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建前と本音(2015)

建前と本音
Saven Satow
Aug. 07, 2015

「たとえ自分の能力や努力によるところが大きいと思っても、それを口に出してしまうと、世間の反感を買ってしまいます。本音はそうであっても、時と場合によっては、建前とのバランスが大切になる場面があるものです。とくに記者会見などの公的な場では、そうしたことへの配慮も必要です」。
池上彰

 政治家が失言した時、本音を理由に弁護する声が時々聞こえる。公の場で本音を口にしたと同情する消極的擁護から建前などきれいごとだとタブー破りを評価する積極的なものまでさまざまである。共通点は建前よりも本音に好意的だということである。

 建前は理想論であって、現実はそれが通るほど単純でも無垢でもない。本音で語ることは息苦しい閉塞状況に風穴を開けるものだ。建前はあくまで表向きであって、実際には本音という裏がある。そうした認識が本音論の擁護に見られる。

 本音で話せるのは今の日本が民主的だからだと歓迎すべきことでもある。閉鎖的社会で住民はよそ者に本絵は語らない者だ。自分の立場が危なくなるからだ。監視社会に至っては家族や友人であっても本音を口にしない。誰がスパイかわからないし、盗聴が行われている可能性もあるからだ。

 ただ、そうした風潮のおかげで、本音を語るポーズを見せてメディア上で人気者になる商売上手も登場している。本音など話す必要はない。世間が本音だと思うことを口にすればよい。もっとも、これも建前の一種だ。

 人はそれぞれ事情を抱えている。本音はそのことに基づく主張だ。語る人にとっての現実であっても、他もそうだとは限らない。

 人が個々の事情を優先して意見を口にしたり、行動をとったりすれば、摩擦や対立が絶えない。人々が協力したり、協同したりするには、個々の事情に囚われない共通基盤が必要となる。それが建前である。

 本音が私的とすれば、建前は公的である。公人である政治家が本音を口にしたら、公私混同と非難されるのは当然だ。本音は彼らの弁護の理由にはならない。公人には私人に対して建前を論理的に語る方が求められる。

 ある目的を実現するために協調が必要とされる。その際、建前は進むべき方向を示す。それは理念と言い換えられる

 建前は本音の調停でもある。建前から論理的に考えて発言したり、行動したりすれば、利己的と思われないだろう。建前は誰にとっても本音ではない。誰もが要求をしながらも妥協を余儀なくされるのだから、そこに歩み寄ることは抵抗感が少ない。

 閉じられた社会は開かれた社会よりも非合理的だとしばしば見なされる。けれども、閉じられた社会は繰り返しによって蓄積された経験や知恵に基づく確実さを指向する。農業においてイノベーションが試された場合、成功すれば生産量増大かもしれないが、失敗すれば飢餓に襲われる危険性がある。個人の挑戦よりも全体の安定を優先させるのだから、本音ではなく建前が支配的になることに合理性がある。

 もちろん、本音で語り合った方が相互に利益をもたらすなら、建前にこだわる必要はない。建前は多数の人々の間で必要とされる共通基盤である。関係者が2、3人など少数であるなら、本音で互恵性が成り立つだろう。

 けれども、話し合いの参加者以外に潜在的な関係者がいる場合は本音を優先させるわけにはいかない。公共工事をめぐる談合は業者間には互恵性が成り立つ。しかし、その財源は税金であり、納税者も潜在的に関係者である。業者には利益があっても、納税者にはない。

 建前が関係者に息苦しさを覚えさせるのは、それがしばしば自己目的化してしまうからだ。監視社会は為政者を筆頭に不正や失敗の責任をとりたくないから、建前で保身を図る。しかし、建前は理念や合意である。それには背景や精神がある。特定の人たちに過度に負担を強いているなら、そこから共通理解を捉え直す必要がある。

 建前は妥協を求められるので、人は不満を募らせる。だからこそ、本音で語ったり、それを聞いたりすることにカタルシスを覚えるのだろう。けれども、なぜ建前が必要なのかを考えれば、本音の露出が建設性を欠くことがわかる。耳年増は自分がいかに現実主義者であるかをひけらかすために、建前を軽んじて本音をうそぶく。それはシニカルな態度であって、敗北主義者でしかない。

 建前の変更の要求が実際には共通基盤を破壊し、自分の本音を押し通すためであることもある。建前が権力者を束縛している場合、彼らは自分に都合の良い事情をもっともらしく持ち出し、それをないがしろにしようとする。建前は公的であり、本音は私的である。公人である権力者が建前より本音を優先させる言動はその立場と矛盾している。耳年増が増えると、権力者はやりやすい。建前を貫徹すべく怒る人々の方が彼らには厄介だ。
〈了〉

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