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冬山で危うく遭難しかけて気付いたこと

30~40代の頃はよく登山に出かけていました。週末に都会の喧騒を離れて、自然のなかで過ごすと本当に癒されるんですよね。その頃の2月の冬山で、癒されるどころか、危うく遭難。。となりかけたことがありました。

山仲間10人ほどで、バリエーションルートと言ってロープを使って登るちょっとハードな2日間の冬山登山。私は慣れていないので、仲間に連れていってもらうという状況でした。

1日目はテント場までゆっくり歩いて夕方に到着してテントのなかで過ごします。夜になるとテントの外はマイナス10度以下まで下がります。テントの中で鍋など食事をとるとテントの中も体もポカポカになりますが、食事が終わると気温が一気に下がってきます。寝るときは顔まで寝袋にくるまっていますが、口元がどうしても冷たい。。過酷な状況ですが、自然を肌で感じることができて、楽しく感じるんです。

登山の本番は2日目。早朝5時くらいに出発しましたが、思ったより時間
がかかり、頂上に到着したは夕方15時を回ってしましました。そこから下山です。周りは薄暗くなっていました。3人で歩いていたのですが、途中、2人がトイレに行くと言うので、私はそのまま歩き続けました。目的地とは違う方向とは気付かずに。。

辺りは暗くなってきたので、ヘッドライトを付けて1人で歩いていました。歩き続けるうちに、なんとなく胸騒ぎがしてきたのです。「この道は、違うんじゃないかなと。。」12時間ほど歩き続けて疲れが溜まっていたのか、思い込みのまま歩き進んでいたのです。少し冷静になって自分が進んでいる道を確かめたくなったのです。そして、その時に気付きました。地図を持っていないことに。。普段は持ち歩いているのですが、今回は他のメンバーに完全に任せきりで、テント場に置いてきてしまったのです。

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不安を抱えながら薄暗い山道を1人で歩き続けました。少し歩き続きると、薄暗いなかに人影が見えたのです。ちょっとびっくりして錯覚かな?とも思いましたが、近づいてみると登山道の脇に確かに男性が1人いるのです。なんでこんなところに1人でいるんだろうと思いながら、その方に、私の向かっている方角を尋ねたところ、「逆ですよ。。」と言われました。そして「やっぱり。。」と心のなかでつぶやきました。。

早歩きで今歩いてきた道を引き返します。気持ちが焦ってくると体力も消耗しますが、不安を抱えながら急いで歩き続けました。30分程歩いて分岐点に到着。そこで「どっちに行っていいのかわからない。。」看板は、雪に埋もれて見えません。そして、地図もコンパスも持っていません。辺りは暗く、ヘッドライトの明かりは電池が消耗しているのか、頼りない明るさでした。

「このまま動かないで一晩過ごしたほうがいいのだろうか。。」そんなことも考えました。ただ、夜中はマイナス20度。。それはまずい。。必死になって方角を探しました。そして、暗がりのなか、必死に探してなんとか方角を示す道標を見つけることができたのです。暗闇の登山道をその方向に歩き続けました。そして、30分ほど歩いたところで、また人影が見えました。
一瞬、ドキッとしましたが、相手も私の存在に気付き、声をかけてくれました。

その人は、トイレで別れた山のメンバーだったのです。「私が道を間違えたのでは?」と思ってゆっくりと後ろを気にしながら歩いていてくれていました。そのまま一緒に歩き続け、仲間とも合流できて、無事に下山することができました。

一歩間違えれば、遭難事故になって多大な迷惑をかけることになっていた可能性もあります。もしあのとき間違った方向でそのまま歩き続けていたら。。あの男性があの場所に居なかったら。。と考えるとドキドキしてきました。

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地図も確認しないで【思い込み】で歩き進んでしまった自分の行動に深く反省しました。トイレで仲間と別れて一人になったとき、「方角はこっちだ」と確信していわけではなく、なんとなく向こうだろうと歩き続けていました。別の方向に薄暗い真冬の山道を。。今考えると本当に危ない事をしていたと感じています。

それからの登山では、人任せにしないで必ず出発点、目的地などルートを事前に確認するようにしました。そして、地図を必ず持っていき、分岐点では、今自分がどこにいるのか、目的地は、どこで、あとどれくらいかかるのかを、適宜立ち止まって確認するようにしたのです。

そうすると、自分が今どこにいて、どこへ向かっているのか、あとどれくらいで目的に到着できるのかがちゃんと把握できます。もし、間違った方向に向かっていたら修正もできます。こうすることで、安心して、目標に向かうことができるようになります。

これってある意味で、私たちの普段の生活でも同じとも言えるのではないでしょうか?

目標が特になかったり、あいまいだったりすると、周りの環境に流されて、なんとなく1、2年たってしまうことがあります。どこかの方向に向かってはいますが、なんとなくこっちだろうという感じで。。もしかしたら、自分が本当に望んでいる目標とは別の方向に進んでいるかもしれません。。

普段、何気なく生活していると、年末ごろになると今年も、もう終わりかあ。1年あっという間に過ぎちゃったなあ。と思ったり、なんとなく時が経過してしまうことに不安を感じてしまうことがあります。登山と同じで目的地が決まっている人って、不安に感じるどころか、時がたつとともに、目的地に近づくことでワクワクしているんです。

頂上に向けて登り進めているとき、時折、立ち止まって自分が登り進んできた道を振り返ることがあります。「おー、ここまで登って来たんだー!」と充実感をかみしめながら、「頂上まではまだ長いけど、がんばろう!」と気合を入れたりします。

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山の頂上にたどりつくという未来に意識を向けると、「時間の経過とともに、未来が近づいてくる」という感覚になります。普段の生活で、特に目標を意識しないで過ごしていると、「時間が段々と経過していく」という過去に意識が向きがちなります。

人生の目標というと山登りのようには決められないかもれませんが、「今度はどの山に登ろうかなあ」という感覚で、仕事でもプライベートでも「今月、今年はこれをやろう!」と目標にを決めておくだけでも、意識は未来に向くようになるのです。目標を決めることで、意識の方向が変わってくるのです。

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そして、

あの時の経験から、必要な時に、必要なタイミングで、必要なヒトが、自分の目の前に現れてくれる。そんな気がするようになりました。それは、人生という山登りで、私たちが遭難しないように、私自身をいつも誰かが見守ってくれていて、本当に必要なときには手を差し伸べてくれるのではないかと。。ただ、何気なく過ごしていると、何も気付かないで通り過ぎてしまうのかもしれません。。