見出し画像

縁と言う呪縛から逃れる

社会の中で形成された組織との縁は、自分の時間を奪われてしまう色がとても濃いと感じ、離脱をしたことは以前のコラムに綴ったわけだけれど。出会ったときは、こんなに素晴らしい出会いはない!と思った人との縁なのに、長い年月が経ってみると、とんでもない縁だったということは多々ある。人と人との縁という不思議なエネルギーとはいったいどう理解して行けばいいのだろう。。。。

毎朝5時には起きて、犬の散歩をして、家族の朝食を作り、パートや、家事、負目を感じながら僅かばかりの余暇をすごし、夕方になればまた犬の散歩、夕飯の支度、家事をして就寝。。。そんな毎日を楽しそうに過ごす。私は絵に描いたようような模範的な良妻賢母だった。そんな私に5年前、夫は別れを告げられた。私自身、”家を出て楽しく暮らす”と言う夢から覚めて、そんなことは有り得ないと全否定するほど、夫の理不尽な言動に憤慨はしていても、離婚するなんて決行の一年前は思いもしなかった。夫は謝ってくれた。けれど申し訳ないが、慰謝料等一切要らないからここから出させて欲しいと押し切って出て来た。我慢が美徳として育って来た私の"離婚なんてありえない"と言う体裁を優先する概念より。同じ人間として生まれ愛し合って結婚したのに、友達と出掛けるのも遠慮しながら出掛け、帰ったら家に入れてもらえない様な力関係が、なぜ発生しているのだろう…こんなのおかしい。このまま一生こうして過ごすのは苦痛だ、嫌だ!"と言う魂の叫びの方が、現実として引き寄せる力が勝ったのだ。魂の願うところに導かれ、いまがある。次の展開はどうなるのだろう。人は魂が求めている場所へ導かれて人生を漂う。

『縁は尊いのか』

出会えた時、良いと思っていた"縁"も。時とともにと変化してくるもので、永遠に良い関係でいられるとはかぎらない。別れた夫とも、"縁"があったから出会ったのは確か。"縁"は尊いもの、切るのは簡単、繋ぎ続けるのは容易でないことと言う考え方が存在していて、大切にしなければならないものと思いがちだけれど。人生の中での様々な出会いが苦しみと化した"縁"には、「出会えた意味」など考えずにさっさとその場から離れる方が良い。むざむざと不幸にしがみ付くことも無い。誰かや、何かのために自分を抑えて生きるのは美徳でもなんでもない。「誰かのために」の誰かとは、例えば子供であったり親であったりは、自分を抑えても守りたいという場合もある。しかし、その誰かの命にかかわる以外、その他は余程でない限り私の場合発動しない。何故なら自分のために我慢してもらった誰かは、そうしてもらったのだから自分も自らを抑えて誰かのために。。。と我慢の連鎖を繰り返すだけだから。縁に縛られて生きることは、誰かの人生も縛ることになるのではないかと思う。

『縁がもたらす人生のグラデーション』

縁はある時を境にスパっと切れるわけではない。良妻賢母の私が、まさかの離婚に踏み切れたのは、心のどこかで望んでいたことが少しずつ色味をおびて来たとき、一人で我慢していることに耐えられなくなり、誰かに愚痴をこぼすようになる。そして、次のような意識の過程を経る…どう考えても絶対無理→無理だよね→(この辺りでは周りは離婚に否定的な人としか会わない)出来なくないけど無理→(この辺はネットや誰かの話しで離婚して良かったという症例を見聞きするようになる)→もしかしたら出来るかも→自信ないけど出来そう→(そしてこのタイミングで、なぜか背中を押してくれるような人が幾人か現れる!)→多分出来る→やろう!!こうして意識が変わる過程でも、魂の望みを叶えるために必要な人との新たな縁が現実に引き起こすきっかけの大きな一因になっている。縁は、人生の望む景色を引き寄せるためその時必要なエネルギーを伴っているように思える。

『夫婦円満は我慢が秘訣』

「夫婦円満はお互い我慢する」そんなことで上手くいはずがない。我慢から何が得られるのだろう。我慢は我慢を引き寄せる苦痛の連鎖を作るだけ。我慢をして僅かばかりの表面的な幸せを感じることが出来ると、今度は他者に対しても我慢を強いることになる。そんなことあって良いはずがない。我慢が秘訣と仰っり仲睦まじく笑うご夫婦は、我慢ではなく、「諦めている」と言い換える方がしっくりくる。"諦める"とは"明らかにして見る"と言う意味があり、自分とは同じでないのが他者であると認め、どちらかが押さえつける力関係は存在せず、お互いを認め合い、持ちつ持たれつ支え合いバランスが良い関係なのだと思う。力関係が発生する根源は、相手に対して過剰に期待するエゴ(利己主義)による支配欲や執着ではないかと感じている。其々が考えを持ち、お互いここに生まれて来た意味のある一人では生きられないか弱く尊い存在なのだと言う認識があれば力関係など生まれる筈がない。残念ながら、この社会ではこの問題は根深く、ハラスメントの連鎖が起きているのが現状だ。一人一人が自らの概念を断ち切り声を上げ行動を起こさなければ。。。政治や他の何かに頼っているうちは、リセットするのは難しいと思う。

画像2

『縁と糸』

縁に発生する感情の縺れは、糸のようなものに感じることがある。私は以前、絣と言う技法のかなり厄介な先染めの布の染織を学んでいた。絹糸は細く絡むと大変なため、糸仕事は経糸であれば、細い一本約9mの糸の素性が乱れないように整えて全ての工程を行わなければ織物にならない。「運命の赤い糸」という言葉があるように、魂のどこかで繋がっているから出会うことが出来、決して切れるものではなく離れたり近づいたりするものではないかと思う。糸はもともと素性が通っているもの。どんなに乱雑に絡み合っている様でも、そっとそっと解せば必ず解せるのに、下を潜らせたり、上を通したり、無理やり引っ張ったりすると、余計に絡まって二度と解れなくなったり、切れてしまったり、切るしか方法がなくなってしまったりする。人の縁が拗れたときに発生する感情によく似ている気がする。私は娘を連れて来ることが叶わなかったので、自分が食べていける分だけ当面は収入を得られれば良く、夫に慰謝料を請求をしなかった。お金で解決出来る問題ではないと思ったし、そこに生まれた良い思い出はそっと持って出たかった。とにかく、これ以上の感情の拗れを発生させずそこから離れたかったのだ。どうして・・・と時々言われることがあるけれど、あの時奪わなかったからいま、本当に良かったと思える関係になれたのだと思う。しかし、離れたいのになかなか相手が納得せず、あーだこーだ言い掛かりをつけられた縁は、本当に記憶から消し去りたいものになっている。

『離れた縁は今』

これまで私と何らかの理由で縁が離れてしまった人々は、人として憎むべきところは何もない。ただ、社会が作り出した概念による力関係で押しつぶされる前に、縁から遠ざかるしか仕方がなかったのだ。今、こうして誰かの圧力から逃れ、雇用から外れ、お金の概念を手放すことで変化した環境の中での物事の捉え方、感じ方で過去の様々な出来事を思い返すと、家計の管理もあまり考えなしで適当だった。また、ネットワークビジネスに手を出したりしたのは、自由を主張する反抗心からやったものとはいえ、あまりにも短絡的過ぎる行為だったと、私も存在していた甘えやエゴを改めないといけなかったところを素直に認めることが出来るようになった。義母に対しても、今はあの憎しみのような恐ろしい感情は消え去り心からの温かい言葉を掛けられるようになった。夫との縁を遠ざけることでフェアな力関係になり、あの頃が嘘のように自由に言葉を発し楽しく会話が出来るようになった。その他の離れた人達もそうだ。思い出したくもない事があっても、あのまましがみついていたら今頃…と思うと恐ろしく、本当に良かったと言う思いと、その人の幸せを祈る感情しか無い。縁の呪縛から逃れ、そっと離れた場所で自分が幸せだと感じた時、初めて心から相手を許し相手の幸せを祈ることが出来るようになれるのだ。

『ご縁に感謝』

とは言え、どんな時も誰かとの縁によって私は支えられており、やはり、それはどれも尊いのだ。お金への執着を手放して、なおさら人の心の温かいエネルギーを感じることが出来る様になった。これは、驚きのこと。日々一人で過ごしている私は、Twitterの中のやりとりでさえ心から「有り難う」と思えるのだ。本当の幸せは人との損得勘定なしの互いを思いやるコミュニケーションの中にのみあるのかなと思う。縁とは本当に不思議なエネルギーだ。こちらが呼び寄せるのか、やってくるのか。魂の願いは引き寄せる力があり、不必要な縁を遠ざけ、必要な縁を近づけ、ものごとを良い方向に進めることが出来る。縁が遠ざかるネガティブなエネルギーは、それと引き換えにポジティブなエネルギーに入れ代わる。人体も然り、地球上の生物の細胞は新陳代謝を繰り返し他の生物に依存しながら生きている。手放したとき、新しいものが生まれる。縁というエネルギーもおそらくそうであろう。そして、その関係をネガティブにしない為に大切な事は、エゴを手放し「お互いが自立して有機的に依存している」ということ。なかなか思い切るには勇気が要るけれど、思い出に執着せず、修正が効かないネガティブな縁に翻弄されず恐れずに手放し、本当に魂が求める場所で生きるために入れ代わる縁に支えられ、人生というの限りある時間を、私ではない誰かの幸せを心から祈り、巡り会えた縁に感謝しする。価値のある心豊かな時間を過ごしたいと思う。

毎日稲藁に触れることで心を保ちながら、孤独の沈黙の中で色々なことを考える。未来の平和のこと、生きる意味、人権のこと、地球環境のこと、この社会の根っこに蔓延る様々な問題の根源。こんなに人生に真剣に向き合えた事はない。この藁との縁にも感謝している。その稲藁に生命を吹き込もうと思い、それがもうすぐ紹介出来そうです。

読んでくれてありがとう!りんごのコンポートをどうぞ

画像1

皆さんとのご縁に感謝。これからの皆さんが人生を楽しむための素敵なご縁と巡り会えますように╰(*´︶`*)╯





2020年12月〜この搾取とハラスメント、地球環境の破壊を容認する人の経済活動に薪をくべることをやめ、人々が自立して支え合う新しい経済や繋がりを創り出す目的で活動している宮崎県のひょうたん市場作りに参加予定。テントで寝袋のキャンプ暮らしになります。サポートで応援資金を募ってます!