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岩手県の地域医療と宮沢賢治の羅須地人協会(1)(2021)

岩手県の地域医療と宮沢賢治の羅須地人協会
Saven Satow
Jan. 31, 2021

「俺は恩給もないし貯えもない。だから死ぬまで月給とりしねばなんねえのだよ」。
佐藤公一

1 岩手県と新型コロナウイルス感染症
 2020年1月15日に国内初のCOVID-19の感染が確認される。それ以来、新型コロナウイルス感染症は日本各地に感染が拡大する。政府は、4月7日、東京など7都府県を対象に緊急事態宣言を発表、さらに同月16日、それを全国に拡大する。

 各地から新規陽性者確認の報告が相次ぐが、47都道府県の中、春を過ぎても、岩手県はその例外である。いわゆる「感染者ゼロ」を続けていることが次第に世間の注目を集始める。なぜ岩手県が陽性者ゼロを継続できているのかという疑問を明らかにすべく、国内外のメディアが取り上げるようになる。『メディカルトリビューン』は2020年6月25日17時27分更新「"感染者ゼロ"岩手県知事に聞く」において達増拓也知事に県の取り組みなどについてインタビューしている。また、『ウォール・ストリート・ジャーナル』もAlastair GaleとChieko Tsuneokaによる2020年5月15日米東部時間5時30分更新”This Japanese Region Has No Coronavirus: Iwate, hit by a tsunami in 2011, is alone among nation’s 47 prefectures with no reports of Covid-19 among its 1.3 million residents’”を発表している。

 こうしたメディア取材に知事は丁寧に応対し、理由をいくつか挙げている。中でも、『文春オンライン』2020年7月21日更新「岩手県・達増知事が語る『半年感染者ゼロ』の理由と『岩手1号ニュースだけではすまない』への意見」において、地理的条件を次のように強調している。

 感染者ゼロには、色々な要因があると思っていまして、岩手は1都3県、東京、神奈川、千葉、埼玉を合わせた面積より広く、人口密度が低い。県民性が真面目で慎重だということ。岩手県は日本の中でも外国との行き来が比較的少ないほうだという要因もあると思います。また、世界各国と比べると日本全体の感染者数はまだ少なく、もし岩手がアメリカやヨーロッパにあったとしたら、ゼロということはないだろうと考えています。

 感染拡大に関して地理的条件が影響することは一理ある。秋田県や山形県、鳥取県、島根県など累積陽性者数の少ない地域は同様の環境を有している。しかし、逆に言えば、岩手県特有の条件ではない。

 もちろん、県も観戦対策を講じている。達増知事は、東日本大震災の際、県内外のさまざまなアクターと連携協力したことで知られている。今回も、飲食業界など県内の関係者と認識共有を図って対応に当たっている。

 しかし、知事は、同記事において、ゼロの継続には副反応があると次のように述べている。

 そうですね。過剰に思いつめたり世間体を気にしたりするのは、ないほうがいいと思っています。このところ記者会見などでは、「県としては第1号の陽性者は咎めません。むしろ全力で優しくケアしていきますよ」ということを発信しています。先日、県の対策本部の決定事項として「 7月10日以降における留意事項 」という文書を発表しました。
〈県内では未だ感染未確認の状態が続いておりますが、県は「感染ゼロ」を目標としているものではありません。〉
〈何よりも大事なことは、「命と健康を守ること」です。発熱等体調の悪い場合には、医療機関の受診をお願いします。〉
 こう明言しています。「診療控え」、第1号になりたくないから検査を受けないというのが最も避けたいことです。
 ただ私も気持ちとして、自分の子供が帰省することで感染を広げさせたくないという「親子の情」みたいなものはわかるところもあります。その意味で「絶対に帰るな」と言う方の気持ちを全面的に否定はしないのですが、かえってストレスやプレッシャーになったり、怖くて検査を受けないということになると本末転倒です。そういう風にならないように、「第1号でも大丈夫ですよ、咎めませんよ」と発信していきたいと思います。

 第1号になりたくないために、検査や診察を忌避すれば、未確認のまま市中感染が拡大してしまう危険性がある。陽性者ゼロはあくまで結果であって、それを目的にすれば、深刻な事態を招きかねない。そのため、知事は第1号に「共感」を示すことを県民に呼び掛けている。

 7月29日、岩手県で初めての陽性者が2人確認される。達増知事は、午後8時からの記者会見において、「お見舞いを申し上げたいと思います。そして今まで岩手県内、陽性になる方がゼロだったということですけれども、岩手県も決して例外ではないのだと。新型コロナウイルス感染症というのは、誰でも感染する可能性があるということで、県民の皆さんも自分も感染する可能性があるんだと、改めてそういう思いで、感染した方には共感を持っていただきたいですし、また、自分自身も感染対策をしっかりやっていただきたいと思います」と述べている。

 この発言を参考にするなら、知事が感染をめぐって地理的条件を強調していた真意が理解できよう。それは県民が感染の原因帰属を個人に求めることを防ぐためである。陽性者への誹謗中傷は原因帰属を個人に見出すことから生じる。感染は努力したとしても完全に防止することが困難である。逆に言えば、感染しなかったとしても、環境など個人以外の原因が大きい。誰もが感染する可能性があり、していないのは環境が恵まれていただけということもあり得る。そう説くことで、検査・診察の回避や陽性者に対する誹謗中傷を知事は防ごうとしたと考えられる。

 事実、知事は、『毎日新聞』同年9月25日更新「岩手『感染者ゼロ』の教訓(上)対策阻むプレッシャー 感染者に共感を」において、県民の間にゼロの重圧があったと回想している。「感染者数が少ないのは歓迎すべきことだが、それがかえってプレッシャーとなっていたことは否めない。特に最初の感染者は注目されてしまい、非難されるかもしれない。県が「最初に感染した人をとがめず、むしろ優しくする」というメッセージを繰り返しても、県民の間に緊張感が高まってくるのを感じた。ただ、「第1号」になるのが怖くて、PCR検査を受けにくい、診察を受けづらいというのでは本末転倒だ。重要なのは「感染者への共感」であり、SNSなどで誹謗(ひぼう)中傷されにくい状況を作り出すことだ」。

 最初の確認から1年経った時点において、岩手県の累積陽性者数は47都道府県の中で少ない方であるが、最小ではない。秋田県や山形県、鳥取県、島根県、徳島県など岩手県よりも少ない累積数を維持している。県内初確認から半年を経て、岩手県がなぜ陽性者ゼロを続けられたのかの理由はさらにわからなくなっている。

 感染ゼロの理由を問うことは今ではあまり異議がないだろう。ただ、原因探究の議論の際に、見逃がされていたことがあったことは指摘しておかねばならない。それは岩手県が伝統的に「医療県」だということである。実際、47都道府県の中で独立した医療局を持っているのは岩手県だけである。岩手県は1930年代から50年代の間全国の地域医療における先進的取り組みを続け、戦後の社会保障制度にも影響を与えている。岩手県で地域医療と言うと、60年代以降の沢内村の「生命行政」がよく知られている。これも30年代からの伝統に基づいた取り組みである。感染症が今後も世界的に重要課題と位置づけられる状況において、こういった伝統を確認しておく必要がある。岩手県の地域医療の歴史について改めて見てみよう。


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