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心の余裕


優しさは当たり前にあるものではないと思うこの頃。

小さい頃から、人には優しくしなさいよと言われてきた。嫌なことをしたら全部自分に帰ってくるからね、と。

炭治郎も、人に優しくすると巡り巡って自分に返ってくると言っていたし、お世話になった職場の上司も、みんな優しいと思えるのはあなたが優しいからだよ、と。


そもそも、優しさとは人によって解釈が違うけれど、私の思う優しさとは相手の気持ちを考えて行動することだと思う。

悲しい時は、隣に座って話を聞いてあげる。

暑い時には、飲み物を買って渡してあげる。

相手が大変な時は、手を貸してあげる。


優しさは行動だけではない。言葉にも現れる。


大変だったね。

よく頑張ったね。

偉いね。

寒いから、お布団しかっりかけて寝なね。



優しい人の特徴は、いつでも余裕があってめったに怒らないところだ。私も人に優しくしようと思って生きているけれど、自分に余裕がないと難しい時がある。

イライラしてる時とか、悲しい時、落ち込んでいる時。

自分のことしか見えていないから、相手のことを考える余裕がないのだ。

だから、いつも機嫌のいい人は自分の機嫌を取るのが上手くて、やるべきこととやらなくていいことの境界線を引くのが上手い。背負わなくていいことや考えなくていいことから意識を離すコツがあるのかな。いい意味で適当だから見習いたい。

私は、いつも周りを優先して言葉をかけていたから、自分がいっぱいいっぱいの時に優しい言葉をかけてもらうと、崩れ落ちそうになる。

小さな優しさにも涙目になり、全部投げ捨てて、その人に縋りたくなってしまう。

年齢を重ねるたび、人の優しさが心に染みるようになってきた。それだけ人と関わる機会が減ったのもあるし、自分の限界を超えて頑張りすぎているのもある。


自分にも人にしているように優しい言葉をかけてあげたい。
もっと自分を肯定してあげたいし、辛い時はそっと寄り添って、一番の理解者でありたい。

前にTwitterで見かけたのは、心の中に全肯定のマツコデラックスかikkoさんを住まわせればいいらしい。

嫌な人がいたら、「どんだけ〜」と言ってやればいい。

むかつくことがあったら、「背負い投げ〜」と思えばいい。

生きていればとんでもない人と出会ったりするけれど、きっと育った環境も違えば性格も違う。

所詮、他人は他人で考えていることなんてみんな違うのが当たり前。

自分の性格や人格を否定されたとしても、それは他人の考えであって事実とは全く異なるから、どうか気を落とさないで欲しい。(それってあなたの感想ですよね?と言ってやればいい)

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