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象徴天皇制と生前退位(2016)

象徴天皇制と生前退位
Saven Satow
Aug. 23, 2016

「憲法は、国の最高法規ですので、国民と共に憲法を守ることに努めていきたいと思っています。終戦の翌年に、学習院初等科を卒業した私にとって、その年に憲法が公布されましたことから、私にとって憲法として意識されているものは日本国憲法ということになります。しかし、天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので、憲法に関する論議については言を謹みたいと思っております」。
天皇明仁『1989年8月4日の記者会見』

 日本でテレビが普及するきっかけとなった出来事は、1959年のご成婚パレードです。皇太子が軽井沢のテニス・コートで出会った民間の女性と結婚するというシンデレラのような物語がすでに巷に広まっています。4月10日午後、現代のおとぎ話を一目見ようと沿道を埋め尽くす人の間を若くさっそうとした二人を乗せた馬車が進みゆく光景をテレビが全国に生中継します。それは開かれた皇室だけではありません。日本国憲法の保障する権利としての結婚や男女同権を皇室も守っていることを国民に印象づけています。

 その光景は1945年8月15日の玉音放送と確かに違っています。国民は正午からの放送をラジオの前で起立した上で聴かなければなりません。悔し涙を流したり、茫然自失したり、文語のため何を言っているのかわからずとりあえず頭を下げたりする人もいます。思いはさまざまです。実際には全国がそうだったわけではないのですが、録音盤を聞いたあのときは、晴天で、暑かったという記憶が共有されています。

 一方、ご成婚パレードは国民が見なければならないイベントではありません。けれども、その生中継を味わいたいと、人々は自主的にテレビを公美優しています。テレビを買えない人も、その時を体験したくて、それがあるところに自分の意思で集まっています。彼らは晴れやかな光景に喜びを共有しています。実際には投石などもあったのですが、皆が笑顔だったこという共同の記憶があるのです。

 1989年に即位した陛下は映像の天皇と呼ぶことができるでしょう。その陛下が2016年8月8日15時より生前退位をめぐる自らのお気持ちをビデオ・メッセージで公表します。国内外に広く伝えたいとして日本語のみならず、英語版も宮内庁のサイトに用意されています。

 内容は次のように要約できます。象徴としての行為は天皇が自ら行わなければなりません。そのため、それを皇太子に代行させたり、減らしたりすることはできません。床に伏していたり、幼すぎたりする場合に設けられる摂政も、その意味で、望ましくありません。また、天皇の死は国民生活に支障を来たします。さらに、喪に服しながら即位すことは皇太子には大きな負担です。こうしたことから、天皇の生前退位について国民皆で考えて欲しいのです。

 天皇が象徴としての役割を果たすためには、生前退位が必要ではないかという国民への問いかけです。憲法は第1章で自由民主主義体制の日本における位置づけを述べていますが、退位について言及していません。それは皇室典範に定められています。ですから、生前退位には皇室典範の改正が必要です。

 メッセージの中で最も重要なキーワードは「象徴」でしょう。これは、言うまでもなく、次の日本国憲法第1条を踏まえています。

 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 天皇は日本という政治共同体とその構成員である国民の統合の「象徴」です。これは前者が後者に対して象徴という関係を持っているという意味です。「象徴」について考えてみましょう。

 言葉やイメージなどの比喩表現は築地性か隣接性かかのいずれかに基づいています。「人間は考える葦である」で知られる隠喩は前者です。人間と葦は別物であるけれども、その本質が類似しているという見方だからです。パソコンのGUIもメタファーに含まれます。一方、「人はパンのみにて生くるものにあらず」の提喩は後者です。全体と部分という隣接性に基づいているからです。象徴は概してこちらに属します。十字架は、現在、キリスト教の象徴です。これはイエスが十字架刑に処せられた出来事に由来しています。隣接生の原理によって十字架はキリスト教の象徴と見なされています。

 十字架を例にするからと言って、象徴に宗教色があり、日本国憲法上の天皇制にもその傾向があると指摘しているわけではありません。三色旗だろうと山菱だろうと構いません。十字架なら象徴が何であるかの理解がしやすいからです。

 象徴はそれを他と区別してアイデンティティを確認させる対象です。これも十字架を例に説明しましょう。ある人が胸の前で十字を切ったとします。それを見たら、周囲はその人が仏教徒でもイスラム教徒でもなく、キリスト教徒だと思うでしょう。また、クリスチャンという自覚があるから、そうするのです。

 象徴は一義的で、他に代行させたり、分割させたり、恣意的に改変したりできません。十字架がキリスト教以外の意味を示すとしたら、アイデンティティを確かめられません。また、別のものに代行させられるなら、十字架は要りません。それを象徴にすればよいのです。

 十字架は神ではありません。それを認めると、神が複数存在することになります。一神教で偶像崇拝が禁止されるのはそのためです。象徴は神ではありません。

 十字架を縦半分に割ったら、それは別物で、十字架と呼べません。また、十字架の横棒を非対称にしたら、そこに制作者の意図が感じられます。作者のメッセージを表象しますから、キリスト教の象徴とは受け取られません。

 天皇は象徴ですから、一義的でなければなりません。一人だけです。他に代行はあり得ません。ただ、十字架は物ですが、天皇は人です。しかも、象徴は抽象的概念を付帯的存在・物象によって指し示す際に用いられます。憲法1条は象徴関係が根本的な国法に維持されることを宣言しているのです。具体的な権限が憲法から導き出されることを言ってはいません。

 法的措置は皇室典範や皇室経済法、元号法などによって規定されています。18歳成年や陛下の敬称、即位の礼、大喪の礼、内廷費支給、刑事・民事免責、一世一元の制などがそれに当たります。この象徴関係が成り立つには、政治共同体においてかの存在が主権者を統合することと共にそうだという共通認知に基づいている必要があります。総意に立脚する国民統合のシンボルであるなら、天皇は象徴関係を明示化する実践をしなければなりません。

 戦前、天皇は現人神と日本国内で思われています。ですから、終戦後、わざわざ「人間宣言」をしています。しかし、近代は政教分離が原則ですから、この認識は反近代的です。日本国憲法上の天皇は日本並びに国民統合の象徴ですので、神ではありません。象徴天皇制には今さらながら近代の原則の順守の意味合いもあります。

 1946年の憲法公布記念祝賀都民大会以降、天皇は新憲法に定められた象徴天皇にふさわしいイベントに参加します。春の全国植樹祭と園遊会、夏の全国戦没者追悼式、秋の国民体育大会と園遊会、国会開会式、日本学士院・学術院授賞式などがそうした例です。また、災害の際には、被災者を始めとする国民と同悲同苦を示す発言や行動をとります。さらに、歴史の教訓を踏まえた平和主義の行動として海外への戦没者慰霊にも足を運びます。天皇は立憲主義に則り、新憲法の精神や戦後民主主義の価値観を踏まえて実績を積み重ねていなす。象徴を確かめる以上、この行為を減らすことなどあり得ません。

 人間の象徴の例を考えてみましょう。本田宗一郎がホンダの象徴であることは衆目の一致するところです。彼を誰かが代行したり、分割したりできません。彼が象徴と見なされるようになったのはその技術者・経営者としての行為です。人間の象徴は行為に基づきます。

 象徴に関して、天皇の死が国民生活に支障を来たすという懸念も重要な点です。これは昭和天皇の崩御前後の状況を指しています。自粛ムードが社会を覆ったのですが、大部分は根拠のないものです。どうすればいいかわからないから、国民生活に支障を来たすかどうかもお構いなしに無際限に拡大し、何となくやっていたというのが実情です。

 大正天皇の大喪の礼の事情を詳しく知っている人は当時ほとんどいません。60年以上前ですから、昭和元年に30歳でも90歳を超えていることになります。この難しい事態に対処するためには、人並み外れた調整能力が必要だという理由もあり、竹下登首相が誕生しています。

 昭和天皇の大喪の礼の当日は非常に寒かったのですが、高齢の参列者は失礼だからと外套も着ません。この時の薄着が原因で体調を崩し、亡くなる人も出ています。

 天皇に限らず、誰に対しても健康を気遣ったり、心配したりすることは人情というものです。けれども、自粛は行きすぎです。と言うのも、自粛は自己検閲だからです。立憲主義は憲法によって権力を制限し、国民の権利を保障する思想です。その健康状態のために、国民が権利行使を委縮するとしたら、それは立憲主義乗の象徴の役割となり得ません。

 天皇が人間の礼節の限度で敬愛されるようにならなければ、日本には文化も、礼節も、正しい人情も行われはせぬ。いつまでも、旧態依然たる敗北以前の日本であって、いずれは又、バカな戦争でもオッパジメテ、又、負ける。性こりもなく、同じようなことを繰り返すにきまっている。
 本当に礼節ある人間は戦争などやりたがる筈はない。人を敬うに、地にぬかずくような気違いであるから、まかり間違うと、腕ずくでアバレルほかにウサバラシができない。地にぬかずく、というようなことが、つまりは、戦争の性格で、人間が右手をあげたり、国民儀礼みたいな狐憑きをやりだしたら、ナチスでも日本でも、もう戦争は近づいたと思えば間違いない。
(坂口安吾『天皇陛下にさゝぐる言葉』)

 喪に服しながらの即位の困難さは陛下自身の経験を踏まえての発言でしょう。その状況下では象徴としての役割を十分に果たしきれなかったという思いが伝わります。

 天皇が象徴としての役割を果たすために、生前退位について考えて欲しいと陛下は国民に語っています。それはに象徴天皇制とは何かについての認識を深めることが不可欠です。けれども、陛下がこの行為を行うまで、一般的に言って、国民が憲法第1条の意味を深く考えてこなかったのが実情でしょう。象徴天皇制について最も真摯に考察し、取り組んできたのが陛下だと今更ながら気づかされた国民も少なくないに違いありません。

 崩御の前後に、昭和天皇の戦争責任をめぐる議論が再燃しています。この戦争がかかわりますから、天皇制に関する論議が現行の制度に十分に向いていません。

 昭和天皇の在位中、天皇制をめぐる議論は戦前の連続性を前提にしています。戦前を全肯定したい勢力は旧憲法下の天皇制の復活を主張。画策します。他方、戦前を全否定する勢力は天皇制の存続が日本の無責任体質の権化として打倒を叫びます。いずれも意見の対象は戦前の天皇制です。昭和天皇は戦前・戦後に亘って在位しています。制度が変更されても、その連続性のために議論がどうしても戦前との関連に向いてしまいます。天皇制に関する論議が盛んでも、象徴天皇制が取り扱われることは限定的です。

 現在の陛下は日本国憲法化で初めて即位した天皇です。即位の際、象徴天皇制が何かについて議論が深まってしかるべきでしたが、その動きはありません。陛下に戦争責任問題はありません。けれども、戦後責任を果たすべく発言・行動を繰り返しています。ですから、戦争をめぐる御名御璽を書いたことのない近代で唯一の天皇です。

 歴史修正主義者は先の戦争を正当化したいために、天皇を口実に利用しています。彼らにとって天皇制は自分たちの目的の手段でしかありません。そのため、陛下の憲法を順守や戦後責任への取り組みに対して無視したり、冒涜したり、侮辱したりしています。罵詈雑言を浴びせるいわゆるネット右翼が一例です。

 
 それは遠い歴史の藤原氏や武家のみの物語ではないのだ。見給え。この戦争がそうではないか。実際天皇は知らないのだ。命令してはいないのだ。ただ軍人の意志である。満洲の一角で事変の火の手があがったという。華北の一角で火の手が切られたという。甚い哉、総理大臣までその実相を告げ知らされていない。何たる軍部の専断横行であるか。しかもその軍人たるや、かくの如くに天皇をないがしろにし、根柢的に天皇を冒涜しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス! ああナンセンス極まれり。
(坂口安吾『続堕落論』)

 象徴天皇制としての生前退位を陛下がお気持ちを表わすと、日本会議や読売新聞が異を唱えます。メッセージへの意見自体は認められるとしても、公務を減らせばいいなど彼らは象徴の意味を理解してないまま反論しています。また、産経新聞は生前退位には改憲が要るとして世論調査を実施しています。皇室典範にかかわることですから、これは露骨な便乗であり、世論誘導です。

 いずれも安倍晋三政権と近いよされる組織です。歴史修正主義の目的達成のために天王を口実にしてきたことがこれで明らかでしょう。加えて、安倍自民党の憲法草案が象徴天皇制ではないのも同様です。こうした勢力はわが身の便利のために天皇を利用し、陛下を敬愛していない冒涜者です。

 安倍政権は戦前回帰としばしばいわれます。けれども、それは適切ではありません。戦前、天皇に敵対した政権などないからです、自らをそれ以上であるとして、天皇を「アンダー・コントロール」に置こうとしていますので、戦前も否定しています。安倍政権は逆賊でしかありません。

 旧憲法が公布されたのは1890年、新憲法の施行は1947年です。前者は60年も続かず、後者はほぼ70年運用されています。立憲主義上は明治憲法よりも平和憲法の時期の方が長いのです。天皇制も同様です。象徴としての天皇の方が長く、社会に定着しています。陛下は日本国憲法の象徴天皇として即位しています。戦後憲法の否認や戦前体制の賛美は陛下の否定です。それは象徴天皇制の憲法下で築き上げてきた社会の破壊を意味するのです。

 生前退位をめぐる陛下のメッセージは象徴天皇制に関する深い理解に基づき、論理的に展開されています。象徴を自明視してあまり考えてこなかった自らの無知を知った人も少なくないでしょう。この賢明なる象徴にふさわしい国民であるのかは今後の議論で示されることなのです。
〈了〉
参照文献
天川晃他、『日本政治外交史』、放送大学教育振興会、2007年
坂口安吾、『坂口安吾全集』6、筑摩書房、1998年
宮内庁
http://www.kunaicho.go.jp/

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