見出し画像

文学の起源(2012)

文学の起源
Saven Satow
Oct. 08, 2012

「すべてのものを国の〔果てまで〕見たという人
〔すべてを〕味わい〔すべてを〕知った〔という人〕
〔    〕とともに〔
知恵を〔      〕、すべてを〔    〕した人」
『ギルガメシュ叙事詩』

 今日、最古の文学として伝わっているのは、古代オリエントで紀元前3000年頃以降に記された断片的な文章である。メソポタミアの粘土板に楔形文字で刻まれた内容は、当初、奉納品や契約の記録など実用文だったが、神々を讃える宗教文書や王の功績を記す歴史文書が出現する。エジプトでも、石材に文字を彫った点を除けば、事情はほぼ同じである。そこに神話や讃歌、叙事詩、知恵文学、民話、恋愛詩として文学が登場する。

 現存する史料の大部分は法律や経済、行政に関する実用文で、文学と呼び得るものはほんのわずかである。その中には、エジプトの中王国では官僚養成の書記学校のテキストとして文学作品が使われており、そうした学生のノートが含まれている。

 書記は男性だけだったと推測されるが、前2300年頃、サルゴン王女「エンヘドゥアンナ」がシュメール語で『イナンンナ女神讃歌』をつくったとされている。彼女はシュメール語とアッカド語のリテラシーを持ち、『シュメール神殿讃歌集』の編纂も手がけるなど最古の文学者と目されている。

 最古のベストセラーは、おそらく、『ギルガメシュ叙事詩』であろう。この中には大洪水物語など現在までよく知られたテーマも含まれている。主人公のギルガメシュは、紀元前2600年頃、シュメールの都市国家ウルクに実在したとされる王である。彼の死後、まつわるさまざまな物語がつくられ、シュメール語によって伝えられる。前1800年頃、堆積した物語群がバビロニアでアッカド語の『ギルガメシュ叙事詩』に編纂=圧縮される。しばらくして、西アッシリアのほぼ全域に浸透し、前1200年頃、標準版が成立する。前3世紀頃までバビロニアでは書き写されたり、読み継がれたりしている。その後、19世紀後半にイギリス調査隊が前7世紀頃のものとされるニネヴァの王宮書庫を掘り当てるまで忘れられている。アッシリア語版を始め多くの翻訳版がその叙事詩を今日にまで伝えている。

 文字に記されるより前に口承の文学の習慣があったと思われるが、どのようなものかは想像するほかない。文学の起源として、信仰起源説や労働起源説、恋愛起源説などが提起されている。中でも、信仰起源説が有力である。確かに、象徴を扱うことができ、知性と想像力を備えていなければ、文学を生み出すことはできない。目に見えない存在を実在するかのように心の中で思い描き、言語によって語る。これはなるほど人間でなければできないことである。

 しかし、こうした起源説は目的論的発想である。文学がある目的の下に生まれ、その後、分かれていったという一元論だ。起源は定義に依存する。目的論的起源論には根本的欠陥がある。目的のための行為はそれ自体に意味があり、内容は必ずしも重要ではない。例えば、挨拶は人間関係を維持・強化するが、交わされることに意義があり、特段の内容があるわけではない。「この間はどうも」と言われて、記憶を真剣に辿りはしない。目的論を推し進めると、それも興味深いけれども、文学の起源はおしゃべりということになろう。

 さらに、文学の起源を一つに絞ってしまうと、厄介な事態を招く。神話のような叙事詩と恋愛詩や労働詩といった抒情詩では視点が異なる。前者が世界を外部ないし境界より捉えているのに対し、後者は内部から見ている。視点から考えると、散文は叙事詩、演劇は抒情詩の系譜に属する。起源を一つにすると、二つの視点のどちらが先で、なぜ分化したのかという疑問に突き当たってしまう。

 こう検討すると、文学の起源を目的ではなく、行為に求める方が妥当である。先史時代を思わせる伝統的生活を続けている少数民族の共同体には、神話や創世物語、叙事詩などが見られる。加えて、人々の間で抒情詩や言葉遊びを楽しむ姿も見受けられる。黒人奴隷など伝統的な共同体から切り離されて形成された諸集団の間でも、両者の自然発生が認められる。この現象が真に普遍的であるかは実証されたわけではない。ただ、文学の起源を一元的に捉えることには無理がある。実用以上の言葉の組織化という行為が文学の起源と考えるべきだろう。

 文学は自分を含めた誰かにナラティブすることを前提にした実用以上の言葉の組織化と定義できる。これは、「以上」とあるように、相対的である。実用的な言葉の組織化との相対的関係によって規定されている。また、「実用」・「言葉」・「組織化」は必ずしも自明の概念ではなく、定義が必要である。けれども、文学はそうした概念の暗黙を含めた共通理解に立脚しており、社会や時代に応じてその認識が変動する。文学はこの三つの概念の理解に依存している。実用は想像力を必要としない対象の使用である。一度想像力の要る認識を獲得すると、実用性も深化する。実用以上の言葉の組織化は実用的な用法の変形と理解できる。

 「文学」という概念は近代に改めて確認されたのであり、人類はその自覚もなく、長年に亘って、そうした行為を続けている。文学など近代に成立した概念にすぎないと批判することは、わかりきっているので、おせっかいというものだ。

 『ギルガメシュ叙事詩』がなぜあれほど広範囲に伝播したのか今となってはわからない。おそらく当時の文学上の決まりごとを踏まえていただろう。「解釈」による読みは近代特有の悪習だ。しかし、それを共有しない今日の目で読んでも、従前の讃歌と違い、豊富なテーマがちりばめられていて、非常に面白いことは確かである。神と人、王と民、男と女、母と子、正義と暴力、反目と友情、勇気と恐怖、不信と嫉妬、生と死、達成と失望、怪物退治、洪水神話など多くのモチーフとエピソードによって構成されている。特定の目的を持って読まなくても、これだけで十分楽しめる。

 実用以上の言葉の組織化という定義はシンプルで汎用性が高い。定義それ自体が目的では本末転倒だ。「文学とは何か」と問い直されるとき、「実用」や「言葉」、「組織化」が再検討される。それは文章論のアプローチによって効果的に検討することができる。この発想を拡張して他の芸術分野も定義してみよう。音楽は自分を含めた誰かと合わせることを前提とした音の組織化である。実用以上の組織化は通常の発音との差異化が始原的である。それは文節や抑揚を誇張したり、違うようにしたりすることだ。音楽の起源は内容ではなく、こうした形式に求められる。この定義だと文学と音楽の重なった領域も了解が可能だ。また、美術は自分を含めた誰かに示すことを前提にした技術による実用以上の色や形の組織化である。定義はその分野の考察を本質的にさせる。

 旧石器時代に、女性像がユーラシア北半に広く分布していたことが認められる。多産豊穣の願いをこめた呪術的なものと推測されている。これは不確実性への意識の具象である。人間に限らず、動物は一般に不確実性への対応に苦心している。今日食べられたからと言って、明日もそうできるとは限らない。人間が未来という不確実性への意識から世界を組織化して捉えるようになったとしても不思議ではない。そこから芸術につながるものが誕生したという考えもまた突飛ではない。

 不確実性への積極的・能動的な姿勢は広義の農業を人間がとり入れたことにも見える。農業では、すべての作業が将来を見越し、定期的に繰り返して行われる。また、自然に手を入れるので、地理的条件・農法の違いの影響があるものの、空間の秩序を組織化する意識に基づいている。農業は地域単位での協力関係を必要とする。超越的な存在への祈りも崇拝から豊作といった祈願へと重心が移る。さらに、蓄積可能性の向上に伴い、共同体内で格差が生じる。

 農業は先の三つの起源説を用意する意識変化をもたらしているように思える。恋愛には感情の形成される過程が要るので、共同体内部の結びつきが強くならないと難しい。起源を考えるのなら、内面から出発するのではなく、社会の変化から検討する方が有効である。社会と意識の関係はそう単純ではないけれども、今までになかった行為がある程度の広がりを持って受け入れられるには、相互作用の見方が必須である。

 「文学の起源とは何か」は、膨大な史料・文献に対する綿密な研究による壮大な著作によって初めて答えられる問いだろう。直観的な思いつきや無批判な思いこみは斥けられるべきであり、5000字にも満たないコラムが考察するなど論外だ。しかし、最初の文学は消え去ってしまっている。たいして読まれもせず、すぐに忘れ去られるようなコラムが文学の起源について記すことは、同じ運命をたどるという意味でふさわしい。
〈了〉
参照文献
『ギルガメシュ叙事詩』、矢島文夫訳、ちくま学芸文庫、1998年
『筑摩世界文学大系』1、杉勇他訳、筑摩書房、1978年

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?