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モーレスの肥大化(2013)

モーレスの肥大化
Saven Satow
Jun. 07, 2013

「慣習は法律よりも信頼できる」。
エウリピデス

 日本語のネット上のブログや投稿動画が炎上したり、コリアン・タウンでヘイト・スピーチが声高に叫ばれたりする現象を規範意識から説明することもできよう。アメリカの社会学者ウィリアム・グラハム・サムナーは、『フォークウェイズ(Folkways: a study of the sociological importance of usages, manners, customs, mores, and morals)』(1906)の中で、規範を社会的なものと捉え、「フォークウェイズ」と「モーレス」に分けている。この理論から検討してみよう。

 「フォークウェイズ(Folkways)」は原初的で自然発生的な習慣・慣習である。これは、特定の世界観の下で、あらゆる利害関心を満足させる「正しい」方法であり、つねに「真」である。繰り返しによって身体化され、日常的規範であり、非明示的で、強制力は弱い。習得中と見なされる場合を除き、守っているからと言って褒められることはまずない。他方、守らないとしても、眉を顰められる程度である。フォークウェイズはその共同体における規範の暗黙知である。いわゆる社会規範の大部分はフォークウェイズに属する。

 正しさと真の要素が社会の福祉などの教義まで発展し、強制力を持つ規範が「モーレス(Mores)」である。それは盗みや人殺しなど非日常的行為の禁止である。希少的なことであるから、反復によって身体化されることはない。共同体内で明示的に示され、強い強制力がある。破れば、村八分や追放などの罰則が科せられる。

 法はこのモーレスから生まれる。それはモーレスの成文化である。明示的であるが、モーレスと違い、形式的・抽象的である。法は一般的・抽象的な規範であり、個別的・具体的ケースに適用させるために解釈しなければならない。その習得には専門的・体系的な学習が不可欠だ。フォークウェイズとモーレスがオラリティとしての規範であるとすれば、法はリテラシーである。

 規範を守るには動機が必要である。それを「サンクション(Sanction)」と呼ぶ。ある行為に対して共同体や構成員が表明する是非である。是とされる行為には承認や賞賛の反応、すなわち肯定的なサンクション,非には制裁や処罰の反応、すなわち否定的なサンクションが与えられる。前者がアメ、後者はムチである。

 この基準や与える主体はその共同体の規範によって異なる。また、サンクションはモーレスや法において顕著であるが、フォークウェイズではあまり見られない。

 もっとも、ポジティブなサンクションが直接的に行われることは少なく、間接的に用いられることが多い。刑罰などネガティブなサンクションを見せしめにして、ああならなくてよかったと規範を守っている人に思わせる。

 炎上やヘイト・スピーチはモーレスにおける否定的サンクションと捉えることができる。フォークウェイズは強制力が弱いし、法は専門家が行使するものだ。モーレスは強制直が強く、しかも専門性が要らない。消極的サンクションを誰かに与えることで自らは積極的サンクションを味わえる。不安感を誰かを攻撃することで解消しているというわけだ。

 フォークウェイズで抑えが利かないのなら、法の規制によってモーレスの恣意的使用を禁止する考えが強まる。モーレスは裁量的に濫用していいものではないと思い知らせ、フォークウェイズの尊重を再認識させねばならない。

 モーレスが肥大化した理由としていくつかの仮説が思い浮かぶ。代表的なものは社会的緊張仮説と社会的紐帯仮説である。

 人間は、本来、協調的存在である。けれども、資本主義による欲望の拡大が個々人の利害対立を助長し、連帯をバラバラにしてしまう。経済のグローバル化や新自由主義の進展がその事態を悪化させている。これが社会的緊張仮説である。

 一方、社会的紐帯仮説は逆の思考過程から同じ結論を導き出す。人間は、本来、逸脱的存在である。しかし、愛情などさまざまな紐帯によって、失うものがあることで人々は結びついている。ところが、資本主義による欲望の拡大が個々人の利害対立を助長し、紐帯を解いてしまう。経済のグローバル化や新自由主義の進展がその事態を悪化させている。

 いずれの仮説も直観的に思いつく程度のアイデアでしかない。ただ、過度の競争による従来の共同体秩序の解体に一因を見出している点は共通している。それはフォークウェイズの希薄化もしくは弱体化と言い換えられる。現代日本ではフォークウェイズの再検討が不可欠だということを意味する。それは日常性の再構築である。

 モーレスの増長には他の要因も認められる。政治家が社会の不安感につけこみ、利用していることだ。従来の保守派、すなわち保守本流はフォークウェイズの意義を説き、モーレスの恣意的使用をとがめてきたものである。ところが、今の右派政治家はそれを煽っている。扇動政治家は名前を挙げればきりがない。彼らが憲法を変えたがるのも自分たちのモーレスを法にしたい欲求からだろう。しかし、それよりも彼らに必要なのはフォークウェイズの尊重である。
〈了〉
参照文献
ウィリアム・サムナー、『フォークウェイズ』、青柳清孝他訳、青木書店、 1975年

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