銀河皇帝のいない八月 ㉝
8. 歪んだ時空
それは不思議な感覚だった。
クアンタの言う通り、頭の中に流れ込んでくる情報が全て整然とつながり、その意味するところもはっきり見えるのだ。
そう……見える……
論理的に理解するというより、景色として見渡しているという感覚に近い。それは、色が聞こえたり、数値が図形として視覚化されたりする、共感覚の一種に近かった。
そもそも「共感覚」なるものについての知識もなかったが、いま空里には自分でそれがはっきりとわかっていた。
「干渉波マッピング、投影します」
ネープの言葉と同時に、立体的な光のグリッドが空里のカプセルの真上に現れた。グリッドの中央にはスター・サブを示す光点が瞬いている。
要するにこういうことだ。
反時力航法エンジンによって本来断続的に進むはずだった時間遡行が、何らかの原因で連続的に行われ、その影響が時空の連動……時間と空間の摩擦とでもいうべき関係に影響を与え始めたのだ。
さっきまでの不思議な現象も夢ではなく、時空の齟齬が意識に影響を与え、過去にあり得たり、未来にあり得る状況に直面させたもの、と思われた。
だとしたら、あの経験の一つひとつが紛れもない現実……または現実化する可能性のある……あるいはあった出来事なのだ。
多分、艦内の全員が同じような経験をしたに違いない。
皇冠は空里に、ネープたちの技術力をもってしても時空に干渉することがいかに予測不能な事態を招くものかを教えてくれた。
「干渉波が……思いのほか広がっているな……」
クアンタが焦りをにじませた声で言った。
彼の言った通り、干渉波の広がりを示すグリッドは、遠く第三惑星……すなわち地球軌道まで到達していた。
「もう手遅れかも知れないけど……おっしゃる通り、すぐ反時力エンジンを止めた方がいいでしょうね」
空里の声は落ち着き払っていたが、内心自分の言葉に大きく戸惑っていた。
これは、本当に自分がしゃべっていることなのだろうか……皇冠が自分の口を使って話しているのではないだろうか……
「反時力機関停止。亜光速駆動に切り替えます」
ネープが告げ、スター・サブの艦体をガクンと軽いショックが揺らした。
同時に小さなアラーム音が鳴り、ブリッジの中空に赤い文字と図形の組み合わさった立体映像が現れ、目まぐるしく変形したかと思うと、安定して緑色になった。
その意味するところは、空里にもわかった。これは帝国仕様のメタクロノメーター……つまり時計なのだ。今の彼女には、それをはっきり読むことも出来た。
「時間が……遡った?」
船を制御する流体脳は、観測される天体の位置関係から現在時刻を割り出し、艦内の時間をそれに合わせて調節、設定する。それがリセットされたのだ。
時計によると、彼らの艦は木星のスター・ゲートを抜けた時より、二十日以上過去に時間を遡ったことになっていた。
「何ということだ……」
クアンタがうなった。
「ネープ、ここから出して!」
空里の命令で耐重力液が抜かれ、カプセルのカバーが開放された。
ティプトリーは、となりのカプセルから這い出しながら激しく咳き込んでいる。
「ケイトさん、思い切り深呼吸して鼻から一気に出すと楽ですよ」
皇冠は空里に液を早く吐き出すコツも教えてくれていた。
肌着の上にマントを羽織り、空里はネープのもとへ向かった。
「間違いない? 私たち、過去へ来ちゃったの?」
「はい。正確には五百三十二時間四十五秒の時間遡行が記録されています」
「あり得ん……これは……事故なのか?」
計器を確認していたクアンタがネープの方を振り返って言った。
「お前が遡行範囲の設定を変えたのではないか?」
「違います」
クアンタはさらにネープを追求しようとして、思い直したように呟いた。
「いや……そもそも、この艦ははじめからそういうものとして造られた……? わしは、まんまとはめられたのかも……」
「クアンタさん、その話は後にしましょう。まずは現在位置をつかむのが先です」
いつの間にかリーダーシップを取り始めた空里に、航法席のシェンガが声をかけた。
「安心していいと思うぞ。第三惑星は目と鼻の先だ。時間を遡った分、奴らは完全に引き離しただろう」
その言葉を否定するように、突然警報音が鳴り響いた。
「なんだ?!」
驚いたシェンガは、サイズの合わないシートからずり落ちそうになった。
空里は自分で手近のコンソールに駆け寄ると、レーダーの画面を中空に投射した。
皇冠のお陰でこの艦の装備も全て承知だった。
「艦隊だ!」
シェンガは索敵レンジぎりぎりのところに光る光点を指差した。
規模から、間違いなく追手の機動艦隊、その本隊に違いなかった。
「なぜ、こんな近くに……!」
クアンタですらすぐにはつかめない答えに、空里はすぐ思い至った。
「干渉波が……あの艦隊を巻き込んだんです。反時力エンジンを切ったタイミングが悪すぎたのかも……」
流体脳が捕捉した艦隊のブリップを拡大し、予測されるフォルムを与えてはっきりとした像に結んだ。
「ハイタカ級巡航艦……高速駆逐艦……あのでかいのは……デラノドン級宇宙戦艦じゃねえか……」
「二十隻くらいいるんじゃない? 逃げ切れるの?」
ティプトリーが誰にともなく聞いた。
「ネープ、分かる?」
「計算では、あと三十一分で高速駆逐艦の白色光弾砲射程に入ります」
空里は戦慄した。
* * *
「白色光弾砲射程まで、あと約三十分です」
レーダー要員の報告を聞き、エンザ=コウ・ラは興奮気味に身を乗り出した。
「縮めろ! 射程までの時間を一分でも縮めるんだ!」
それは出来過ぎと思える僥倖だった。
原因不明の時空変動に巻き込まれ、艦隊の位置ばかりか現在時刻までもが不確かな状況に陥ったが、事態が安定化した瞬間に、第五惑星分隊が愚かにも取り逃したスター・サブの船影を捉えたのだ。
「閣下、まだ現在位置をはっきりつかめておりません。先ほどまでの異常事態から完全に脱したと確認出来るまで、闇雲な進軍は……」
コルーゴン将軍の諫言を、エンザは手を振って遮った。
「ここがどこか、今がいつかの心配など後でいい! 我が艦隊の標的そのものがそこにいるのだ。その事実さえ間違いなければ、追跡に全力を集中せよ!」
「かしこまりました。直ちに追撃戦に入ります」
「ただし、白色光弾は使用するな。そう、もっと接近して赤色熱弾砲で機関部だけをソフトに撃破するのだ。然るのち、拿捕した敵艦に兵を送り込んで乗員を捕虜にせよ。特に皇位後継者である娘……エンドー・アサトは必ず生かして捕らえるのだ」
コルーゴン将軍は上官の意図をはかりかねて一瞬眉をひそめたが、すぐに命令を部下たちに伝達した。
エンザ=コウ・ラは運命論者ではなかったが、この偶然には何か定めと言えるような何かを感じていた。
皇位継承者との対決によって勝利したものは、その権利を引き継ぐことが出来る……
部下たちに気取られぬようこっそりと〈法典〉を調べ上げてこの事実に行き当たったのは、つい先刻のことである。
皇位が我がものとなれば、あの剣呑な従姉妹を恐れる必要もなくなるのだ。エンザにとって究極の権力の座につくことは、恐怖からの完全な解放を意味していた。
この幸運は、なぜか星百合によってもたらされたものに思えた。が、星百合が仕掛けた罠にも思える……しかし、抗うにはあまりにも魅力的な成果をはらむ罠と言えた。そこに一縷のチャンスがあるのなら、挑戦する価値は十分にあるというものだ。
つづく
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