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覇権と美徳(2020)

覇権と美徳
Saven Satow
Dec. 02, 2020

「無防備の国民には友しか存在しない、と考えるのは馬鹿げた事であろうし、無抵抗という事によって敵が心を動かされるかもしれないと考えるのは、杜撰きわまる胸算用であろう」。
カール・シュミット

 ASEANは、2020年11月20日、東アジアサミットの議長声明を公表、海洋進出を推進する中国を念頭に、南シナ海問題について「深刻な懸念」と述べている。伝統的に陸の国であった中国が海に出ることにより、国際的緊張が高まっている。それを背景に、カール・シュミットの『陸と海 世界史的な考察』が注目されている。この地政学の古典は世界史における国際関係の栄枯盛衰を「陸の国」=ビヒモスと「海の国」=リヴァイアサンの覇権争いとして描いている。

 例を挙げると、シュミットはイギリスの派遣の獲得を巡って次のように論を展開している。15、16世紀より18世紀にかけて、大航海時代の経験を通じて陸から海を中心とする世界観へとシフトする「空間革命」が起きる。イギリスは、他国に先駆けて、海という新しい空間に「自由貿易」という新ルールを設定、覇権を獲得する。国家的な領土権によって分割されている陸と違い、海はどこにも属していない。イギリスはそこに自由貿易のルールを管理することで、七つの海を制する。その結果、領土主権に代わって海洋をめぐる新たな国際法が準備される。

 海洋国家は、英国の他、ヴェネチア共和国やオランダ、アメリカなどをシュミットは挙げている。彼の考察にはないが、ASEANも陸と海による分類されることがある。インドネシアやフィリピンなどの「海のASEAN」とインドシナ3国のような「陸のASEAN」である。また、イラク戦争をめぐっても、海洋国家の米英西が積極派、大陸国家の独仏は消極派とNATOの間で分かれている。イラクという陸の国を攻める際に、海の国は判断を見誤ったと言えるだろう。

 ところで、シュミットによると、世界史を陸と海の力の争いとして把握する地政学は、中世のカバラ学者が『ヨブ記』から世界を陸のビヒモスと海のレヴァイアサンとの争いと解釈した考えに基づいている

 『ヨブ記』の中に河馬と鰐に関する記述がある。ビヒモスは河馬、レヴァイアサンは鰐と和訳されている。もっとも、ビヒモスもレヴァイアサンも、その名を付した著作があるように、日本でも比較的知られている。ビヒモスやレヴァイアサンは、『ヨブ記』40: 15-22において、次のように描かれている。河馬は「これこそ神の傑作。創造者をおいてそれに剣を突きつける者はいない」。一方、鰐は「この地上に、彼を支配する者はいない。彼はおののきを知らぬものとして造られている。驕り高ぶるものすべてを見下し、誇り高い獣すべての上に君臨している」。

 こうした記述はヘロドトスの『歴史』と類似している。ヘロドトスは、エジプトで見聞したことを紹介している第2巻68-71節において、鰐や河馬について次のように報告している。

 鰐の習性は次のようである。鰐は陸上および湖沼に棲む四足獣であるが、真冬の四ヵ月間は全く何も食べない。地上で産卵、孵化し、日中の大部分は陸上で過すが、夜間はずっと河中にいる。夜間は大気や露よりも水の方が温度が高いからである。われわれの知る限りの生物の内で、微小なものが巨大に成長する鰐のような例は他にない。鰐の産む卵は鵞鳥の卵よりさほど大きいものではなく、孵った仔鰐も卵相応の大きさしかないが、それが成長して十六キュス乃至それ以上にも達するのである。鰐の目は豚の目に似ており、歯は図体相応に巨大で、牙のように突き出ている。また鰐は舌をもたぬ唯一の動物である。また鰐は下顎が動かず、これも他の動物にはないことであるが上顎を動かして下顎につけるのである。強力な爪をもち、背には砕こうとしても砕けぬ鱗状の皮か張っている。水中では目が見えぬが、大気中では他に類のないほど目が利くのである。水中に棲息するので、いつも口内には蛭が充満している。ところでほかの鳥や獣は鰐を恐れて近付かないが、鰐鳥だけは、鰐の役に立つので鰐と仲が良い。鰐が水から出て陸に上り、口をあけると--鰐はほとんといつも西風の方角に向って口をあける習性がある--、鰐鳥はその口の中へ入って蛭を食べてしまうのである。鰐は楽にして貰うので喜んでおり、鳥には何も害を加えない。
 エジプト人の中には鰐を神聖視するものもある一方、そうでなくむしろ敵のごとく扱 うものもある。テバイおよびモイリス湖周辺の住民は、鰐を極度に神聖視している。右のどちらの地方でも一頭だけを選んで飼育しているが、よく飼い慣らしており、耳にはガラス製や黄金製の耳輪を、前脚には足輪をはめさせて所定の飼料を与え、生贄まで供えて、生きている限りはこの上なく大切に扱う。死ぬとミイラにして聖なる墓地に葬る。ところがエレパンティネ附近の住民は、鰐を神聖なものとは見做さず、これらを食用にさえするのである。
 この動物のエジプト名はクロコデイロスとはいわず、カンプサ(champsa )という。クロコデイロスというのはイオニア人の付けた名で、イオニア人は鰐の形状が自国で石垣の間にいる蜥蜴(クロコデイロス)に似ているので、それになぞらえてそのように命名したのである。
 鰐を捕獲する方法は多種多様であるが、最も話の種になると私の考えるものを次に述 べよう。
 狩り手は豚の背の部分を餌にして鉤につけ河の中流へ放ち、自分は仔豚をつれて河辺 に立ち、この仔豚を叩くのである。鰐は豚の声をきいて、その声のする方へ進んでくるが、そこで豚の背にぶっつかりこれを呑み込む。それをみなで曳きよせるのである。鰐が陸に曳き上げられると、狩り手は何をおいてもまず鰐の両眼を泥で塗りつぶしてしまう。そうしてしまえば後の始末はきわめて容易であるが、それをしないと大変な手間がかかるのである。
 河馬はパプレミス地区では神聖なものとされているが、他の地方のエジプト人はこれ を神聖視しない。その形状は次に述べるとおりである。河馬は四足獣で蹄は牛のように割れており、鼻は偏平で馬のようなたてがみがあり、牙を露わし、尾も声も馬に似て、大きさは特に大柄な牛ほどである。その皮は非常に厚いので、乾かせば投槍の柄に用いることもできる。

 ヘロドトスは生没年不詳であるが、これは紀元前5世紀頃のエジプトに関する記述であるとみられている。ただし、すべて正確というわけではない。「鰐は舌をもたぬ唯一の動物」ではない。鰐は舌を持っているけれども、見えにくい位置についている。古代エジプトでリヴァイアサンとビヒモスが信仰の対象になっていたことが分かる。

 『ヨブ記』は、伝承はともかく、紀元前5世紀から紀元前3世紀頃に恐らくパレスチナで成立したと推定されている。『ヨブ記』は『歴史』と地中海世界の河馬と鰐に関する認識をほぼ共有していたと思われる。『旧約聖書』にはユダヤ教固有の見方だけでなく、オリエントの認識が反映している部分が少なくない。河馬と鰐をめぐる記述は当時の地中海世界で広く共有されていた理解だろう。

 もっとも、河馬も鰐も、歴史的に見て、日本にとってなじみ深い動物ではない。東アジアでは、中国の強い影響を受け、龍・麒麟・鳳凰・霊亀といった架空の動物によって社会的・時代的状況がしばしば語られる。古代中国では、 動物を鱗蟲(虫)・毛蟲・羽蟲・甲蟲の四つに大別し、そこには各々360種の動物が属しているとする。龍・麒麟・鳳凰・霊亀は四カテゴリーを統括する長で、四霊獣あるいは四神と呼ばれている。四霊獣は、瑞獣、すなわち縁起のよい獣であり、世の中が瑞気に満ちて、平和な時代に現われ出るとされている。なお、人間はこの四つのカテゴリーのいずれにも入っていない。人間は裸蟲の長とされている。

 鱗蟲は魚や蛇のように鱗を持つ動物である。その長である龍は鱗が鯉、角が鹿、頭が駱駝、眼が兎、首が蛇、腹が蜃(しん)、爪が鷹、手が虎、耳が牛に似るとされる。また、龍は翼を持つともいわれ、「応龍」や「飛龍」とも呼ばれる。中国の工程を象徴するのは龍である。なお、蜃も架空の動物で、蜃気楼を発生させるとされている。

 次の毛蟲は獣類のように毛を持つ動物を示す。長の麒麟は体が鹿、頭が狼、尾が牛、足が馬で、頭に角がある。頭がよく、虫も踏まず、草を折ることもない仁獣である。聖徳の為政者の出現と共に姿を見せる。なお、麒麟の麒は雄、麟は雌をそれぞれ意味する。

 また、羽蟲は鳥のように羽を持つ動物だ。鳳凰は梧桐(あおぎり)に棲み、竹の実を食べ、醴泉(甘水)を飲む。五色絢爛な色彩で、声は五音を発する。世の中が平和で瑞気に満ち、聖徳の天子が現れる前兆として姿を現わす。なお、鳳凰の鳳は雄、凰は雌を意味する。

 さらに、甲蟲は甲殻類のように固い殻や甲羅を持つ動物を指す。霊亀は龍頭で、目が大きく、口には牙、手足が太い。厚い甲羅と鱗状の皮膚で覆われている。1000年以上経った亀とされ、吉凶を予知する能力を持つ。

 この四霊獣は日本でも信仰の対象で、その像を置いてある寺院も少なくない。この架空の動物は単独で民話の中で語られることもあるが、それらが互いにヘゲモニーを争うシチュエーションはあまりない。四霊獣は有徳の為政者が出現し、徳に基づく政治が行われることの予兆である。それが表彰するのは覇権ではなく、美徳である。

 近代は政教分離を前提にしている。邪悪な人間が権力を握ったとしても、制度によってその暴走を抑制するのが近代の理想である。しかし、シュミットが悪徳のリーダーに傾倒したように、国際的覇権を始めもっともらしい口実を利用して、その制度がないがしろにされることがしばしば起きている。そういった教訓があるにもかかわらず、近年、美徳を備えない政治指導者が社会分断を煽り、それを利用して近代的制度を破壊している。また、中国の人権侵害もおよそ徳のある統治とは言い難い。ビヒモスとリヴァイアサンの地政学だけでなく、四霊獣の徳倫理学の考察も現代政治には必要だろう。
〈了〉
参照文献
草野巧、『幻想動物事典』、新紀元社、1997年
カール・シュミット、『陸と海 世界史的な考察』、 中山元訳、日経BPクラシックス)、2018年
ヘロドトス、『歴史』上、松平千秋訳、岩波文庫、1971年


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