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私の「深夜食堂」の思い出

映画もドラマも音楽も好きな時に触れられるようになった今、少し前の作品に時間をおいてハマってしまうことがある。

リアルタイムでは知らなかったが、私が今とても熱を上げているのは「深夜食堂」というドラマで、漫画の原作から始まり2度の映画化もされた人気シリーズだ。ちょうど最近、DVDになっている第3シリーズまで(TSUTAYAで借りられるもの)と映画2作品は全て見終わったところである。

にわかファンながら簡単に内容を紹介すると、新宿の飲み屋街に佇む「めしや」を舞台にした作品で、
午前0時から朝7時まで営業するその食堂はお客さんから「深夜食堂」と呼ばれており、そのお店を一人で切り盛りするマスターと、そこに訪れる個性豊かなお客さんとの間で繰り広げられるさまざまなストーリーを描いている。

マスター役の小林薫さんをはじめ、常連客やお話ごとに登場するお客さんがそれぞれに味があるだけでなく、毎回マスターが作るさまざまな料理がとても美味しそうで、毎回 調理する工程やそれを食べるお客さんの表情までしっかり写し出されているのも魅力の一つだ。

めしやを通じてさまざまな人が出会ったり関係が変化していく様子など、この作品でしか味わえない見どころがたくさんあり、この作品の世界観や細かい演出などに魅了されてすっかりファンになってしまい、まだ映像系のサブスク登録をしていない私はTSUTAYAで地道に借りながら一気見した。

個人的にシリーズもののドラマや映画にハマることが滅多になかったのだが、この作品は久々に大好きになれた作品だった。

そこでふと思ったのは、自分がなぜこの「深夜食堂」にこんなにも惹かれ、特別な感情を抱いてしまうのかということ。それを考えていて思い出したのだが、私の中にも実はこの「深夜食堂」のような特別な存在のお店があったのだった。


5年ほど前、私は職場で新しい勤務地に異動したてのころで、毎日カリカリしていた。
それまで働いていた職場と新しい場所でのやり方とのギャップが大きく、新しい人間関係にも最初は上手く馴染めなくて、仕事では体力以上に精神的にも疲れ切っていた。

そんな時私は、毎日職場から帰るのにそのまま真っ直ぐ家に向かう気にはなれず、いつも駅までの道にあるご飯屋さんにすがるような気持ちで入っていた。そこで一人ご飯を食べて、空腹と共に枯れた心を少しでも満たそうとしていたのだった。

幸い、新しい勤務地の駅周辺は飲食店に恵まれていて、美味しくてそこまで高くなく、私にとっては丁度いいお店がいくつかあり、その中の一つにピザとパスタをメインに扱う小さなイタリアンのお店があった。

初めてお店に入ったのは、職場にきて数週間が経った頃だったと思う。
駅から職場までの歩道沿いにあったそのお店は、窓から店内が覗けるようになっていて、壁やかわいい小物で飾られた店内が高級感というよりはとても可愛らしく親しみやすい雰囲気を醸していて、前を通るたびに気になっていた。

メニューやお店の名前からイタリアンの店であることが分かって、パスタ好きの私はどんなお店なのか一度試してみようということで、いつものように仕事終わり疲れきってだらだらと帰る途中、初めてそのお店の扉を開けた。

中に入ると調理場を囲うようにカウンターが数席と、店内いっぱいにテーブル席が3つほど。15〜20人ほどで満席というくらいの大きさだった。

挨拶はあったかなかったか、中年くらいの寡黙な感じのマスターと、何人かのお客さんがお店の中にいた。
私は少し緊張しながら店内を見回して、もしカウンターに座ればマスターとあまりにも距離が近くて自分が緊張してしまうことが予想されたため、カウンターから一番離れたテーブル席の角に座った。こうゆう時に改めて自分の小心者の性格を思い出す。

程なくしてマスターがお水とおしぼりとメニュー表を運んできてくれ、「注文決まったら教えて下さい」と言われた。
その時の雰囲気で、ここのマスターは愛想がいい人というよりはお客さんをいい距離感で放っておいてくれるタイプの人だと分かって、少しほっとした。


私はお店に平気で一人で入ってしまう反面、もともと結構人見知りなのでお店の人と仲良くなるのにも時間がかかる。
もしかしたらそんな私の雰囲気を察してくれたのか、何も考えていなかったのかわからないが、初めてお店に入った時はマスターとほぼ必要最低限の会話しかしなかったと思う。


メニューにはドリンクとフードが分けて書いてあり、フードにはサラダや付け合わせなどのページ、その後ろにパスタ、ピザのページがあり、写真はなく文字と値段だけ書かれていた。パスタやピザはそれぞれ大きさが2種類で選べるようになっていた。

初回のそのときは確か、お店の中でスタンダードな感じのするサラダと、ナスとベーコンのトマトソースパスタを頼んだと思う。私はイタリアンのお店に初めて入ると大概はトマトソースパスタで、ナスが入っているものがあれば必ずそれを注文する。単純に一番好きだからだ。

そしてその日は特に疲れ切っていたのもあったし、パスタだけではバランスが偏ると思ったのか思い切って少し高めのサラダも付けた。
恐る恐る、どこか自信なさげな声で私がメニューを注文すると「はい」と軽く言ってマスターは黙々と作り始めた。

先に出てきたサラダは予想より大きく、きゅうり、レタス、トマトが入っており、きゅうりはギザギザの特殊な切り方をされ、イタリアンドレッシングがかかっていて、とても好みの味だった。
後に出てきたトマトパスタもすごく好きな味で、お値段もそこまで高くないのに家庭では絶対味わえない美味しさに一度で感動してしまった。


この2つを食べただけで私はこのお店に通うことを心に決め、お会計のときに勇気を振り絞って「美味しかったです」という言葉だけ言った。

いつも会計時ほぼ無言で帰ることが多い私としては、精一杯絞り出した言葉だったのだが、残念ながら自分の気持ちを伝えるまでの表現力や勇気を持ち合わせておらず、表情や声色は至って平静を装っていて、私がどれだけお店の味に感動していたかは全く伝わらなかったと思う。

それに対し、マスターは軽く「はい、ありがとうございます。またお待ちしてま〜す」とだけ返してくれて、私の感動もそれを上手く伝えられない無念な気持ちも何も気にしていないような様子だった。というか私のあの言葉だけでは何も伝わらなくて当然だ。

これを機に私はこのお店に頻繁に通うようになり、多い時には週に2、3回はきていた。

流石にマスターも私の顔を覚えてくれて、お店に入れば「いらっしゃいませ〜 決まったら声かけてね」と以前より明るい声で言ってくれるようになり、メニューを渡すときや会計の時に軽く会話をしてくれるようになった。

私にとって、初めて「行きつけのお店」と言えるような場所ができたようで、ますます好きなお店になったのだ。

聞くとこのお店は40年以上ここで営業しているそうで、私の生まれた年よりもずっと古くからやっているのだという。

味も美味しいし、音楽とサーフィンが好きなマスターの趣味もあり、ピアノとギターとサーフボードが飾ってある、なんとも独特な癒しの空間だ。

月に数回はプロのミュージシャンの方がライブイベントをしていて、私も何度か行かせていただいたり、クリスマスやハロウィンの仮装パーティなど行事のイベントもあって、その度に豪華なお食事が楽しめたりする。

私はそんなライブやイベントにも地元の常連さんに混ざって参加させてもらうくらい、このお店に足繁く通うようになっていた。


私が音楽活動をしていることをマスターの前でぽろっと口にすると、そこから応援してくれるようになり、

クリスマス会でメインの方のコーラスをやらせてもらったり、私と音楽仲間で演奏するコーナーもいただけたり、
また自分の曲のミュージックビデオもここで撮影させてもらったこともあった。

このお店で撮らせてもらった完成したミュージックビデオをマスターはとても喜んでくれて、お店の大きなスクリーンでお客さんたちに嬉しそうに見せていて、それが私にとっても嬉しかった。

そんな風にこのお店に通いながら職場の環境にも段々慣れてきて、音楽もだんだんと忙しくなってきていた。

こうしてこの場所に来て3年半ほど経った頃、再び別の勤務地に異動することになったのだった。

私は新しい場所に異動することになったという報告を、まずはマスターにしようと思い、お店に出向いた。何も知らないマスターはいつも通り美味しい料理を作ってくれて、たわいもない話をした。

なかなか言い出せなかったのだが、帰り際に「実は来月から違う場所に異動になってしまって、今までのようには来れなくなってしまいそうです」と伝えた。

「そうか、がんばってね。いつでもまたきてね」と、マスターはいつも通り少しぶっきらぼうだけど優しい声で言ってくれた。


そして新しい職場に行ってからはやはり帰り道の時とは違って、だいぶ回数は減ってしまったけれど、Facebookのお店のページを見たりしながら、ライブのイベントがある時や普通の営業の日などにたまに顔を出している。やはり離れても帰ってきたい場所だし、帰るたびにマスターが元気そうにしてるのをみて安心する。


マスターには仕事で疲れ切った時にそっと美味しい料理を出してもらったり、仕事や音楽の愚痴を聞いてもらったり、色んな音楽を教えてもらったり、お店で出会った地元のお客さんたちと仲良くなれたり、一度マスターの意外と波瀾万丈な半生やお店の歴史など深い話をじっくりと聞いたこともあり、私にとっては心の拠り所のような場所であった。


話はそれたが、深夜食堂の作品を見ていると、この物語の中のお客さんたちが仕事帰りなどに小さなお店に立ち寄って、小腹だけでなく心も満たしたい、と思う気持ちがすごくわかる。

私にとってもこの物語の中の深夜食堂と呼べるべき場所があることが嬉しかったし、この作品を見るとこのお店のことや、よくお店に通っていた時の自分の気持ちを思い出してしまう。

「一日が終わり、家路へと急ぐ人々。ただ何かをやり残したような気がして、寄り道したい夜もある。」

そんな作中のマスターのナレーションが、私を含め様々な境遇の人々の心に響くのだ。

こんなご時世で、なかなか夜の飲み屋や食堂の営業が難しいこともあるけれど、
今日も誰かにとっての深夜食堂がひっそりと営業して、小腹と心を満たされたい人々が寄り道する、そんな粋な世の中が戻ってきて欲しいものだ。


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