また逢う日まで(2012)
また逢う日まで
Saven Satow
Jun. 03, 2012
「歌という限られた枠の中に、映画一本分くらいの内容を詰め込もうと思っていたし、常に世間を裏切ってやろうと考えて作詞してきましたね」。
阿久悠
口から発せられる音には、大きく二種類があります。唇や舌、歯などを使った口の前方で作る音と喉や口蓋など口の後方で作るものです。日本語のポップ・ミュージックの歌詞では、歌い出しの音は前者が多数派です。
歌い出しは声が出にくいものです。後方で作る音であれば、息を出せばよいので、発声しやすくなります。「あなた」から始まる曲が多い一つの理由です。
一方、口の前方で作る音は子音がほとんどです。母音は明瞭で大きな音ですが、音色が限定的です。それに対し、子音は音を作りにくいため、短く弱い音になる反面、多彩な音色を生み出せます。声を発しにくい歌い出しに子音を持ってくるのは歌手への負担が大きくなります。
それでも後方で作る音を歌い出しにあえて配置する場合があります。歌のドラマの主人公が強い意志を持っている設定の時です。主人公の強固な意志を前面に押し出す際に、口の前方で作る音を歌い出しに持ってくるのです。
2012年5月31日に亡くなった尾崎紀世彦の『また逢う日まで』はこうした曲の代表例です。この1971年のミリオンセラーは、歌い出しのみならず、前方で作る音が非常に効果的に使われています。
この名曲の歌詞は次の通りです。
また逢う日まで逢える時まで
別れのそのわけは話したくない
なぜかさみしいだけ
なぜかむなしいだけ
たがいに傷つきすべてをなくすから
ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
また逢う日まで逢える時まで
あなたは何処にいて何をしてるの
それは知りたくない
それはききたくない
たがいに気づかい昨日にもどるから
ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
小節の始めは前方で作る音が多数を占めています。「ま」や「わ」、「な」、「ふ」、「そ」、「た」などはいずれも前方の音です。歌の主人公は強い意志を持ってこの別れに臨んでいます。それが繰り返し強調されているのです。注目すべきは「話したくない」です。「は」は後方で作る音ですが、「なした」は前方での音です。前方で作る音の部分で、抑えていた感情が爆発するように歌われます。歌詞の内容と音の効果が共鳴しているのです。阿久悠によるこの歌詞は傑作だと言わねばなりません。
他に、尾崎紀世彦の解釈によって、この歌詞の意味が曲の上で強められているところもあります。サビの「ふたりで」は口の前方で作る音が連続しています。ところが、尾崎紀世彦はここを「ふったりで」と発音しているのです。前方で作る音と後方のそれとを交互に配置すると、リズミカルになります。また、前方の音が連続すると、早口に聞こえます。逆に、後方が続くと、キレが悪く、間延びした感じになります。つまった音にすることで、主人公がふたりはもうなめらかな関係ではないと強く意識し、決意に間違いがないと心に言い聞かせている印象を感じさせるのです。
メロディやリズム、テンポ、間の取り方、歌い方などによっても、歌詞の音の配列の印象を変えることができます。意図的に、『また逢う日まで』と逆に、歌詞上にある音を出さないことで、自ら効果を生み出す歌手もいます。また、日本語では表記と発音が食い違う場合があります。その際、表記通りに歌うシンガーもいます。この歌い方によって音楽界に衝撃をもたらしたのが桑田佳祐です。
この歌詞と音のコンビネーションは尾崎紀世彦の個性とよくマッチしています。長いも見上げと豊かな声量がこの強固な意志の主人公のドラマをまさに劇的に展開しているのです。美川憲一や千昌夫がこれを歌っても、まったくサマになりません。尾崎紀世彦という歌手が歌詞に影響を与えているのです。
歌詞は詩と違います。文学者が作詞すると、しばしばこうした音への配慮が欠け、非常に歌いにくい作品になってしまうことがあります。歌詞のリテラシーが欠如した悪い見本の一つが石田衣良による『あの空へ~青のジャンプ~』です。この歌詞はとにかく音の並びが悪いのです。信じがたいことに、サビに「ジャンプアップ」という単語があります。これはほとんどが口の前方で作る音で構成されています。非常に歌いにくいのです。にもかかわらず、この曲は、2009年の第76回NHK全国学校音楽コンクールの高等学校混声四部合唱の課題曲です。こんな体のなしていない歌詞を歌わされた高校生たちに同情せずにはいられません。
歌詞を考察する際、内容だけにとらわれるのは不十分です。歌詞はあくまで謳われることを前提に作られます。内容と関連しつつ、音の配置も考える必要があるのです。それは歌詞のリテラシーから検討することを意味します。名曲と評される作品は歌詞における内容と音の配列の関連にも感動を覚えることが少なくないのです。
〈了〉
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