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カサブランカ忌

今日は母親の命日。もう9年になるのか……。

実はこのnoteを始めたのは機能不全家族育ちの人とネットで交流するようになって
「私の親はもう高齢で、いつお迎えが来てもおかしくないんですが、子供時代には虐待され、そして親元を離れた今でも干渉してくるのです。けれどいざって時、どう向き合っていいか分かりません。Noeさんはお母さまが亡くなった時、どう思いましたか?」
「親に対する気持ちに整理がつきません。今、(自分を虐待した)親を介護しているのですが、私が面倒を見るしかなくて。自分が親を見捨てたら自分がおかしくなりそうです。けれどさっさと死んでほしいという気持ちもあります。Noeさんはそういう気持ちになりましたか?」
などと、主に年下の女性からメッセージを複数頂いたことがきっかけです。

それより前からずっと、自分の母親の死の前後の話は書きたかったのだけれど、なんとなくきっかけが掴めないでいた。じゃぁ、書いてみるかと書いてみたのがこのnoteに掲載した『タヒチの女ー母の死についての覚書』です。
取り掛かってから2週間、奇しくも書き終えたのは母の七回忌当日。あの手記の最後には
「今年のあなたの命日には墓参りに行けない(ちょうどコロナ騒ぎの頃でした)。けれどどんなに恨んでも今日だけは私をそっちに連れて行かないでくれ、私はあなたの命日に死にたくはない……」とありますが、あれから私は母の墓参りには行っていません。それまでは彼岸と命日の年3度、父と一緒に行っていたのですが。本当言うと、別に母の墓参りなど行きたくはなかったんです。けれど行かないと父がうるさく連絡してくるので仕方なく一緒に行っていたんですね。で、コロナ騒ぎになってから父が異常にコロナを恐れていて、来なくていい、来るなと言ったので行かなかったのです。で、段々コロナ騒ぎは収まったのは周知の通りで、墓参りというか、父の所に行っても差し支えない状態にはなったのですけど、去年の私の誕生日前日に父から電話が掛かって来ましてね。まぁ、いつものどうでもいい話、たとえば私が誰だか全く知らん人の悪口、妹夫妻の悪口、(元)愛人で一緒に住んでるおばさんがどんなにいい人かを力説。私がうんざりしながら聞いていると今度は私を意味不明に責めて来まして。お前はいつも偉そうだだの、心配や迷惑ばかりかけやがってだの(どっちがだよ、って話なんですが)。あの父に何を言っても無駄どころか、余計面倒くさいことになるのでいつも適当に返事をするのですが父の逆鱗に触れ、
「もうお前のことなんてどうでもいい、勝手にしろ」と一方的に電話を切られてしまいました。
ま、あの人はいい加減な人なので舌の根も乾かぬうちにいつもは連絡してきたりするのですが、あれから、つまり去年の私の誕生日前日から今まで1年1か月以上連絡はないです。尤も、母が余命宣告をされるまでの10年くらいも没交渉だったのですが、今回はどこまで続くでしょうか。
あ、ちょっと訂正。母が死ぬ2年くらい前に「あなたの親に当たる人が生活保護を申請して~援助できないか」って手紙が来て、そのことで父と電話で話したな。というのも、私は父に居所を教えてなかったんですわ。半分逃げ回ってる状態だったから。あの人たちから。電話番号だけは知ってるという。で、役所の人が扶養照会ってやつをして、居所がバレてしまったんですね。
なんか話がずれた?いや、この際だからついでに書いてしまうけど(このnoteのどこかに既に書いたはずだけど)、母が私名義の借金をしてましてね。生前、母は借金大魔王だったので相続放棄は当然したのだけど、その借金、私名義じゃないですか。放棄出来るものじゃない。ええ、弁護士などに相談もしましたよ。けど、これは書いていいのかな、お役所から母はお金を借りてましてね。そんな借金、どうして何十年も気づかなかったかって思うでしょ?住民票は当然、父と母のところにはなかったのに(そこに一緒に住んでいたこともない)なぜか私がそこに住んでいることになっていて、そこに請求書やら督促状やらが来てたんですよ。で、母が死んでもなおそこにその手の手紙が来て(名義は私で、私は生きてるわけだから)、父が見つけ発覚。ていうか父……もっと早く気づけよって話なんだけど。

もうね、愕然としたよね。神奈川のやや田舎の中古ボロ家なら余裕で一括で買える額だったよ。現役で入った大学も奨学金を使い込まれて退学して、奨学金を返すために昼はスーパーで働いて夜は夜の商売してさ。またかよ!って話。まぁ、一括で返しましたよ!お役所は容赦ないんだよ、払うって意思を見せればそんな厳しいことも言わないんだけど、一日当たりいくらの利息が付いてて、今はこのくらいです、分割でもいいけど……って書面見せられちゃったらねぇ。10年以上、あの人たちの住まいによりつかず、連絡もしなかったことが皮肉にもアダになったのかなとか思うとさ。もし様子伺いしてたら被害が最小限に済んでいたかもしれないと思うと本当に悔やんだよねぇ。

今日は命日だからこんなことを嫌でも思い出しちゃうのよ。一生思い出すんだろうなぁ。
私はね、
「虐待されたのは過去のことでしょ?忘れろ、許せ、前を向け」って安易にいう人が嫌いなのよ。
私が受けた仕打ち、こんな話を知ってもそう言ってくる人がいてたまらないよ。だってあの時そんなお金を払わなくて済めば今も少しは楽だったろうし、っていうかマジで家買うかお店を開こうかと貯めていたお金だよ?精神的ショックも計り知れないわけよ。病んでまともに日常のことが出来なくなって生活もままならなくなるんだよ。実際、この件をきっかけに10年くらい通ってなかった精神科にまた通う羽目になったしなぁ。

何故か母は死ぬ前の数年間、カサブランカを育ててたらしい。花なんて興味ないような人だったのに。余命宣告された時(母には余命どころか病名、ガンだってことも知らせなかった)、父は棺にカサブランカを入れたいなんて言っていたけれど、結局入れたのは葬儀社が用意した赤と白のカーネーションだった。母の日の2日前に亡くなったから。

もっと書きたいことあるんだけど、止めておく。ヘッダー画像は2年前、チューリップの福袋を買った時に入ってた私が育てた黄色のカサブランカ。