだろう。実際には公示前の議席を維持できなかった選挙もあり、線引きによってそれが勝利と見なされたこともある。いずれにしても国政選挙で自公が過半数を維持したことは確かである。

 もっとも、その選挙において、政権前期はともかく、後期になると、安倍首相は隠れるようになる。応援演説の日程を非公表にしたり、入場制限をしたりするなどおよそ民主主義の選挙の精神に反した行動をとっている。とても現職総理の態度と思えず、選挙の顔の役割を果たしていない。選挙の勝利に首相が貢献したとは言い難い。

 そのような安倍首相の率いる内閣における世論調査の特徴の一つが消極的支持の多さである。「なんとなく、アプルーバル」だ。当初は「民主党政権よりマシだから」が目立ったが、次第に「他よりよさそうだから」に変わる。これは実際に安倍内閣が民主党政権よりも実績を残しているかどうかではない。こうしたなんとなくの世論に支持され、安倍政権は特に実績も残さないままだらだらと続いたことになる。ハンサムで明るく情熱的な小泉純一郎首相と違い、熱狂による積極的支持に支えられた長期政権ではない。

 消極的支持層には人物像が浮かぶ。暮らしに追われ、政治にある程度関心はあるが、プロにまかせるという姿勢だ。政権に求めることは経済や社会保障がよくなることである。政治情報はテレビや新聞、週刊誌、ニュースサイトなどを日常の合間にチェックする。ネットで積極的に確認することはしないが、メディア情報を鵜呑みにしているわけでもない。周囲とうまく協調しているいい人なので、なんとなくその気分に従う。メディアで政権のスキャンダルが明るみになると、不支持に回ることもある。消極的指示は特に根拠を持っているわけではないから、なんとなく揺れ動く。

 彼らは消極的支持なので、期待も普段からなく、安倍首相が辞任しても失望もしない。ただ、不満はある。満足していたわけではない。仕方なく支持していただけだから、不平を口にする。病人に対する一般的な気遣いを示すだけで、実際には同情もあまりない。やめて水に流すこともない。不満があった分、むしろ、蒸し返したくなる。自死に追いこまれた赤木俊夫元近畿財務局職員の無念さや不憫さも同じ働く者として身につまされ、忘れることはない。

 辞任会見後に内閣支持率が56.9%と前回より20.9ポイント上がったとしても、驚くに値しない。もしその増加分が積極的指示であるなら、辞任を慰留する声が高くなるはずだ。しかし、そうなっていない。共同通信が8月29・30日に実施したその世論調査によると、退陣時期の表明について、「適切だった」が58.6%、「遅過ぎた」が25.3%で、「早過ぎた」は12.7%である。おそらくこの「早過ぎた」と思う人が積極的支持層、すなわちコアの支持層だろう。

 このような消極的支持が持続した一因として、第二次安倍政権がイデオロギー的には折衷主義であることが挙げられよう。これは長期政権を狙うウラジーミル・プーチン大統領など非自由主義的民主主義の政治指導者と同様の姿勢である。彼らは保守層をコアな支持層に据えた上で、その時々に応じて人気政策を実施して他の層の支持をとりつける。特定イデオロギーに固執してはこの柔軟性が保てないため、折衷主義をとる。政権を長続きさせることが目的だから、イデオロギーはその手段にすぎない。

 安倍政権の政策の実施は「やってる感」と評されている。それは、意義ある政策を効果的に実行するのではなく、世論にそう思わせるイメージを提示することである。広告代理店的政治手法と言える。

 本来、政策は社会に新たな状況を実現するための手段である。しかし、それはしばしば政権にとっての目的になる。典型が小泉純一郎政権の郵政民営化である。小泉首相が「行政改革の本丸」と言っていたように、行政改革の手段であったはずの郵政民営化はそれを実現すること自体が彼の政権目的と化している。

 ところが、安倍政権はそうではない。安倍首相にとって重要なのは「やってる感」である。イメージ形成が目的であり、政策はその手段であって、それが何であるかは二の次だ。政策達成が目的ではない。そのため、実際にはなくとも、道があると世論に思わせればよい。だから、安倍政権に「道半ば」などあり得ない。「やってる感」が目的なので、政策が不評だったり、問題が顕在化したりすると、別のものを提示する。この繰り返しだから、安倍政権はレガシーと呼べるほどの成果を残せない。膨大な負債が堆積しただけである。しかし、この「やってる感」によりなんとなく世論は支持し続ける。

 改憲について安倍首相が本気なのかとしばしば論者が疑いを口にする。どこをどう変更し、どのように進めるかが明確ではないから、疑念を抱いても不思議ではない。これも、変えることが困難とされている憲法を何でもいいからいじるという「やってる感」である。

また、 後継者を作れば、それに向かう未知が明示されてしまう。安倍首相にはそのようなことはできない。しかし、まったく名を挙げないわけにもいかない。そうした時には、小野寺五典元防衛相や稲田朋美自民党幹事長代行などおよそ可能性が小さい政治家の名をなんとなく暗示する。だから、安倍首相は、過去の長期政権と違い、後継者を育成していない。そうした人的遺産も安倍首相にはない。

 けれども、新型コロナウイルス禍に「やってる感」は通用しない。これは持続するから、目先を変えられない。繰り出す政策はことごとく世論から不評を買い、支持率が下がっていく。

安倍晋三
@AbeShinzo
友達と会えない。飲み会もできない。
ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります。お一人お一人のご協力に、心より感謝申し上げます。
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午前9:11 · 2020年4月12日·Twitter for iPhone

 御厨貴東大名誉教授は、2020年8月29日付『毎日新聞』の「論点 安倍政権の功罪」において、安倍政権の特徴の一つとして、これほど「右」の勢力とつながった首相が近年いなかったことを挙げている。当初は歴史修正主義や靖国参拝などの言動に反対する議員も少なくなかったが、次第に自民党が「右」に侵食されている。ここで御厨名誉教授は、素朴な紋切り型である、「社会の右傾化」ではなく、「自民党の右傾化」と見ている。

 ただし、この「右」は軍国主義体制で活動したり、巣鴨プリズンの経験を背景にしたりするような従来の「右翼」ではない。「右翼」は天皇への強い忠誠心を持っている。自主憲法制定を唱える民族派も、戦後憲法の精神に則った振る舞いの天皇への絶対的帰依は揺るがない。けれども、安倍首相とつながる「右」はこうした天皇への敬意がない。それどころか、天皇以上に総理に忠誠心を示す。天皇を軽んずる「右」に対して、「ネット右翼「がまさにそうであるが、「右翼」と呼ぶことを躊躇せざるを得ない。むしろ、こういった「右」にふさわしいのは「パターナリズム(Paternalism)」だろう。いわゆる「右傾化」は「パターナリズム化」と理解すべきだ。

 彼らは国際政治から暮らしに至るまでパターナリズムによって世界を捉える。国際関係も家父長的秩序に則っているべきとし、歴史修正主義もそれに基づいている。戦前の日本は東アジアの家父長だったというわけだ。また、彼らは女性の社会進出を認めるが、選択的夫婦別姓など女性の権利拡張にはことごとく反対する。当然、女性天皇や女系天王にも拒否感を示す。

 この「右」は、野党の女性議員をしばしば攻撃するように、フェミニズムを嫌う。フェミニズムは近代本流思想のリベラリズムの一種である。それは近代の最も基礎的な原理の公私分離を私の側から再検討する。家事や育児、介護などの分担は私的領域に属し、各家庭の選択に本来委ねられている。だが、実際には、そうした私的領域に公的な関係や構造が影響を及ぼしている。近代の原則を実現するために、社会的認識を改め、権利を保障するための法制度を制定する必要がある。一方、パターナリズムは関係を上下で認知し、下の同意を得ぬまま相手の利益になるとして上が干渉する思想である。上は下に対して裁量権を持っている。それを下のために行使しているのだから、上は尊敬されねばならない。温情主義やおまかせ主義であり、自由で平等、自立した個人という近代の原則を許容しない。当然、公私分離も守らない。

 安倍首相自身にもパターナリズムが認められる。それには皇道も含まれる。周辺を含めて安倍政権には異例の人事や許認可、参加が横行している。彼らは従来の制度・慣例ではその地位に就いたり、恩恵を預かったりすることができない。家父長である安倍首相やその夫人の人脈のためにそうした異例が起きたと見られている。確かに、歴代の首相にもそうした裁量がなかったわけではないが、慣例の範囲にとどまっている。安倍政権は明らかに度を越している。安倍首相による「行政の私物化」や「国家の私物化」も彼のパターナリズムに起因している。

 この安倍首相のパターナリズムは統治の範囲にとどまらない。それを認めるなら、種々の恩恵にあずかれたり、圧力による不利益を避けたりすることができる。学者や文化人、ジャーナリスト、芸能人、俳優、ミュージシャン、作家、編集者などこのリストはまだまだ続く。しかも、このパターナリズムは連鎖する。安倍首相と直接知遇がなくても、彼のパターナリズムに同意するなら、その共同体に加わったように思え、傍若無人な振る舞いも天下御免になった気になる。隠して社会は分断され、荒んでいく。

 こんな安倍政権の最大の問題は、近代の法・制度を蔑ろにし、恣意による支配を蔓延化させたことだ。社会にもパターナリズム化が浸透し、「アベノーマル(Abenormal)」が7年8カ月の間に常態化している。従って、戦後日本民主主義における異常な時代が安倍政権の総括である。

 「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。……繰り返して申し上げますが、私も妻も一切この認可にも、あるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして……・繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思います」。
(安倍晋三『平成二十九年二月十七日衆議院予算委員会於首相答弁』)
〈了〉

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