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私たちはなぜ「私は日本国民だ!」と思うのか。 (政治学書籍 要約)

グローバル化(ヒト・モノ・カネ・情報などが国境を越えて行きかうこと)が進み、ナショナリズム(「私は国民だ」という意識/「自民族中心主義」とも訳される)の意識が高まってきた。そのため、ナショナリズムと政治との関係は切っても切り離せない関係となった。

今回はナショナリズムの政治学的な視点を紹介する。

まず、ナショナリズムの定義を紹介しておく。

ナショナリズム・・・「言語・文化・宗教・エスニシティ(民族)・など何らかの属性を共有する同質的な人間集団」と「国家が管轄する人々の全体」の一概を志向する思想・運動
つまり、「同じ」という感覚の下で集まっている集団と国が管理の対象としている人々が持つ考えや行いのことである。

「私は国民だ」という意識はなぜ起きるのか

「私は国民だ」という意識(ナショナリズム)はなぜ起きたのか、政治理論では主に2つの考え方がある。

①エルネスト・ルナン
ナショナリズムの意識は、自分が「国民だ」と選択することで出来上がるという。
例えば、「自分は日本人」というナショナリズムの場合、私たちは「自分は日本国民(日本人)である」と決定しているから、自分のことを自信をもって「私は日本人だ」ということができる。

②ヨハン・ゴットフリート・フィヒテ
ナショナリズムの意識は、言語や文化が一緒であるから、親近感がわいて出来上がるという。
例えば、「自分は日本人」というナショナリズムの場合、「自分は日本語を話している」と自覚し、周りにいる日本人も日本語を話す。したがって、同じ言語を使っている親近感で「みんな同じ日本人(民族)なんだ」という意識が湧いてくる。

しかし、この考え方では「なぜグローバル化でナショナリズムの意識が高まってきたのか」が説明できない。よって、次からは、どうやってナショナリズムの意識がつくられてきたのかを説明する。

どうやって「私は国民だ」という意識がつくられてきたのか。

どうやってナショナリズムがつくられてきたのかに関して、政治理論では主に4つの視点がある。

まず、これらの共通点(前提)を話すと、どれも「国民国家は近代にできたもので、ナショナリズムも近代になって強まってきたものだ」ということである。

①アーネスト・ゲルナー
近代になって、産業化が進んだことで平等になり、学校が出来たことで識字率が上がった。だから、国民として意識しやすい環境となったという。
(例:江戸時代、寺子屋で行われた教育によって識字率が高かった。あの時代に日本は開国をしていたら、ナショナリズムが他国よりもついていただろう)

②ベネディクト・アンダーソン
多数の本が出回った(出版)ことにより、これまでなまって使われていた言語(方言)が一つに統一された。そのため、「心ではみんな一緒なんだ」という国民の意識が身に付いたという。
(例:宗教戦争に用いられた活版印刷によって意識が身に付いた)

③エリック・ホブズボーム
嘘でも「我々民族は長く続いているのだ」という意識を広めたことにより、「我々は偉大なる子孫だ」という意識が身に付いたという。
(例:中華人民共和国の「中国は1000年以上続いている」という捏造で中国をまとめている)

④アンソニー・スミス
ホブズボームは「『我々の民族は長く続いている』という感覚は近代から新たに出来上がった」と主張するが、スミスは「『我々の民族は長く続いている』という感覚は昔から(前近代から)あったという。その前からあった感覚を掘り起こしたのが近代であると主張した。

この4人が言いたいことは「国民意識(ナショナリズム)は政治に必要とされ、政治が生み出したものである」ということである。

「国民」という意識は近代と現代を比べてどう変わっているのか

近代:ナショナリズムによって、国民を統一させ、国家が国民を守る雰囲気があった。
つまり、近代では「国民」の範囲を広げていくために使われる言葉としてナショナリズムが活躍していた。

現代:国家は国民を守らず、自己に責任を押し付けるようになった。そのため、国民は「明日、国家に見捨てられるのではないか」という心配から、ナショナリズムによって人々を追い出していくことで余裕を保とうとするようになる。
つまり、現代では「国民」の範囲を狭めていく(人々を蹴落としていく)ために使われる言葉としてナショナリズムが活躍している。

国民としての意識は必要か?不要か?

よく、戦争でもナショナリズムが使われ、スポーツなどでも目立っているという指摘がある。では、ナショナリズムの意識は不要なのか?
ナショナリズムは人々を親密にし、団結力を強くする。では、ナショナリズムの意識は必要なのか?
ここからは必要か不要かをわける4つの考え方を紹介する。

①内在的擁護
ナショナリズムは、「私は誰なのか」というアイデンティティ(自己)を決める最も頼りになる要素として機能する。だから、自己を確立させるナショナリズムは必要であると主張する。

②内在的擁護
ナショナリズムは、国家が外敵から守るとき(安全保障)に必ず必要となる精神である。また、国民が協力し合うことで、国がより良い社会保障を提供することができるようになる。さらに、人々を平等にする機能も持っている。だから、国家の機能を円滑にするためにナショナリズムは必要であると主張する。

③内在的批判
ナショナリズムは、個人がやりたいことを制限する可能性がある。また、暴力を使って少数派(マイノリティ)を外へ追い出すか、差別するかを行う。だから、個人や自由、少数派に被害を及ぼすナショナリズムは不要であると主張する。

④外材的批判
ナショナリズムは国家を守るのではなく、人間を守るべきだという思想を邪魔するものだ。また、国境を越えた社会保障の機能をマヒさせている。加えて、国境を越えたグローバルな問題(地球温暖化など)の解決を妨害している。だから、世界を分断するナショナリズムは不要であると主張する。
(ナショナリズムがなくてはならない思想(ファシズムや共産主義)と同じように批判する立場もある。)


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