見出し画像

短編小説「犬」

第1話 少年の日

洋一は7歳の時、近所のおばさんから雑種の子犬を譲り受けた。
「この犬、もらってもいいでしょ?お父さん」
「大事に育てられるんならいいよ」
「わ〜い」
洋一はその小犬に「ベル」と名前を付けてたいへんかわいがった。
遊ぶときはいつもいっしょ。
散歩も、公園のかけっこも、給食の残りのパンも半分こ。
パンをもらうとベルはうれしそうに後ろ足をステップさせる。

しかし最初の数ヶ月はかわいがって遊んでいたが、そのうち飽きて面倒を見なくなる。
学校で面白くない事があるとベルに八つ当たりするようになった。
それはエスカレートしてある日、熱湯をベルの左手(左前足)にかけてしまう。
父親にさんざん怒られる洋一。

「もういらない!」

さけぶ洋一。
ベルはそんな洋一をただ見つめていた。

第2話 4月雨

洋一がベルをいじめても、ベルは散歩の時間になると洋一のところに来て尻尾を振る。
あまりにも洋一がベルのめんどうを見なくなったのに困り果て、思い余った両親は、なくなく犬を保健所に連れていく。

その日は桜の花も散る4月10日。
楽しかった過去も、もうまぼろし。

「来い!ベル!」

車に引き寄せる父親。
くんくんと泣くベル。
寂しそうに洋一を見つめる犬の目。
ただ見送る少年。

しとしとと、冷たい雨の降る春の日だった。

第3話 バイク事故

そして22年目の春。
洋一は29歳になっていた。

ある雨の日の夜道。
洋一はバイクに乗っていて、スピードを出しすぎカーブを曲がりきれず転倒し動けなくなる。

出血がひどい。

「ちっくしょ~っ!」うめく洋一。

そこに偶然車で通りかかった看護師の亜希子。
雨の中、てきぱきと応急処置をして、自分が勤務する病院に救急車で連れていく。
洋一は亜希子の応急処置のおかげで、かろうじて命を取り留める。

第4話 亜希子

数日後、病院のベッドで洋一は看護師亜希子に感謝の言葉を言う。

「看護師さん、ありがとう。これ、もらい物ですけど食べませんか?」
「あっ、栗饅頭ね!あたしこれ好きなの。」

なにげなく足をステップさせる亜希子。

「あたし、うれしいと足が動くの。・・変?」
「い・・いいえ・・」

栗饅頭をほおばる亜希子。
笑い合う二人。

ある朝、亜希子が入れてくれたお茶を、洋一は誤って亜希子の左手にひっくり返してしまう。

「きゃっ!」
「あっ、ごめんなさい」
「いいの、いいの、冷やしてくるね」

洋一は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
なぜかふと、切ない気持ちになった。

第5話 左手

次の日、亜希子の包帯でまいた左手を見て洋一が言った。

「看護師さん、ごめんなさい。痛みますか?」
「いいえ、痛くないわ。・・それにしても見て!奇麗な桜!」
窓の外を見る洋一。
桜並木がまぶしい。

「あたし、4月って好きなの。」
「どうしてですか?」
「誕生月だから・・。ふふっ、単純ね?」
「えっ、何日ですか?」
「4月10日。もうすぐ22才よ。」
「え・・?・・!!」

(ベル?)

洋一は全身から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
(4月10日、あぁ・・あの日・・ベルと別れた日・・)
思い出す洋一。
よみがえる記憶・・

舞い散る桜の花
一緒に散歩した夕暮れの道

ベルの顔
亜希子の左手
熱湯
ベルの左手

ステップする足
奇麗な亜希子の足

さみしそうなベルの目
亜希子の目

この看護師さんは、もしかしてベルの

・・・生まれ変わり?

まさか。

「う、あぁぁぁ・・」
顔を覆う洋一。

「どうしました?洋一さん。」
そのとき洋一の目の前には看護師の亜希子ではなく、ベルの姿があった。

「・・ベ、べルゥ・・ごめん・・おまえはおれを助けてくれた・・おれはおまえを捨てたのに・・あぁぁ・・」
「どうしたんですか?」

不思議そうな亜希子。
シーツをつかんで泣き叫ぶ洋一。

「許してくれぇ~ベル!ごめん!あぁっ~~!!!」

第6話 桜の日

退院の日。

「看護師さん、色々と有り難うございました。一生忘れません。」
笑う亜希子。

「ほんとに一生忘れません。死んでも忘れません」
涙の洋一。
「死んだら困るわ。」
笑う亜希子。

「あっ、これは?」
亜希子の指にはめられた指輪を見る洋一。
「あたし、6月に結婚するの。」
微笑む亜希子。

「そうですか、お幸せに・・いや、ぜったい幸せになって下さいね!」
「ええ、洋一さんもね。」

泣く洋一。
亜希子も泣きそうになる。

「なんかあたしまで涙が出てきちゃいそう」
「さようなら、ありがとうございました」
「さようなら、がんばってね」

手を振る亜希子。その手の包帯はもうとれている。

すでに桜は散ってしまっていた。

しかし、洋一の目には桜吹雪が、鮮やかな桃色で歩道を染めてるのが見えていた。



あとがき

読んでくださりありがとうございます。
この短編小説は2000年代初めに、iモードのサイトに公開していたのを加筆修正したものです。
オムニバス短編小説4部作「犬」「虫」「花」「星」のうちの第1部「犬」です。

自分自身小学生の時、犬を飼っていました。
家の外の犬小屋で、鎖に繋がれて・・・
寂しい時は、星空を見上げていたのかな・・?
冬の犬小屋は寒かっただろうなぁ・・
一緒に走ったよなぁ。
今も思い出します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?