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震災と物語(3)(2013)

第5章 先祖祭祀
 伝統社会における最も基礎的な幸福感は無病息災に要約できる。この四字熟語は仏教に由来するが、同様の幸福感は世界的に広く認められる。何事もなく、無事日常性が繰り返される。その反復自体に幸福がある。英語の単純現在形の主な用法は日常性や習慣、いつものことの表現であり、この幸福感がよくわかる。

 こうした幸福感に裏打ちされ、死者が子孫から祭祀を享受できる先祖になるためには条件が要る。死者が先祖として死後においてなお子孫に影響を及ぼす以上、資格要件がある。日本の場合、先祖は子孫集団に繁栄という利益のみならず、祟りや障りなどの不幸をもたらす。

 フォーテス・マイヤーの『祖先崇拝の論理』によると、祖先崇拝とは、隣接する世代を結ぶ制度的関係の中で権威にかかわる要素、すなわち制度的身分において故人と生存する子孫の間に生じる儀礼関係である。生前の死者の性格・特徴や身分の軽勝者との個人的な関係が祖先崇拝に影響を及ぼすということはない。

 祖先は死を境に、個性を喪失し、集合的な権威の源泉へと変容する。その際、祖先を祀る義務および権利を持つ子孫の性格も問題にされない。祖先崇拝は死者崇拝と異質である。祖先崇拝は血縁関係を意識した親族集団の成立と密接に関連している。それは近代生物学的ではなく、制度的に共有される。祖先の力は、親族を超えて、作用しない。親族ではない死霊への信仰、あるいは親族の範囲を超えた英雄の崇拝とは区別される。ただし故人は死を契機に、自動的に祖先の地位を獲得するわけではない。ある特定の期間に渡っていくつかの儀礼的な手続きを経て、初めて、祖先となる。

 先祖集団は子孫集団を統合する。先祖祭祀は子孫集団にとって重要な儀式であり、アイデンティティと考えられている。日本人と比べて、中国人はその認識が強い。中国人の基準は血統ではなく、文化受容である。現在、東南アジアを始め、世界各地に中国人移民やその子孫が居住している。彼らの中には、現地の国籍を取得したり、中国語を解さなかったりする者も少なくない。しかし、そうした人々の間にも「華人」という自覚が強い。彼らは先祖祭祀や家族観念の遵守をアイデンティティをと認めている。父系の単系的な家族組織において先祖祭祀が発達している。中国人とは何かと尋ねられたら、伝統的家族観念に基づく先祖祭祀を執り行う人と彼らは答えるだろう。

 死者が先祖になる要件は、山泰幸関西学院大学教授の『死者の幸福』によると、大きく三つある。第一は、その共同体において異常と見なされた死に方をしていないことである。特定の病気による死や事故死、自殺、戦死など忌避の基準は当該コミュニティによって異なるが、そうした死者が先祖から外されるケースは多い。

 第二は、祭祀を行う子孫がいることである。祭祀を執り行うのは子孫であるが、それは死者と一定範囲の親族・血縁関係に限定されている。それがいない場合、生前もしくは死後に当該者と養子縁組を結び、祭祀者を確保する。しかし、こうした子孫が存在しない死者は先祖になれない。のみならず、生者に災いをもたらす死者として恐れられる。

 江戸には、遊女を始め独り身が多い。それは子孫のいない死者が発生することを意味する。先祖として供養されないため、簡素な棺桶に遺体を入れて寺の集団墓地に粗雑に葬る習慣が普及する。こうした寺を「投げ込み寺」と呼ぶ。今日の発掘により、酒樽が転用されていたり、六銅銭だけしか所持していなかったり、棺桶が積み重なり、下のものがつぶれていたり、本当に投げ込んでいたことが確認されている。

 新宿の円応寺の遺跡では二つの墓域が見つかっている。一つは一般用、もう一つは投げ込み用である。男女比は前者が2.7対1、後者が7対1である。投げ込みの男性比率が非常に高い。従来、投げ込みは遊女に対して行われていたとされてきたが、これにより下層庶民の間で常態化していたことがわかる。先祖として供養されない死者は最低限の扱いしか受けない。

 第三は、死亡時に定められた年齢に達し、社会的カテゴリーに属していることである。死亡した乳児は先祖になれない場合が多い。また、人殺しの罪で刑死した人はその扱いを受けないのが通常である。

 この三つが先祖の資格要件だが、死者がそうなるには期間と段階を経なければならない。日本の場合、一周忌や三回忌などの年忌供養、命日供養、彼岸や盆の供養といった行事が繰り返され、五十年忌で個としての祭祀が終わり、以後は先祖集団の一員と扱われる。死者は祭祀儀礼を通じて個から集団へと先祖としての性格を変えていく。

 先祖と子孫の交流は社会によってさまざまである。両者が非常に身近な例を挙げよう。内堀基光放送大学教授は、『食べるものを作る』において、世界各地で行ったフィールドワークの経験から、稲作文化圏では米に関するこだわりが見られると指摘する。稲作を行い、米飯を中心とした食生活の地域では、自分たち、あるいは自分と同じ文化に属すると認知している生産者が作った米が世界一だと信じている。しかも、稲作自給農民が稲の一本一本まで大切に扱うという姿勢も共通している。

 内堀教授は、ボルネオ島で、イバンの若者が風にあおられて折れた陸稲を一本一本丁寧に立て直す光景を目にしている。ここの人々は自分たちの米がこの世で一番おいしいと神話を使って説明する。人は死ぬと、天に上り、その魂は雨として地上に戻ってくる。稲はこの雨水によって発育する。米には先祖が宿っているのだから、世界で最もおいしいと信じている。先祖が自分たちの米をうまくさせているわけだ。イバンは日本よりもはるかに先祖と子孫が近い。人類学の知見は近代を相対化する眼を養うだけではない。前近代に関する固定観念をも相対化する。

 なお、日本人と先祖の関係を最も端的に示すのが位牌である。位牌自身は中国から伝わった制度である。けれども、火事の際に人が位牌を持って逃げる光景は、世界広しと言えど、日本以外に見られない。日本文化とは何かと尋ねられたら、火事になったら位牌を手に逃げることと答えられる。日本人が固有の伝統として挙げるものはたいてい国外にある。位牌を持って逃げる姿はあまりに見慣れているので、独特の習慣と思っていない。しかし、固有性とはそういうものである。

第6章 物語による死者の記憶
 こうして生者と死者の関係を考えてみると、九九話の背景が先祖祭祀の要件を満たしていないことがわかる。田ノ浜は、その後が明らかにしているように、震災によってコミュニティが崩壊し、先祖祭祀を執り行えない事態に陥っている。震災は多くの人命を一時に奪う。それは通常の死ではない。また、一家全滅などによって子孫もいなくなってしまう。死者はふさわしい場所に位置づけられない。死んでも、生者に記憶されずに終わりかねない。

 だから、物語が必要とされる。生者は震災による死者を特別に扱い、物語として語り、人々の共有の記憶にする。死者は物語というふさわしい場所に位置付けられる。福二の妻は先祖として認められない。しかし、そうであればこそ、物語で語り継がれていく資格を有している。

 奇譚は物語の中にしか位置づけられない死者のための居場所である。世界各地に奇譚の町が存在する。最も有名な都市の一つはアメリカのニューオーリンズだろう。同地では、古くから、死者をめぐる不思議な物語が語られてきたことで知られる。ラフカディオ・ハーンも、若い頃、新聞記者として活動しており、彼の怪談への影響が研究されている。最近でも、『夜明けのヴァンパイア』を始めとするホラー小説の作家アン・ライスも同地の出身である。

 ニューオーリンズは、歴史的・地理的背景によって、複数の文化が融合し、独特の葬儀が行われている。フランスの植民地だったこともあり、カトリックや地中海の文化的影響が強い。また、カリブ海地域とのつながりもあり、ブードゥーなどのクレオール文化も流入している。

 ニューオーリンズでは、米国で一般的な土葬が行われていない。同地は、創設以来、水害に悩まされている。その防災のための堤防で囲まれた都市である。文化的に開かれているが、都市構造は閉じられている。土葬を避けているのも、水害を前提にしているからだ。地中に埋めると、洪水の際に、棺桶が浮かび上がってしまう可能性がある。そこで、地上の埋葬室に安置するのが一般的である。まず、遺体は一時安置所に置かれる。高温多湿の気候により急速に腐敗、白骨化する。一年後、その骨を骨壺に入れ、共同の埋葬室に保管する。この埋葬室は宗教やエスニシティなどによって分けられている。

 こうした埋葬が示す通り、ニューオーリンズは災害による犠牲者が昔から多い。05年のハリケーン・カトリーナの被害は記憶に新しい。堤防が決壊、市内の陸上面積の8割が水没、ルイジアナ州当局の発表によれば、1500人弱が犠牲になっている。災害は町の記憶として語り継がれ、死者はその物語の登場人物として位置づけられる。

 現代社会は、もちろん、伝統社会と違い、先祖の要件など考慮することはない。近代は自由で平等、独立した個人によって構成される社会だからである。しかし、震災死は特別に扱われなければならない。地域単位で犠牲者が一時に大勢出るからだ。多すぎて、それは一人一人の人間ではなく、数として把握されがちである。老若男女どころか、一時的滞在者も外国人も含まれる。その喪失感は生者の世界を痛めつけ、苦しめる。無病息災の日常性を回復することが復興である。けれども、死者を通常の死と同様に捉えても位置づけができないし、生者の世界のトラウマも癒せない。

 そこに物語が要る。物語の中で死者は位置づけられ、生者に記憶される。災害は、概して、共同体単位で経験する。犠牲者は、そのため、地域コミュニティにとっての死者である。それは災害の恐ろしさとそれに備えることの大切さの記憶である。この死者を共同体は忘れてはならない。

 しかし、時として、災害は地域コミュニティまで壊滅する。その災害の経験は他の共同体に伝えねばならない。犠牲者は地域を超えた社会にとっての死者となる、社会は死者を忘れることは許されない、なぜなら、そんな時に、災害が襲ってくるからだ。こうした共時的・通時的な記憶の持続は物語でなければできない。物語は生者と死者の間の愛情を物語る。

 震災の犠牲者は誰かの家族であり、親戚であり、友人であり、恋人であろう。しかし、物語で語られた時、それは誰にとっても愛情のある死者となる。物語を通じて震災の記憶は共時的・通時的に社会で共有される。社会はまさにそこから回復しようと自ら試みる。震災怪談はこうしたものとして生まれている。
〈了〉
参照文献
内堀基光、『「ひと学」への招待』、放送大学教育振興会、2012年
小泉八雲、『怪談・奇談』、講談社学術文庫、1990年
島根大学付属図書館、『ニューオーリンズとラフカディオ・ハーン』、今井印刷、2011年
杉森哲也、『日本近世史』、放送大学教育振興会、2013年
高坂健次、『幸福の社会理論』。放送大学教育振興会、2008年
日本放送協会他編、『NHK教育セミナー歴史で見る世界』、日本放送出版協会、2002年
東雅夫、『遠野物語と怪談の時代』、角川学芸出版、2010年
朴沢直秀、『著幕藩権力と寺檀制度』、吉川弘文館、2004年
青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/
みちのく怪談コンテスト
http://d.hatena.ne.jp/michikwai/
明治大学 建築史・建築論研究室、「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933, 1960」、2011年7月25日最終更新
http://d.hatena.ne.jp/meiji-kenchikushi/

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