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「セールスマンの死」を増やした構造改革(2006)



「セールスマンの死」を増やした構造改革
Saven Satow
May, 16, 2006

誰でも冗談を言う人間を好むが、金を貸す人はいない(Everybody likes a kidder, but nobody lends him money)」。
アーサー・ミラー

 60過ぎのウィリー・ローマンの頭には、もはや自動車事故を装って自殺し、家族に生命保険金を遺してやることしかありません。彼はアクセルを思いきり踏みこむのです。

 アーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの死(Death of a Salesman)』はこうして終わりを迎えます。1949年、エリア・カザン演出によるブロードウェーで初演されると、資本主義社会の矛盾を描いた内容だけでなく、映画のフラッシュバックを取り入れる等の斬新な舞台が話題となり、700回以上のロングランを記録します。これは、間違いなく、20世紀を代表する演劇作品の一つと言っていいでしょう。

 ウィリー・ローマンもかつては口八丁手八丁で商品のイメージを売ることにかけては右に出る者がいないセールスマンでしたが、34年目の今では顧客の大部分が代替わりしたりなくなったりし、成果はさっぱりで、5週間前から固定給なしの歩合制だけになっています。彼は2人の息子の将来に期待しています。けれども、高校時代にはフットボールの花形選手だった長男ビフは父親の浮気現場を目撃して家を飛び出し、30過ぎても定職につかず、次男ハッピーは百貨店に勤めているものの、覇気がなく、女たらしという状態です。

 25年のローンでブルックリンにマイホームを購入し、自動車や電化製品のローンの支払いなどに追われ続けて、貯金もありません。おまけに、家の周囲に高層建築が建ち並び、日照も失われてしまいます。妻のリンダは追いつめられていく夫を何とか励まし続けます。その姿に息子たちは目を覚まし、スポーツ店を経営するのですが、失敗してしまいます。しかも、ウィリーは社長からとうとうクビを言い渡されます。

 不仲だった長男と和解したその夜、ウィリーはある決意を抱いて自動車を走らせます。葬式になれば、昔馴染みの連中が全米中からやってくると信じていた彼の葬儀が行われますが、参列したのは妻と2人の息子、それに隣人のチャーリーだけです。

 「考えてごらん。一生かかって働いて家の借金を返す。やっと自分のものになった時には、誰もそこに住む人がいないなんて(Figure it out. Work a lifetime to pay off a house. You finally own it and there's no one to live in it)」。そうウィリー・ローマンは口にします。経済的成功だけが公認された幸福であり、それを追い求めることで逆に破滅し、失敗のリスクもすべて個人へとおしつける社会に彼は生き、死んでもつきまとっているのです。「成功できる」は「成功しなければならない」へと容易に転換してしまうものです。

 小泉純一郎首相は、今年の2月に国会で、「格差が出ることが悪いとは思わない」と答弁しています。構造改革の5年間は、その言葉通り、貧富の格差を拡大させ、こうした「セールスマンの死」を増やし続けます。ウィリーは「実社会では、目立つ男、他人の関心をひく男が出世するんだから(Because the man who makes an appearance in the business world, the man who creates personal interest, is the man who gets ahead)」と言い聞かせて息子を育てますが、小泉首相にこそふさわしい信条でしょう。
〈了〉
参照文献
アーサー・ミラー、『アーサー・ミラー全集』1、高橋健監訳、早川書房、1985年

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