日本文化の味わい『般若書体』
はじめに
地域ブランド『薩摩のさつま』の認証品を生み出す作り手の方を訪問し、商品が生まれた背景や風土をお届けするシリーズ。
今回お話を伺ったのは、毛筆フォント『般若書体』を作る株式会社昭和書体 代表取締役会長 坂口茂樹さんです。
毛筆による味わい深い書体の数々。有名なゲームやアニメでも使用される書体は、実は人が一文字一文字を丁寧に手書きで書いているという、気が遠くなるほどの職人技による賜物です。手書き文字をフォント化して世に残すという行為。その背景にある想いとは…。
聞き手:青嵜(以下省略)
さつま町で書体作りを営んでいる昭和書体さんの認証品『般若書体』。パソコン等でフォントに触れる機会は多いものの、その制作の現場を目にする機会はなかなか無いと思います。
その認証品のお話を伺う前に、まず昭和書体さんの歴史的な背景からお伺いしたいのですが、元々の始まりは看板からだったのですか?
そうです。看板屋から始まりました。
僕が小学5年生の頃から父がやっていたんですけど、高校を卒業してから上京して、Uターンで帰ってきたときに父と交代して家業を継いだ形になります。
それから5年くらい経ったときに株式会社 広栄社として法人成りしました。
ただ、地方にバブル崩壊の影響が4、5年経ってから来たときには、もうこれは大不況だなと。仕事もないけど、新しい仕事をやろうかと思うと資金はいるし人はいるし。
その当時は、看板事業以外も色々とやっていて従業員さんも最大20名くらいいたんですけど、事業を縮小していって最終的には私と親父と従業員さんの3人だけになったんです。
それでも何とかして仕事の中身を変えないといけないなと思って、その時にちょっとだけ始めていたのがフォントの仕事だったんです。
もともとフォント制作の仕事はやったことなかったんだけど、ある日、取引先が事務所を訪問されて話をしていたのですが、その部屋に父がずっと文字を毛筆で書いていた巻物がたくさん積んであったんですよ。
それで取引先の方が「これは何ですか」って言うから、広げて見せてね。
そしたら、「すごいですね!こんな文字書ける人はもういませんよ」って言うんです。
昔は手作りで看板を書いていたけど、機械化が進んでコンピューターで文字を書くようになったから、そもそも文字を書ける人が少なくなってきているんです。
ただ、活字系の楷書体や行書体はたくさん出ているけど、毛筆系はないよねとか、そんな話をした中で、この巻物の文字をフォント化したらいいですよって言われたものだから、当然「やりますよ」って言ってしまった。
じゃあ、出来上がったらうちで販売させてくださいって言うので、「真っ先にお願いしますよ」なんて言って話してお帰りになったわけ。
それからですよ。フォントのことを調べてね。
そうしたら、残ってた社員の竹島君が結構パソコンに詳しかったもんで、みずから動いて探し始めたんです、フォント制作ソフトを。
とうとう見つけたんです、無料で使えるソフトを。もちろん本格的に使うようになれば有料になりますよ。それで今まで父が書いていた巻物を引っ張り出してスキャンしたりして、それから約半年かけてフォント第一号が出来上がったんですよ。
ついに完成したのですね!
そうなんです。ただ、やっと出来上がったもんだから売れたらいいなと思っていたけど、手作りのホームページだけじゃ全く売れないわけですよ。
すると、先ほどの取引先がパッケージ化してくれて、全国の看板屋さん向けで売ったら数百万と売れたんです。
売れるじゃん!いけるいける!ということで、じゃあ、これを持って新しい事業に入っていこうと。そこからです。真剣にフォント制作を事業として始めたのは。
看板の会社は廃業して、新規事業を始めて波に乗ったら新しく会社を起こそうと考えました。
それで、展示会に行ったり、広報とかファックスをダイレクトで送って反応を見るとかやって。そうしたら少しずつ注文が増えてきたわけなんです。
そしたらある日ね、1本の電話がかかってきて。
それが、ゲーム会社のコーエイさん(現 コーエーテクモゲームス)だったんです。
うちはその当時、広栄社という会社だったから、「なんか縁がありますね」って。
それで、「なんですか」って聞いたら、「ゲームの『戦国無双』を作っているからフォントを使いたい」と。
でも、私はピンと来なくてね。ゲームなんて知らないから。
でも、息子がね「あれすごいんだよ」って、「日本で一番売れてるかもしれない」って言うものだから「じゃあやろう!」と。
そしたら、色んなところから問い合わせが来るようになって。
当時、取り扱っていた種類は4,5書体だったんだけど、さらに本格的にやるには、元字となるものを書いてもらわなきゃいけない。
ただ、それを父に毛筆の文字を「フォントにする」と言っても、「フォントって何やねん」と分からないわけですよ。
それで、「まぁ、分からんでいいから書いてや。全部書いてね」って言うと、1種類のフォントで7,000文字が必要なので「全部書くのか?」って言うのですが、7,000字を書いてしまうんです。
好きなんですよね。書くのが。
朝から晩まで書いてるわけ。もう1年中。
それで、少しずつフォントの種類も増やして、営業している間に妙にお客さんが増えてくるわけですよ。
それまでは息子が社長の個人事業だったのを法人化しようということになってね。
社名をどうしよう、横文字じゃ毛筆書体のフォント屋には似合わない…で考え着いたのが、毛筆を”懐かしい文字”として広めたくて名前を「昭和書体」と付けたんですよ。
それで息子が社長、僕が会長でスタートすることになって、父は会社と契約して専属書家という立場で関わってもらっていたんです。
それで、2019年にうちの書体を使ったアニメが放映されたことで、流れがぐっと来たわけですよ。
あの「鬼滅の刃」ですね。
本当に大ブレイクした作品でしたね。鬼滅の刃は拝見していたので、その書体がさつま町で作られていたことにとても驚いたことを覚えています。しかも手書きの文字という…。
ちなみに、その1書体につき文字が7,000字あるというお話でしたが、手書きで、しかも同じスタイルで7,000字を書いたということですよね?
気が遠くなる話ですが、1書体を作るのにどのくらいの時間かかるんですか?
時間はね、年単位ですよ。
作ったフォントは父の文字だけではないので、全部で92書体くらいがあるんですけど、その中で父が書いた文字は65書体くらいを書いてもらっています。
同じスタイルで書き続けるっていうのは想像がつかないのですけど、当然ですがスタイルが途中で変わってはいけないわけですよね?
変わったら全部まとめてポイです。
7,000字書くまで、書体のイメージを変えちゃいけません。
だから、例えば400~500文字を書いた頃に、最初の文字を見ると「ちょっと変わったな」という話になって、「ここまではなんとかいいけど、これはもうダメだな」とか言うこともあるんですよ。
でも父は文句を言わないんです。
「なるほどね」と。
それで書き続けていると、もうあと200~300文字くらいで終わるかな、という時に電話がくるわけ。
「もうそろそろ終わるぞ。次は何を書くか?書きたい文字があって頭に浮かんでるから見てくれ」って言うんです。
それで見に行って「これいいよな。これで行こうか」って話になって、また7,000文字。
まぁ、ちょっと異常でしたね。
求める私も異常だったけど親父もね。それに応えてくれたから。
そのように続けてこられたことで、書かれた書体数としては65書体があるとお聞きしましたが、なぜ色々な書体がある中で般若書体を認証品として登録されたのですか?
それはね。僕が好きだからです。
そもそも文字っていうのは読めなきゃダメでしょ。
だから、”読める字”っていうのにこだわって作っています。
例えば、達筆で素晴らしい文字を書かれても、読めないとフォントとしては使えないんですよ。
だから、父も「俺は読めない字は書けん、看板屋だから」と。
僕は般若書体が大好きです。
凛々しくて優しい字で、読みやすくて。
どんな長文でもね、違和感なく読めるんですよ。
文字には人柄がでますよね。手書きの文字であれば尚のこと。
看板から始まり時代の変化と共に現在はフォントを取り扱われていますが、一環しているのは手書き文字の伝統のように感じました。
その時代の変化という意味でも、薩摩のさつまには次世代の支援といった未来へ向けた取り組みも含まれています。その"未来"という今後に対して、さつま町や子どもたち、その他のことでも結構ですが”想い”といったことはありますか?
あのね、未来って言うとうちはね、今の段階で今の状態がねボツボツいったらいいと思っています。我々の職業人として考えたときね。
でもね、親父が字を書いていて、次はとなると今度は私が書かなきゃいけないんですよ。
でもこんな何千個も書けない。
才能が10だとしたらね、僕はおそらく3ぐらいしかないと思う。
あと7はね、僕はどんだけ努力しても辿り着けないと思う。
親父の場合はもう書くということを天職としてね。
もう寝ても覚めても頭の中がもう筆を持ったりするような。
そこにはなれないし、親父はそれができた。
親父は若い頃からそうなんですよ。
自分の”こうしたい”というところは一生懸命にするけど、もう他は知らん顔なんです。
だから、僕がUターンで帰ってきたときには、看板屋さんという仕事はしてるけど、もう生活は大変な状態。看板屋としての腕はあったのかもしれないけど経営力はなかった。
そういう風に偏っちゃうわけだから、僕は経営のほうをやったわけですよ。
そうやってきて、なんとかつないできたんです。
でも、親父が亡くなった今、私自身は文字を書かないから、書くことを専門としていて自分の文字を私たちと一緒に未来に残したいと思っている人がいたら、手を組んだらいいじゃないですか。
うちのホームページにも募集のことを記載してあるのだけど、問い合わせが来るわけです。
それで問い合わせが来たら「一応、見せてください。ただ、せっかく一生懸命書いてくださる7000文字ですから、無駄にならないように、僕らの判断で採用するかしないか決めますからね。」と言うんです。
それで見せてもらう。
今回決まった方も面白い文字だったんですよ。「あっ。これ面白いな」って。
そんな方が今はね、4名いるんです。
今後そういう風にして繋がって一緒に作ってくれる人を増やしたいんです。
うちだけで終わりたくないんですよ。
うちがそういった毛筆関係のフォントを作りあげて、販売までできるように、その人たちの文字を後世に残せるような、そんなシステム作りをしようと。それが僕の将来に対する想いです。
それでいずれは、国内で毛筆フォント協会を作りたいんですよ。
毛筆フォントに拘ったやつです。
看板屋さんとして毛筆でお仕事をされたところが出発点で、未来においても毛筆フォントの協会をというお話からも毛筆へのこだわりを強く感じるお話だと思ってお聞きしていました。
古くて新しい毛筆フォントにそこまでこだわる理由、なぜ未来に残したいと思われるかについお聞きしても良いですか?
毛筆で始まったはずです。日本の文字っていうのは。
そこから生まれたものが、掛け軸であったり、紫式部が書いたものであったり。
日本文化の始まりは毛筆だから。それを残したいんですよ。
まだまだ、7,000文字書ける人は世の中にいるかもしれない。
そういう人たちを掘り起こしたいじゃないですか。
それを最後の目標にしています。
今日は貴重なお話をありがとうございました。
こちらこそ、ありがとうございました。
※取材/撮影:青嵜 直樹・田口 佳那子
(さつま町地域プロジェクトディレクター)
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