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江戸の歴史、そして東京のサウナ巡り

最初に、前回の投稿(2022年11月)から時間が経ってしまったことをお許しください!

実はこの3年間、仕事の関係で某地方都市に赴任していたのですが、
この4月に転勤となり、
2020年の5月以来、3年ぶりに東京に戻ってきました。

この3年間で東京には新しいサウナ施設が続々オープンしております!
いくつか例をあげると、渋谷の「SAUNAS」、赤坂の「サウナ東京」、
銀座の「コリドーの湯」といったところでしょうか

そうそう、羽田空港に昨年12月にオープンした「泉天空の湯 羽田空港」に
GW期間中に行ってきました!


泉天空の湯から羽田空港の眺め(今年のGWは晴天に恵まれました)


この3年間も休暇等を利用して度々東京を訪問していましたが、
やはり東京という街には不思議な魅力というか、
筆者を心から虜にする魔力がある、と感じます。

かつて「魔都」とも呼ばれた東京23区の、
そのような何とも表現しがたい魅力に取りつかれた経験のある方は
多いのではないでしょうか。

現在筆者が住んでいるのは、江東区の中でもかつて「砂町」とよばれた
エリアでして、家のすぐ近くを小名木川が流れております。

荒川と隅田川を東西に繋ぐ細長い川です

東京の歴史を調べてみると、この小名木川の歴史は古く、
1590年に江戸城に入った徳川家康が開削工事をして完成させた運河の一つ、
とされています。

運河としての小名木川の役割は、
かつて関東最大の製塩地であった、
千葉県の行徳から江戸城へ塩を安定して運搬することにありました。
は生活必需品であると同時に貴重な軍需物資でもあったため、
現代の石油に近い資源であったと思われます。

現在の小名木川は小さな河川ですが、
江戸時代がスタートした当時は
現在でいうところのパイプラインにも例えられるくらいの、
重要な物資輸送ルートでもあったのです。

千葉県の行徳から皇居(かつての江戸城)へ至るルートを、現代の地図帳で示したもの
江戸川区の新川と、江東区の小名木川を通過して運搬された

千葉から運ばれた塩が江戸城へ向けて東から西へ運搬されるルートとして
小名木川が利用されたのですが、
この川を通過し終えて墨田川へ合流する河口の近くに「常盤」と呼ばれる地区があり、
ここにも今年3月新たなサウナがオープンしております!


リニューアルされた常盤湯の入り口

ここは歴史ある銭湯施設なのですが、
リニューアルされたばかりのお風呂とサウナは非常にハイレベルであり、
これから話題の施設となって各メディアで取り上げられていくのは
間違いないでしょう!

この施設の特徴を簡潔に紹介すると、

  • 100度近いサウナと10度の水風呂

  • 外気欲エリアには整いイス多数

  • サウナ後にはジョッキビール飲めます!

といったところでしょうか。
東京の新たな名所としてサウナーの方々は是非とも訪れてほしいです!

サウナでととのい、ビールを飲んでほろ酔い気分のまま、
小名木川沿いを西から東へ、筆者の住んでいる砂町のほうへ
徒歩で帰ってみました。
かつてはこの川から江戸城へ向けて、貴重な物資が運ばれていたという、
そんな歴史の息吹を感じながら….

筆者は今後も都内のサウナを巡りながら、
江戸から続く東京の歴史に少しだけ触れてみたいと思います。
その中で感じたこと考えたことを発信してみますので、
退屈することなく読んでいただければ幸いです笑

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