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わかりやすい伝え方の目的(2014)

わかりやすい伝え方の目的
Saven Satow
Nov. 14, 2014

「核心はわかりやすさの先に」。
『“わかりやすい”池上彰氏と対談』

 もし行われたら、戦後最もわかりにくい解散になるでしょう。この2014年11月の永田町の騒動を池上彰記者ならどのようにわかりやすく伝えるか興味があるところです。

 池上記者はわかりやすく伝えることを心掛けていることで知られ、それが今日の人気の理由の一つでしょう。彼は、2013年6月6日放映の『特集まるごと』の「“わかりやすい”池上彰氏と対談」において、伝えるスタンスについて次のように述べています。

 つまり、私は人々に対してああすべきだとか、こうすべきだとか、こう読み解きなさいとか、そういうことを言うつもりは全くないんですよ。(略)
 やはりこれはどこのテレビに出ても個人的な意見は極力言わないようにして、ただ、このニュースはこういう意味があるんですよってことを伝える。
 それはやはり視聴者を信頼しているからだと思うんですね。
 ここから先は視聴者1人1人が判断してください、そのための材料を提供します。

 池上記者は「視聴者1人1人が判断」するための「材料を提供」することを心掛けていると言っています。それは視聴者がその話題に参加することを促す支援をしているという意味です。このスタンスは、実は、教授法の発想です。

 ミッチェル・J・ネイサン(Mitchell J. Nathan)とエリック・クヌース(Eric Knuth)は、『教室全体の数学談話と教師の変化についての一考察(A study of whole classroom mathematical discourses and teacher change)』(2003)において、教室における談話に生徒が参加する際、教師の支援には二つあると指摘します。それは「社会的な足場かけ(Social Scaffolding)」と「分析的足場かけ(Analytic Scaffolding)」です。なお、”Scaffolding”には建築現場の足場の意味があります。

 前者は生徒たちをつなぎ、参加を促す支援です。生徒たちが集団で課題を共有し、具体的なイメージを図式化したり、言語化したり、話し合ったりして、理解を分かち合うことの触媒です。

 他方、後者は生徒たちを特定の教材内容へつなぎ、理解を促す支援です。抽象的な概念操作など領域知識の利活用を生徒ができるように教材内容と結びつけることです。

 教授法において、社会的な足場かけが先で、分析的な足場かけは後です。池上彰記者の言うわかりやすい伝え方は前者です。後者が先に示される時、彼はわかりにくいと批判するわけです。

 両者の違いはキーワード作文を例にするとわかりやすくなります。試験で、掲げられた語句の中から任意のいくつか必ず用いてテーマについて書くという問題が出題されることがあります。これがキーワード作文です。

 この問題は示される語句が日常用語であるのか、専門用語であるのかで二つに大別できます。「あいさつについて書きなさい」と出題されて、語彙に「潤滑油」が入っているなら前者、「ファティック」であれば後者のタイプです。両者は、実は、出題者の意図が異なります。

 キーワードが日常用語の場合、出題者の意図は受験者がそのテーマを理解しているかどうかを問うことです。言葉によって他の人に伝えられなければ、それを理解しているかどうかわかりません。日常用語は具体性が強く、一般社会で共有されています。このタイプは一般社会で他の人とその話題を言語で説明して具体的なイメージとして理解を共有できるかを尋ねているのです。

 他方、キーワードが専門用語の場合、出題者の意図はテーマよりも、掲げるテクニカル・タームの方にあります。受験者がその領域で必要とされる専門用語を理解し、利活用できるかと問うているのです。専門用語は抽象的概念です。専門的な研究や議論において誤解が生じないように、意味や用法が特殊だったり、厳密だったりします。テクニカル・タームは専門家集団の間での理解の共有のために使用されているのです。

 社会的な足場かけは日常用語型のキーワード作文、分析的な足場かけは専門用語のそれに当たります。池上記者のわかりやすい伝え方は前者の姿勢に基づいています。

 実際には、わかりやすい伝え方と言われても、曖昧で、どうしたらいいのかわかりくいものです。やさしい言葉で言い換えたり、複雑さを省略したりすることだとしばしば誤解されています。そうした解説を目にしたり、聞いたりしても、断片的な知識を覚えただけで終わってしまうことが少なくありません。わかりやすい伝え方はあくまで手段で、目的ではないのです。

 わかりやすい伝え方の意味は話題を具体的なイメージとして共有することにあります。それによって人々は考えたり、述べたり、議論敷いたりして理解を深めていきます。わかりやすい伝え方が目指すのは知識や理解の分かち合いなのです。

 送り手が受け手に情報を伝えると言う時、持てる者が持たざる者に与えると捉えがちです。けれども、伝えるとは両者が同じ知識を共有することです。フクシマの際に原子力村の住人が市民にわかりにくい伝え方をしたことからも理解できるでしょう。その説明は彼らが自分たちの共同体の内部で共有する知識を外部と分かち合う気がないと思わせるものです。

 今回のわかりにくい解散騒動も同様です。安倍晋三政権の内輪では理解が共有されているのかもしれません。しかし、一般社会とは十分に共有されているとは言えません。わかりやすさは共有の姿勢を示します。安倍政権のそれもこの解散騒動がよく物語っているのです。
〈了〉
参照文献
秋田喜代美他、『授業研究と学習過程』、放送大学教育振興会、2010年
「“わかりやすい”池上彰氏と対談」、『特集まるごと』、NHKオンライン、2013年6月6日
http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2013/06/0606.html 

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