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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<142>

RIP

ブルガリアとルーマニア、そして乗り換えのために寄ったイスタンブールもとても楽しかった。2度目のピッキングに遭ってしまったことを除いては。この間ハンガリーから帰ったときが1度目だからなんと運の悪いこと。東欧の空港では珍しいことではないと知っていたので預けたスーツケースには洗っていない大事ではない服や下着、使いかけの洗面用具など誰も盗みたくないようなものしか入れていなかったけれど、強引に開けられたせいで鍵は掛からなくなってしまったので、3年前にクラブ遊び仲間のリサと行ったロサンゼルス旅行から共にしたこの水色のスーツケースは買い替えなくてはいけない。そうだ、前向きに捉えよう。いつかもっとカッコいいやつを買うって思っていたし、今がその「いつか」だ。店の帰りにそごうに寄って旅行用品コーナーを見る。うーん、リモワが欲しいけれどさすがにちょっと高いかなぁ。買えなくもないけれど、高いスーツケースを買うくらいならその分を旅費に回したい。

旅行をするためだけに働いて生きる。ああ!なんて素晴らしい生活だろう!旅行ってのはこの上なく贅沢な趣味だと思う。思い出と自分にしか価値のないものだけしか残らないんだから。霧の夜、辻音楽師のヴァイオリンの音色、ホテルを出て曲がった角にある商店の無愛想な親父、48枚撮りのフィルムと数えきれないほどの写真、通ったカフェのレシート、ぶっ壊れたスーツケース。

パソコンを買ったらブログを始めて紀行を投稿したいと考えていたのに、相変わらず私はノートに書きつけている。パソコンは専ら旅の情報を漁るためだけに使っているという有様。いいさ、これから何度も旅をしてからホームページとやらを作って載せるから。ホームページってどうやって作るんだろう?機械音痴の私にも出来るかな。ああ、退屈する暇なんてありゃしない。私は今、幸せだ。幸せ過ぎて明日の朝、目が覚めなくたって構わないくらいだ。けどロシアとウクライナ、バルト三国への旅が秋に控えているし、ボスニアにもアルバニアにも行きたい……。

夢を見たーーあれはきっとルーマニアだろう。だって「陽気な墓」の青が目覚めても鮮明に脳裏に焼き付いているから。
ウクライナとの国境近くのサプンツァ村にある、陽気な墓。フランス人の観光客が命名したらしいのだが、ルーマニア人の祖先ダキア人の「死をものともしない」という思想から来ているという説もある。墓標には故人がどんな人生を歩んだのか、あるいはどんな死に様だったのかがカラフルなイラストと滑稽な文句とで刻まれている。

ああ、私は生き様より死に様の方がインパクトのある生き方は御免だ。沢山旅をして、美術や音楽などの芸術を愛して、そして自らも執筆に勤しんだ粋な人間だったと人々に記憶されるような生き方をしたい。

陽気な墓の敷地内には簡素なテーブルの上に絵葉書とお墓のミニチュアが土産品として並べられていて、可愛い坊やがお店番をしていた。私は酒を飲んでいる男のイラストが描かれている小さな墓標を手に取った。
「10……テンユーロ」と坊や。

買った墓標を片手に、再び墓地を歩く。職人さんがお墓の修復作業をしている。雨風で風化した墓標を色とりどりのペンキで塗り直している姿を眺めていると
「ネーム?」と背後の私に気づいた職人さんが振り返った。
「え…..?ミホ」と答えると、手にしている買ったばかりの「墓標」を無言で指さした。
あ、私の名前を入れてくれるってこと!?
墓標を手渡した。
「MI……エム、イグレック、アイチ、オウ?」
「notイグレック」
バッグからメモ帳とペンを取り出し「MIHO」と書いて、見せた。
ペンキまみれの手でスラスラと私の名前が書かれてゆく。
「MIHO 2002」

ああ、私は死んだんだ。
たったの10ユーロで墓標が建てられるなんて素晴らしいじゃないか。しかも持ち運びが出来るんだ、いつでもバッグに忍ばせるし、私の存在する場所ならいつでもどこでもそこが私の墓だ。

「あらゆる者は、生きながらに死んでいる」とエゴン・シーレは言った。
「ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かゝって 完全な死体となるのである」と寺山修司は言った。
ーーああ、ここからウィーンまで、そして墓場まで何マイル?