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最終話: 「新月前夜、窓、そして君の事。」

【連載】新月前夜、窓、そして君の事。/ 文・イラスト: セキヒロタカ

 ・・・

僕は店を飛び出して、彼女に駆け寄った。
急がないと、何かが変わってしまうかもしれない、そんな気がした。
店員や店の客は、きっと驚いてこっちを見ていただろうが、全く目に入らなかった。
僕は無言で彼女を抱きしめた。彼女も僕を強く強く抱きしめた。
そして、長く深くキスをした。

 ・・・

「長くいた病院は出てもいいことになったのだけど、これまでのことは国家機密に関わることだから黙っているように、でないと周りの人にも迷惑をかけることになる。大事な人にも。その時はまた同じことをしなくてはならない、黙っているのがあなたのためになる、と言ってたわ。」

と彼女は言った。

「病院?どういうこと??どこか悪いの?大丈夫?」

慌てて僕が訊くと、彼女はぽつぽつと話し始めた。
彼女は精神病棟に入院していた。彼女が国際テロとの関係を疑われ、予防拘禁同然の任意同行で拘束されたあと、病気がちだった彼女の父親は死に、3ヶ月後母親も死んだ。心のバランスをひどく崩し、食事も取れない状態になった彼女は、そのまま精神病棟に入ることになった。今は病棟を出て、用意された官舎の部屋で過ごしているらしい。

僕と会えなくなっている間、彼女も砂の惑星の夢を見ていた。

「あなたとあの部屋にいた最後の朝、前の夜に見た「砂の日」の夢の話をしてくれたのを思い出して、毎月、新月の日に外出許可を取ってここに来ていたの。」

「そうなんだ・・・」

僕は余りに驚いてそのくらいしか言葉が出てこなかったが、少し落ち着いたら怒りがふつふつと湧き上がってきた。

「しかし、あなたのためだとか、連中は親切ごかしに何を言ってるんだ。国会で法相が予防拘禁のことで突き上げ食らって慌てて解放したくせに。訴えてもいいくらいだ。」

僕はつい声を荒らげてしまったが、実際にはそんな気力もなかったし、それより今は彼女がそばにいてくれることが何より大切だった。

 ・・・

それから、僕たちは手をつないで、線路沿いの道を僕の部屋まで歩いた。
僕は、初めて彼女と自転車を押して歩いた日のことを思い出していた。
きっと彼女も同じだっただろう。

僕たちは、何も話さなかった。
話す必要もなかった。
僕たちは、一緒にいる。そして、同じ道を手をつないで歩いている。
少なくとも今は。
それがどれだけ貴重なことなのか、どれだけ幸せなことなのか、今はとても分かる。
未来のことは分からない。
でも、今、一緒にいられること、それが何より大事なんだ。
僕たちは、同じ気持ちで、線路沿いの道を歩いていた。

「こんな日は、おでんが欲しくなるね。」

彼女が言った。

「動議支持。おでんに 1 票。」

僕はそう言った。僕たちは、じゃあ、おでん可決だね、と笑った。
僕たちは久しぶりに、本当に久しぶりに心の底から幸せな気持ちになった。

さっきまでどんより曇っていた空も、気が付くと西の方から青空になって来ていた。
線路の架線の西日に照らされた面が、きらきらとオレンジ色に光っていた。
僕は、僕たちが存在する世界中の景色がとても懐かしいものに思えた。

僕たちは、「本来いるべき場所」に戻ってきたのだ。
僕は心の中で、目の前のオレンジ色に光る世界に言った。

「ただいま。」

 ・・・

僕たちは、その夜、僕の部屋で裸で抱き合って眠った。
セックスもせず、ただ、二人で裸で抱き合って眠った。

 ・・・

僕は、また砂の星の夢を見た。
その夢は、やはり「続いて」いた。

 ・・・

砂の惑星を離れ、遠い惑星に来て20回目の新月の夜が過ぎたころ、彼女は病気になった。故郷の星からいくつもの医薬品を持ってきてはいたが、それらは役に立たなかった。
日々衰えてゆく彼女を励まし見守りながら、僕は調査を続け、この星の新月前夜になると遠い故郷の星へとメッセージを送り続けた。

ある日、僕たちは気付く。
故郷の星がついに滅んでしまったことに。
こんなに離れていても、共有している意思によってそれが分かることに僕たちは改めて気付いた。
その夜、彼女は、あの時と同じように僕の小指に人差し指を付け、「幸せというのとは違うけど、あなたといられて良かったと思う」と言った。
僕はこの前は言わなかった「僕もだよ」という言葉を言おうとした。
しかし、その時には、彼女はもう生きるのをやめていた。

そして新月前夜がやってきた。

でも、僕にはもうメッセージ送る理由がなくなっていた。
僕は彼女の亡骸の首元に掛かっている、銀色のカプセルを鍵を使って開き、中のリング状の安全スイッチを引き抜いた。
カプセルは緑色に明るく、僕の視界を奪うほどに明るく輝いた。
この輝きが終わるころには、僕と彼女は炭化して小さな塊となり、この部屋の物もすべて原形をとどめないだろう。

すべて終わったのだ。

「もう行っていいんだよ。」

緑の光はそう言っているようだった。

 ・・・

目が覚めた。

「あの日の窓の色だ。」

気付くと僕は彼女を抱きしめて泣いていた。
彼女も僕の方をじっと見て、同じように泣いていた。

「君にも見えたんだね。」

彼女は何も言わずに僕と彼女の間にあるペンダントのトップをそうっと手のひらで包み、彼女の頬に当てた。そして、そのまま僕の方に頬を近づけた。

 ・・・

それから、僕は彼女の身元引受人になった。
被告でもなければ被疑者でもない、立件さえされていない件で身元引受も何もないものだ、と思ったが、常時居所を知らせることが条件だというので従った。今はとにかくもっと大切なものがあるのだ。

そして、僕たちは僕の部屋で暮らし始めた。
僕たちは、新月前夜になると、ベランダに出てマグカップのコーヒーを分けあいながら、骨のように白くて細くなった月を眺めた。

僕たちは何も言わず、あの「緑の明かり」の部屋のことを想った。

僕たちは君たちのことを覚えているよ。
これからもずっと覚えている。

新月前の細い月の夜、君たちがずっと故郷の星に向けてメッセージを送り続けていたこと。
僕たちはきっとずっと覚えている。
君たちは、間違いなくここにいた。
骨のように白くて細い月と一緒に。

(おわり)


【あとがき】

「新月前夜、窓、そして君の事。」を最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。
とてもうれしいです。

僕がこの話を書きながら、僕達は普段は気付くことのない奇跡の中で生きていることを実感しました。
それはごくごく普通のこと、たとえば、夕陽に光る鉄塔がとても綺麗だったこと、昔の友達からの手紙を部屋の隅で見つけたこと、そういったことかもしれません。

僕はこの話のインスピレーションをいろんな所から得ました。
ある人が撮った写真。僕の中に澱のように積もった記憶。アインシュタインの言葉。
そういうものに触れて、これまで空気中で形とならずにモヤモヤとしていた物語が、急に形を持ち始めました。僕がしたことは、単に「それ」を空気中から引っ張り出して文章という形にした、ということだけでした。

僕は奇跡を信じています。
僕が今、こうやって生きていて、こういう物語を書いて、その物語をこうやって読んでくれている人がいること自体奇跡だからです。
また、物語を書く機会があるかもしれません。
その時は、また、読んでもらえれば嬉しいです。
最後までありがとうございました。

「私たちの生き方には二通りしかない。
奇跡など全く起こらないかのように生きるか、
すべてが奇跡であるかのように生きるかである。」

 - アルバート・アインシュタイン

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