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愛していた老犬のこと

普通の子供が望むように私も親に犬を飼いたいとねだり続けていて最初はそんなの無理だと言われていたが、6歳くらいの時からストレスで過食症みたいになり、引きこもりがちになった。

親が散歩がいい運動になるだろうと見込み、譲度会に何度か行ってが自分に合った犬に巡りあえずにいたが、たまたま親と祖母がペットショップで一目惚れした超ロンパリの犬を飼うことになった。

親が一目惚れしたその日にもう一度店に連れて行ってもらい、その日の家に来た。名前は犬を見る前からラブと決めていた。当時親が乗っていた車に「住んでいた町の名前」LOVEみたいなステッカーが由来で名前が決まった。

ラブは生後3ヶ月で私は7歳だった。保育園時代から不登園気味だったし、小学校に上がってもそれは変わらず、担任に朝ジムニーで迎えに来てもらっていたこともあり、相変わらず引きこもりがちだったが犬が来てからはちゃんと散歩に行くようになった。

よく亡くなった祖母と3人で散歩に行った、弟ともよく犬を連れて遊んだ、たまに母親とも一緒に散歩にいった。近所の友達とも散歩に行った。
毎日2時間くらい散歩に行っていた時期もあった。
買い物ついでに散歩に行ってよく店の外で待たせていたこともあった。

祖母は手押し車を押していて歩みが遅くて。しかし教えなくても私とラブが先に進みすぎたら犬は立ち止まり、ゆっくりこちらに向かってくる祖母を振り返って待っていたり、私と祖母の真ん中で祖母に歩幅を合わせて歩くような優しい犬であった。

家の金銭状況から何度も引っ越しをして、餌も買えないような本当はペットを飼い続けることがほぼ不可能みたいな時期も何度もあった。
米に鰹節を混ぜたのを餌にした時も何度もあった。

もちろん何度も誰かに譲る話も出たが私にはラブがいないとダメだったし家族も解っていて、決して十分ではなかったものの最後までお世話させてくれたことに今は本当に感謝している。

人間のわがままに付き合わせてきたのだ。でもラブはそんな私たちに忠誠心を持って何度も一緒に苦労を乗り越えてきた家族であった。

私の精神が狂ってほぼ家にいない時期や職人仕事を始めて寮に引っ越したりして、心が通じ合ってない時も何度かあったが今思うと見守ってくれていたのかなあ、なんて都合よく思う。

今年の3月に今の家に越してきてからは特に老いてきて、時間が経つごとに介護が必要になってくる。
最後の数ヶ月は認知症が出てきたのもあり、夜中には「立ち上がらせて」とかただのあまえ吠えとかで何度も起こされた。

ラブのことを最優先に生活していかなくてはいけなくなった。

私も薬が切れると秒で精神が狂うので何度も服薬させて殺そうかとか、殺した夢を見たこともあった。そんなことを自分が無責任すぎて本当に自己嫌悪を覚えたりもした。

数週間前に飲んでいた薬を大幅に変更して、調子が良くなってからは介護そのものはしんどいけれどラブのことをなんの苦もなく最優先にできるようになった。

飼い始めた当初からずっと「かわいいね」「いい子だね」「優しいね」とラブには伝えてきていて、老い始めて元同居人のお陰で以前にもまして心が通じ合うようになってからは特によく話しかけるように心がけた。
「ラブ、おはよう」「ラブ、もうねんねだよ。おやすみね」徘徊が始まると「ラブちゃん、どこ行くの?」とか。

わかってはいてもなかなか風呂に入れてあげられなかったりもしたし、ただでさえ不眠なのに起こされて文句を言ったりもした。

でも大好きだった。本当に優しくて、穏やかで、マイペースで食い意地のはった可愛い可愛い愛犬であった。

SNSを通じて犬の訃報の知らせをみた元同居人から連絡がきたが、以前「犬も喜ぶから会いにきてね」とメッセージしたのを無視したくせにお悔やみを送ってきて腹が立ったので「あなたのことは残念に思います」とか適当に個人的な感想と事実を伝えたら返事が来なくなった。結局、彼はカント(イマヌエルではない)だった。

が、そんなことはどうでもいい。
Rest in Heaven my Love.

ラブは私たち家族の心の中で永遠に生き続けるのだ。


愛を込めて。

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