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比喩のロマンチシズム

 

「蝋燭はさ、炎が主役だと思うでしょ」
真っ黒なスーツを着て暗闇に溶け込んだ田崎のおじさんが、仏壇の側に立てた蝋燭に火を灯しながらそう言った。隣の座敷からくすねてきたスイカを頬張りながら、私はとりあえず頷く。

「でも違うんだよ。炎って奴は大きな顔をしてるけど、燃料がないとすぐに消えちゃうんだ」

しゃく、口を動かすと、甘い水と果実の塊が喉を通り抜ける。真っ暗な仏間に蝋燭の炎が揺れている。隣の座敷から酔っ払い共の声と、ガラスの向こうから波打つような何百の虫の声が、まるで合唱のように聞こえてくる。
それなのにこの部屋の中だけは、まるで海の底のように静かだった。

「蝋燭の場合はね、蝋がその燃料なんだ。自分の体を溶かして、炎を出来るだけ長生きさせるのが、蝋の生きる道なんだ。それ以外に、蝋も炎も生きられない」
私の相槌がなくとも、おじさんはとても楽しそうに喋って、そして炎を見つめた。
喉を止めどなく下る甘い洪水。闇にちらちらと光る炎の光は、宇宙に浮かぶ恒星をはるか遠くから見たような、そんな悲しさを持っている。
ふとくるぶしを見る。
そこでは一匹の蚊が、今まさに針を突き立てようとしていた。私は手を振り上げ、そして下ろした。丸く縮こまったおじさんの背中から伸びる影を見る。
この部屋にこれ以上の死はいらない。もう居ない誰かと自分とを、炎と蝋燭に例えるロマンチシズムを私は理解できなかった。詩人というよりは馬鹿だと思った。
しかし、炎があんなにも小さく光っていた。おじさんの背中にあんなにも影が差していた。
だから私は満腹で飛んで行く蚊を尻目にして、おじさんの隣に座った。それが何か、柔らかくて馬鹿でかわいそうでそして強い、世界にある一つの道理への礼儀だと思った。
そして私は完全な闇が世界を包むまで、おじさんの隣で、小さな炎と蝋燭を見つめていた。

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