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【SF小説】兵器物語 -序 - 新宿アリーナ ⑤ 最終回
9.昇天
薄暮の空に月が出た。
新宿中央公園にある滝の上に立ち尽くし、僕は煙を上げる西新宿一帯を眺めていた。
満身創痍。
手にした多目的機能弾発射装置は機能も形も失い、僕の爪も牙も、酷使や強力な酸によってボロボロだ。
今、敵襲を受けたらさぞや容易く討ち取られることだろう。
つい、数分前に終わった戦いでは、あまりに多くのことが起こった。
不確定フィールドの消失によって、あたりはごくありふれた因果律に支配された。熱力学の第二法則に従って次第に炎は勢いを失い、新宿副都心には熾火のくすぶる地獄のような光景が残された。
炎はこの公園にも波及していて、さっき母子を置いたあたりに生えていた樹木も、炎に舐め尽くされただの炭となりかけている。
あの二人は無事に逃げおおせたのだろうか……
あの「家族」はどこへ行ったのだろうか……
僕が彼ら「家族」との交感状態に陥り、クーガーの制御を忘れている間に、ユラは機を操縦して敵クーガーから離れ、都庁舎に取り付いて地上へ降下していた。
その直後、ユラ自身も僕たちとコンタクトし、「家族」に取り込まれそうになっていた僕を引きずり戻したのだ。
だが、彼らは僕と完全に切り離されたようには思えなかった。
彼らの一部が、自分の中にいるような気がする……
それだけでなく、ユラも僕を取り戻そうとした時に僕と繋がり、そのままの状態になっている気がするのだ。
一つとなって……
不確定フィールドの重なり合いが生んだ、この奇妙な現象。
僕と「家族」とユラ……それらが渾然一体となってこのクーガーに量子レベルで浸透している。
こんな奇態な存在となった「僕たち」を、星雲人たちがどうするかわからない。
うまくすればすぐにも、僕たちを迎えに揚陸艦が降りてくる。
そうでなければ、対星攻撃艦が降りてきて、僕たちは消される。
それも間も無く決まる。
物思いにふけっていると、僕の頭部装甲キャノピーが開いた。
僕の騎手が立ち上がり、月明かりの元で深呼吸をする。
コクピットのモニタカムが捉えたその全身像に、僕は思わずにいられなかった。
きれいだ……
ユラの姿を目の当たりにするたび、僕は忘れかけていた憧憬と切なさを掻き立てられる。
人間よりやや小柄な姿は、本で見たエルフのようだ。
足元まで伸びた銀色の長い髪が、身体にピッタリした戦闘用心体同期スーツを舐めるようにうねる。やがてその髪はすうっと短くなり、小さな頭部にボブカットの形で収まっていった。
髪の毛ではないのだ。
クーガーのような機械生物とのインターフェースとなる、高次元神経束。
どんなに美しかろうと、彼女は人間でもなければエルフでもない。
この宙域を支配する恒星間文明種族、星雲人の戦士ユラ・ノヴァ……
「どうだった?」
僕は聞いた。
ユラは今回の強行偵察行の顛末を、所属する〈配戦力極点〉に報告していたのだ。
橙色をしたビイドロの目が、モニタカムを真っ直ぐ見返す。
「揚陸艦が迎えに来る」
よかった……
「よかったと思ってるか?」
ユラの声は冷たかった。
「帰還し次第、私たちは徹底的な検査を受ける。お前も私もだ。後のことはその結果次第。多分、外縁宙域戦線に送られるだろうよ」
やっぱり、ただ僕たちを使い続けるわけではないのだ。
検査の結果、二人まとめて処分される可能性もまだ残っている。
「……僕のせい、なんだね?」
「そうだったら、まだ話は簡単だ……」
ユラの声に疲れが滲み出ていた。
「お前が作戦行動中に勝手な行動に出たのも、命令を受け付けなくなったのも、〈配戦力極点〉では不確定フィールドの特殊性のせいだと考えている。あの敵が使っていた量子因果干渉脳は全く新しいタイプだったらしい。クーガーの念気動格に…それだけでなく騎手である私の意識にも干渉してきたからな……」
ユラもあの時のことは覚えているのだ。
「あのフィールドの中で起こったことは……全て現実だよね。ユラが僕を呼んだのも現実なんだよね」
僕には、どうしても確かめたいという思いを抑えられなかった。
「ユラとも、あのクーガーの中にいた連中とも、まだ切れてない感じがするんだ。でも、あいつらの声はもう聞こえてこない。だからユラに聞くしかないんだ。君自身はどうなの? まだ僕の中にいるの?」
「わからない……わからないよ……」
不意に、ユラの言葉からとてつもない不安感が溢れ出した。
「この戦いがどこへ行くのか……私とお前が一体何者になったのか……何もかもが不確かで不安定な現実だよ。ただ戦っていればいい、それだけの兵器になれればいいのに……」
ユラの言葉は表向き僕への皮肉のようでありながら、実際は本気でそう思っている切実さが満ちていた。
こんなにも不安そうなユラを見たのは初めてだった。僕にはそれをどうにもできないと分かっている。どうにもできないまま、自分の気持ちがそのまま取り留めのない言葉になった。
「不確かなものしかないわけでもないでしょ。あの時、僕を呼んで引っ張ったユラの声は確かな強さがあったよ。僕は君といたい。そうじゃなきゃ死んでしまうけど……それだけじゃなくて、君もそう感じていて欲しいと思っているから……」
不意にユラが戦闘用心体同期スーツの気密ファスナーを解いた。
まるで蛹を脱ぎ捨てる蝶のように、ユラは白磁の名品にも似た白い肌を、月明かりのもとにさらした。
一糸纏わぬ妖精が、僕の頭の中から生まれたかに見える。
妖精はそこから中空へ飛び立とうとするかのように、一歩前に踏み出した。
僕はユラの体が落ちないように、そっと手を伸ばした。
いや、落ちないようにするためじゃない。
触れたい……
この美しい異星人と触れ合いたい……
その渇望こそ今確かなものだった。
ユラが僕の手にその身を預けてきた。
僕は壊れやすいガラス細工の像を扱うように、そっとユラの体を抱いた。
「ヒビキ……少しでいいから……こうしていて」
ユラの声は震えていた。
星雲人は泣かない。初めから涙腺が無いのだ。
だが、僕は僕の中でユラが泣いているのをはっきり感じた。
ユラの中で流れる涙を感じていた。
星雲人は泣かない。
そして、本来は戦うことも殺すことも出来ない。
極めて静逸で論理的な精神を持った知的生命体。
彼らは戦闘用心体同期スーツで闘獣機と接続し、戦意のフィードバックを増幅させられて、はじめて戦闘に参加出来る。
戦闘用心体同期スーツを脱ぎ去ったユラは、精神的にも裸同然だった。だが、そうして本来の自分をさらさずにいられぬほど、不安が募ったのだろう。
そして僕には、断たれたはずの彼女とのつながりが一層強く感じられた。
確かなのは、僕自身も彼女を強く求めていること。
それはどんなシステムのつながりとも関係ない、愛しさからくる渇望だった。
不確かな世界の中で僕を強く求めたユラ。
自分の寿命も省みず、いつまで続くかわからない超加速状態に飛び込んだユラ。
削られた彼女の寿命とともに残された時間を考えると、切なさで胸が苦しくなる。
彼らの寿命はわずか五年。
そして、僕らの兵器としての耐用年数は数百年。
ユラの命が尽きた時、念気動格としての僕も死ぬ。
だが、機械生物としてのクーガーはリセットされ、新たな騎手と念気動格のもとで生き続けるだろう。
だが、もし僕とユラが一つとなってクーガーの中に生き続けられたら……?
壊れやすいガラス細工の人形のように僕の腕に抱かれたユラの体を、一条の光が照らした。
上空にはいつしか二つ目の月が現れていた。
巨大な人工の球体、星雲人の揚陸艦。
その最下部から、ヤコブの階段のように牽引ビームが照射されている。
不確かな明日……不確かな未来……
不確かな戦いが待っている、不確かな宇宙に向かって……
僕とユラ・ノヴァは昇って行った。
兵器物語 -序 - 新宿アリーナ
完
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