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銀河皇帝のいない八月 ㉖

第四章

1. ユリイラ=リイ・ラの伝説

 さかまく大海原に展開する大艦隊……

 それは、水面から大きく離れた中空に浮かんでいた。
 一際巨大なゼラノドン級旗艦を中心に、ハイタカ級巡航宇宙艦をはじめとする大小様々な宇宙船が反発リパルシングフィールドの上で布陣を組んでいる。
 サロウ城の庭園からその威容を見下ろしながら、エンザ=コウ・ラは旗艦へのシャトル・ボートが待つプラットホームに歩を進めて行った。

 彼の予想通り、プラットホームには一つの影が待っていた。

「帝国宇宙軍第八十七機動艦隊……少し大げさではなくて?」
 ユリイラ=リイ・ラはやって来た従兄弟の方をちらとも見ずに言った。
「万全の態勢を整えたまでです。今度は失敗出来ませんので……」

 完全人間ネープが引き起こした、あの百合紀元節リレイケイドの騒乱以来、エンザのユリイラを見る目は変わっていた。
 家長としての彼女に対して感じていた漠然とした畏怖は、今やはっきりとした恐怖に近い感情になっていた。
 ユリイラが〈セバスの門〉を破壊したことで、サロウ城市の下層では相当数の死傷者が出ていた。
 機動衛兵隊が混乱の極にあったとはいえ、ユリイラがラ家秘蔵のステラソードまで持ち出し、あれほどの強硬策に出るとは……しかも彼女は、それを「余興」と呼んでいたのだ。
 さらに、ユリイラは何事もなかったかのように晩餐の席に現れ、百合紀元節リレイケイドを祝う夕餉をたいらげたのだった。

「失敗出来ない? 失敗しようがないでしょう。これだけの戦力なら、〈青砂〉を攻略することだって不可能ではありますまい?」
 振り向いたユリイラの親しげな微笑は、エンザにプレッシャーしかもたらさなかった。
「ご冗談を……艦隊は陛下の亡くなった辺境宙域へ向かいます。そこで、皇位継承の儀のために舞い戻ってくるあの娘を待ち伏せます。ネープどもが〈法典ガラクオド〉に従うなら、そこへ向かうのに二隻以上の船は出さないはずです。戦力の彼我は明白。やつらはどの惑星にも辿り着けません」

 確かに失敗しようのない作戦だが、問題は「〈法典ガラクオド〉に従うなら」という前提が、こちらには当てはまらない点だった。
 〈法典〉は帝国領外の宙域にこんな大艦隊を送ることを認めていないのだ。
 それが許されるのは、銀河皇帝ただ一人だった。
 その事実は当然ユリイラにもわかっている。ユリイラは従兄弟の肩に手を置くと、これ以上ないほど優しい口調で言った。
「あなたの心に、一抹の心配事があるのはわかりますよ。でも、気に病む必要はありません。あとのことは、すべて私にお任せなさい。〈法典ガラクオド〉が帝国そのものであるように、ラ家も帝国そのものなのです。この理を覆せるものは銀河にありません。あなたはただ、任務に邁進なさい。そこに勝利はあります」
 旗艦のエンジンに火が入り、轟音がその言葉を飲み込んでいった。

 * * *

 疾走するスター・コルベットの周りでは、超空間の景色が美しい変化を繰り返している。

 遠藤空里は前方のドーム窓に入り込み、膝を抱えて座ったまま飽くことなくそれを見つめていた。

 振動波浴槽という、コンパクトだが極めて気持ちのいい浴室で身体を洗い、ネープが用意した複製セーラー服に着替えると、惑星〈鏡夢カガム〉での恐ろしい冒険が遥か過去のものに思われた。

「アサト」
 背後に立ったネープが、チューブに入った飲み物を差し出してきた。
「ありがと。ちょうど喉が乾いてたとこ……」
「アサト……私は謝らなければなりません。あなたとの約束を破ってしまいました」
「約束?」
「ずっとあなたのそばにいるという約束です」
 空里はくわえていたチューブの吸い口をはなすと、少年の瞳を見返した。
「どうすれば、償えるでしょうか」
 口調こそいつもと変わらぬ冷静さだが、ネープがこれほど思い詰めたような言葉を発するのは初めて聞いた。

 もちろん空里もその約束は覚えていた。
 むしろ、自分の方がその約束を始終思い出し、ネープとの絆が切れないようにと祈っていたようなものだった。だが、ネープの方でそれをどうとらえているかは、不思議と考えたこともなかった。よもや、そんなにも重大事として思っていようとは……
だが、それが空里の立場というものなのだ。
 銀河皇帝……皇位後継者との約束は、正に重大事に他ならないのだ。
 空里は改めて、自分がネープや他者に何を強いることになるのか、思い知らされた気がした。
 一方で、それゆえの大事な約束だと思って欲しくなかった。
 地位とか権力とか、そんなもの関係なしで守ってほしい約束だった。だからこそ「命令」ではなく「約束」なのだが……これは過ぎた望みなのだろうか……

「約束は……破れてないわ。ネープが自分から離れたわけじゃないでしょう? どうしようもなかったし、それに戻って来てくれたじゃない」
「では、許していただけるのですか?」
「許すも何も……」
「はっきりと言った方がいい。許すのか許さんのかは……な」
 帝国元老ミ=クニ・クアンタが口を挟んだ。
 半ば誘拐されるようにこの船に乗せられていた重力導士グラビスト……だが、飲み物を手に話す姿はまるで自分の家にいるような気楽さだった。
「あんたは、これから無数の決断を下さにゃならん。そういう立場なんだ。どんな決断にしろ、はっきりとさせんことには、下の者たちは困るだけじゃよ」
下の者……
ネープをそんな風に見るのは、なんとも抵抗がある。空里は自分が、望まぬ高みに押し上げられて、その上でふらふらしているような気がした。でも、はっきりさせなきゃいけないのなら、はっきりさせよう。
 銀河皇帝の後継者は、自分でもはっきり感じる冷たい声で応えた。
「許します」
 完全人間の少年は、軽く黙礼してあるじの処断を受け容れた。
 その様子を見ていたクアンタは、笑い声をもらした。
「あんたは素直なタチらしいな。あまり、銀河皇帝には向いとらんかもしれんが……」
 空里は言い返した。
「向いてなくても、なるんです。もう決まったことですから」
「そうだ。〈法典ガラクオド〉に従うなら、その通りだ。ネープたちの判断もそうなのだろう。だが、帝国にはその決まりごとが面白くない連中も少なからずいるのだよ」
「閣下は、〈法典ガラクオド〉に逆らって、アサトの即位を妨害するための実力を行使する公家がいるとお考えですか?」
 ネープの問いに、帝国の元老は声を落とした。
「そうだな……ほとんどの公家は様子見しとるじゃろ。ラ家だけは腹を決めたようだがな。あの姫様はこの子の即位を止めるためなら、わしの命も道連れにすることを厭わなんだ。この覚悟には追随する者も多かろう……」
「レディ……ユリイラでしたっけ?」
 空里が口にした名前に、浴室から出て来たティプトリーも髪を拭きながら反応した。
「怖いひとだったわね。でも、なんとも言えないカリスマがあったわ。遠目にも、大物だとわかるような」
「怖いのはあのマスクのせいだろ。こけおどしで着けてるわけじゃないんだろうけどな」
 航法士席ナビシートからシェンガが話に参加してきた。
 クアンタは言った。
「む……あのお人には色々と伝説的な噂がある。信じられないような話だが、な」
「どんな?」
 空里の問いかけに、一同は耳をすませた。
「彼女は、時空の深淵の彼方から帰って来たひとなのだよ……」

 クアンタの話によると、ラ家は先代皇帝の縁戚にあたる高位の公家であり、ユリイラ=リイ・ラは一族の中でも飛び抜けて利発で、美しい少女だったという。
 しかし、彼女が十一歳の時悲劇が起こった。
 保養のため、家族と共にとある惑星に向かう途中、彼らの宇宙船〈終わりなき円舞曲ロンドノフィネ〉号が超空間で遭難したのだ。

 ユリイラと両親は完全に行方不明となり、あとには寄宿制教育機関にいたため別居中だった五つ違いの弟ゼン=ゼンだけが遺された。
 帝国軍は銀河中の星百合スターリリィにつながる超空間網で、一年に渡る大捜索を行ったものの、船も遺体も発見できないまま捜索を打ち切る。
 ところが、その七年後に驚くべきことが起こった。

 ユリイラたちが出立した惑星〈鏡夢カガム〉の軌道上に浮かぶ星百合スターリリィのすぐ近くで、彼らの宇宙船が発見されたのだ。乗っていたのはユリイラ一人。しかも行方不明の間、何の問題もなく船内で生活していたかのように、成長した姿で現れたのだった。
 一体、どうやって七年の年月を宇宙船の中で生き延びたのか。
 彼女の両親や他の乗員はどこへ行ったのか。
 全てが謎のまま家督を継いだユリイラは、ほとんど魔法ともいうべき天才的手腕で帝国の政治に関わるようになる。
 そのころから着けるようになったマスクの陰で、彼女の素顔も謎となった。

 やがてユリイラは、弟のゼン=ゼンを銀河皇帝とするために先代皇帝や元老院に影響力を発揮し始める。果たして、老齢でもあった皇帝はほどなく崩御し、ユリイラは後継者として弟への指名を得たのだ。

「かくして、銀河帝国はラ家のものとなった。事実、レディ・ユリイラのものとなったと言ってもいい。新皇帝の後ろには常に彼女の影があり、弟は姉の傀儡に過ぎぬと見る向きもあった」
「そんな力があるなら……レディ・ユリイラはどうして自分が皇帝にならなかったの?」
 空里が聞くと、クアンタは肩をすくめた。
「さてな。とにかく、現世に帰って来た彼女はあらゆる意味で超越的、かつ底意の知れぬ人物となった。ある迷信深い者は言ったよ。レディ・ユリイラは星百合スターリリィと契約して己の顔と引き換えに超空間を生き延び、絶大な力を手に入れたのだ……とな」
「ナンセンスです。確かに不思議な事故ではあったが、さまざまな巡り合わせが、たまたま劇的な結果に結びついたに過ぎないでしょう」
 ネープの論評はにべもなかった。
「そうかもしれんな。もし、本当にユリイラが星百合スターリリィと何らかの関係を持ち、そのせいで生き延びたとしたら、彼女はすでに人間ではないだろう」
それ以外の者ダダ……」
 シェンガが呟いた。
「サーレオやレガさんみたいな?」
「そういえば、〈鏡夢カガム〉で重力風を起こしたあの男も、石の手を持っていたな。わしも見るのは初めてだったが、体の一部が石化しているのはそれ以外の者ダダの特徴だ。もしや、ユリイラのマスクの下も……」

 空里は石と化したユリイラの素顔を想像して戦慄し、ドーム窓の外の宇宙に目と意識を逸らした。

つづく

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