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星は風にそよぐ(第11回)

6月11日

 いよいよコンサートは今週末。準備の慌ただしさも、ソワソワも、さらに高まってきました。そんな中、私は精霊術師になる1年生のアベルと初めて言葉を交わしました。初めてですよ。
 どうしてこれまで話したことがなかったか。それは、アベルがほとんど話さない子だからです。アベルは、いつもぼんやり何かを眺めています。空だとか、草の中の虫、とかげ、イモリなんかを眺めてるんです。集中して眺めてるっていう感じではなくて、ぼんやり。だけど、話しかけても聞こえていないのか、何の反応もありません。ミリエル先生に相談したら、
「アベルなら、そっとしておいて大丈夫」
と笑顔で言われたので、そっとしておくのが一番なんだと、それから話しかけなくなっていたんです。
 アベルを見ていると、いつも私は「フレデリック」という絵本を思い出します。先生、知ってますか、野ねずみフレデリックのお話。冬が近くなって、仲間たちが住処にトウモロコシや木の実や小麦を集めているさなか、フレデリックはぼんやりしたり、牧場を見つめていたり、目をつむっていたりするんですね。冬が来て、始めはたくさんあった食べものも乏しくなり、仲間たちが凍えそうになっていると、フレデリックは自作の詩を披露して、みんなの気持ちを温めます。みんなが食べものを集めている間、フレデリックは、お日さまの光や色や言葉を集めていたんですね。そのフレデリックの眠そうな顔が、アベルにそっくりなんですよ。アベルもきっと集めているんですね、自分の中に、言葉を。
 そのアベルが、今日の精霊術クラスのあと、ニコニコして私にこう言ったんです。
「『彼方の光』って、いい歌だねえ」
今までずっと心の中で歌詞をじっくり味わってきて、そして今日、「いい歌だ」って心から実感した、そんな感じでした。私はアベルに話しかけてもらえて、本当にうれしかったです。私の存在に気づいていてくれたんだ、って安心しました。

6月12日

 今、この学校には、精霊術師になる子が3人います。ミアとアベルともうひとり。4年生のジャンです。昨日、先生にアベルを紹介したので、ジャンのことも先生に紹介してあげないとなんだかかわいそうに思えてきて、今日はジャンのことを書きます。
 実は、ジャンはアベルと違って、最初から私に興味津々でした。私によく話し掛けてくれるんですよ。ジャンはイシアスの伝統的な武術、空手に心酔しています。それで、私にどんどん質問してくるんです。でも私は空手のことを全然知らなくて、何にも答えられない。対戦ゲームでしか見たことがないんですから。イシアスで今でも空手を習っている人なんて、いるんでしょうか。私はジャンと目が合うと、なんだか後ろめたくて、目を逸らしちゃうんです。私はイシアス人なんだからイシアスのことももっと勉強しなきゃ、空手のことも調べておこう、そう思いながら、そのままになっているから。
 そんなジャンですが、歌がとっても上手です。

6月13日

 今日は、精霊術のクラスにアンリとロランが来てくれて、音楽室でリハーサルをしました。先生、私はロータシアに来られて、先生に精霊術を習えて、そしてベリーヒルズのこの学校に来られて、本当に幸せだと改めて思い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして、それと同時にいろんな感情が溢れてきて、リハーサルが始まってからずっと、涙が止まりませんでした。歌の力。声の力。詩の力。旋律、リズム、ハーモニーの力。人の心の奥深くに届く響き。私は音楽のことを何も知りませんけれど、神話の神々にも愛されたその原初的な力に、私のたましいが反応したんだと思います。
 最後の曲「彼方の光」で、おととい、アベルがニコニコして「いい歌だねえ」と言ったのを思い出して、私はアベルを見ました。眠そうな目ではありましたが、とても真剣に歌っていました。あんなアベルを見たのは初めてです。

6月14日

 今日、私が何を書くか、先生はとても気になっているのでしょう?
 本当は、日記をお休みしようかと思ったんですよ。明日は大切なコンサートだし、何より、心が散らかっていて、何を書いたらいいのかわからなかったからです。だけど、心が散らかったまま当日を迎えるのも嫌でした。それに、ベッドに入っても全然眠れません。だから、日記を書いて、なんとか心の中を整理しておこうと思います。

 今朝、私は自分の場所に座って、耳を澄ませていました。いつものように、川岸にある大岩に背中を預けて、流れる川面を見つめていました。その時、声が聞こえました。
「君の心の底にある望みを知っているよ」
顔を上げたとき、目の前に立っていたその人を、私は一瞬、兄かと思いました。でも、全然違いました。ただ、背の高さとまなざしが似ている気がしただけです。
「戻る前にセシルのところへ寄ってほしい、って先生に言われたんだ」
とロビンは言いました。
「僕が戻ることに決めた話を君が聞きたがっていたからって。そして、先生の代わりにコンサートを聴いてくるようにって」
ロビンにそう言われて、私はとっさに、こう答えてしまいました。
「その話は、もう、全然聞きたくありません」
ロビンは、最初に言ったことを繰り返しました。
「君の心の底にある望みを僕は知っているよ」
それを聞くと私は、あんなに会いたいと思っていたロビンに対してなんだか腹が立ってきて、こう言いました。
「突然やって来て、他人の心の底を覗くなんて、ずいぶん失礼じゃないですか。あなたが戻ると決めた話を聞かせて、私をイシアスに帰らせようっていうんですか。それが私の使命だから」
ロビンは言いました。
「使命なんて言ってない。心の底にある望み、って言ってるんだ」
「私はイシアスに帰りたくない」
そう言いながら、私の目から涙がこぼれ落ちました。
「私はここにいたい。みんなと別れたくない。美味しいものをもっともっと食べたい。これから文学の本だって読むつもりなんですから」
涙は次から次へと溢れてきます。ロビンが私の頭にやさしく手を置いて言いました。
「わかるよ。そうだろうね。でも、それとはまったく正反対の願いが心の底にあったって、おかしくないだろう? 人間ってそういうものじゃない? 君は、お母さんの目を覚まさせてあげたい、ずっとそう思っているよね? 使命なんかじゃない。君の願いだ」
それを聞くと私は、声を上げて泣き出してしまいました。本当にそれは私の願いだったからです。
「僕もね、ステファニー先生が好きだから戻ってきた。ステファニー先生は僕を育ててくれた、僕にとってはお母さんみたいな人だ。使命だから戻ったんじゃない。ステファニー先生みたいな精霊術師になりたい、って心の底から思ったから帰ってきたんだよ」
私は泣きながら言いました。
「ロビンはいいですよ。ロータシアに帰ってきたら、また美味しいものをたくさん食べられて、ロータシアのやさしい人たちに囲まれて、こんな幸せな暮らしができるんだもの。本だって好きなだけ手に取って読める。私なんて、イシアスに帰ったら、もう美味しいもの、食べられなくなっちゃうんですよ」
そしたら、ロビンがこう言ったんです。
「僕はイシアスでなかなか美味しいものを食べてきたよ」
 そして、ロビンは、自分がしてきた旅の話をしてくれました。
「君たちみたいにフライングカーがあったらよかったけど、ロータシアにはないからね。船旅は時間がかかった」
ロビンは、船が寄港するいろいろな国々を見て周りながら、イシアスへ船で渡ったそうです。船では、航海中の気象をコントロールする仕事をしたんですって。とても重宝されたと得意げでしたよ。
「僕がイシアスへ行ったのは、目的があったから。森の人に会うっていう目的だよ。セシルはもちろん、知ってるよね、森の人」
とロビンが言いました。イシアスの深い森の中に、仙人のように生きている「森の人」と呼ばれる人たちがいることは、私も知っていました。
「僕はね、森の人と2年間暮らして、いろんなことを学んできた。君と交換留学したようなものだね。森の人は、イシアスの精霊術師だ。でも、彼らは精霊の力を借りるんじゃない。精霊と一体になる。風そのもの、水そのもの、火そのもの、土そのものになれるんだ。僕も風になる技術を習得したから、帰りは船になんか乗らず、スイーっとここまで来れたよ。まあ、船旅には船旅の良さがあるけどね。ステファニー先生だって、風になれるんだよ。僕が弟子入りする前に、先生はイシアスへ行って、森の人から教わったんだって。先生はね、3か月で習得したらしい。あの人はすごいから。僕は先生からその話を聞いたことがあったから、あの洪水のあと、イシアスに行こうと思ったんだ」
ロビンがここまで話したところで、私は一番知りたかったことを訊きました。
「美味しいものを食べたって言ってたけど、何を食べたの?」
それを聞くと、ロビンは楽しそうに声を立てて笑いました。ああ、この笑い方なんだ、と思いました。クロード先生がロビンを「名前の通りコマドリみたいに明るくて朗らかな青年」って言っていたのを、その笑い声を聞いて思い出しました。ロビンは言いました。
「森の人だって、霞を食べて生きてるわけじゃない。猪や鹿を狩ったり、木の実やきのこや山菜を採ったり、それにね、なんと鶏も飼っているんだよ」
「私、そんな原始人みたいな生活、できません」
私はまた泣き出してしまいました。
「居住区に住んでいないと、ベーシックインカムももらえないし、社会保障もなくなっちゃうんですよ。世間からは『神聖な森に入る自分勝手な自然破壊者』って攻撃されるし」
私が鼻水をグスグス言わせているので、ロビンは背負っていたリュックからハンカチを取り出して、私に貸してくれました。
「でも、森の人たちは何て言われようと気にしてないし、不自由もしていないみたいだったよ。君は先生から、森で生きる術(すべ)を学んだろう? 精霊術も使えるようになったんだし、きっとすぐに溶け込めるよ」
「ちょっと、どうして帰る前提で話してるんですか? やっぱり帰らせようとしてる。先生から頼まれたんですか? 先生のレディにそう書いてあるから」
ロビンはこう答えました。
「レディに書いてあることが、全部意味のあることだなんて、誤解しちゃいけないよ。すべてに意味を持たせるためには、作者である神が、すべての人のレディの行間に書かれてる蝶の翅(はね)の動きくらい微細な伏線も、すべて把握して回収しなきゃならない。そんなこと、神にだって無理だ。だからレディに書いてあることは、もちろん意味のあることだってあるけど、多くは意味のない、神さまの気まぐれなのさ。ただね、レディが良く生きるためのガイドになり得ることは確かだよ。でも、僕は君の仲間だ。ロータスだけど、道しるべなしで生きてる。自分の心の底にある願いに従って生きてるんだ」
仲間なんて言われたから、ロータシアで感じ始めていた私のさみしさを理解してくれる人がいるんだ、ってうれしくなりました。それで、頑なになっていた私の心は解けていきました。
「そう。ロビンの言う通り、私はお母さんを現実世界に戻してあげたいと、本当に思ってる。でも無理。無理なんです」
すると、ロビンが言いました。
「君はひとりじゃない。森の人のところへ行ってごらん。そして、森の人に手伝ってもらって、君のお兄さんのように苦しんでいる人たちの居場所になれる、もうひとつのロータシアをイシアスの中に作ったらどう? 君が大好きなロータシアをさ。お兄さんが行ってみたいと願ったロータシアをね。君のお母さんは、その仕事をしたがると思う。その仕事なら、きっと目を覚ましてやってみようと思うはずだ。昔、ガンジーっていう人が言ったらしいよ。『Be the change that you wish to see in the world.』ってね」
変化になれ。あなたが世界で見てみたいと望む変化になれ。そんなこと簡単に言わないで、って思いました。変化になるって、大変なことですよね。だから、私はロビンに言いました。
「兄はとっても優しい人でした。自分の死が家族をどんなに苦しめるかを考えたら、死ねるような人じゃなかった。衝動だったんだと思います。抑えられない激しい衝動。その瞬間を乗り越えれば、兄はきっと生きた。境界を越えてしまってから、彼は後悔したはずです。私たちのことを想って。でも境界を越えてしまったから、もう戻れなかった。だけど、たとえ兄がその衝動を乗り越えたとしても、彼のような感性の人が『生きていて良かった』と思えるような世界じゃない。だから、本当に思うんです。兄が夢見たロータシアをイシアスに作れたらどんなにいいだろうって。兄と同じ苦しみを抱えている人が、星の瞬かない真空のような世界で窒息しそうになっている人たちが、イシアスにきっとたくさんいるんだもの。でも無理です。私にはできない。イシアスのあの深い森で暮らすなんて、それだけでもう無理です」
すると、ロビンはこう言いました。
「森の人って、君が思ってるほど原始的な暮らしをしてるわけじゃないよ。彼らにも歴史がある。イシアスの人々が里山を放棄したとき、そこに残った数少ない人々だ。それはちょうど、ロータシアが進歩をやめたのと同じ時代だ。彼らはその時代までの技術や知識は受け継いでいる。だから、彼らはロータシアの人々によく似ているんだ。ただ、彼らが従うのはレディじゃなくて、自然だけどね。森の人は、自然を見て、自然から受け取り、自然の流れに従って生きている」

 そのとき、私の帰りが遅いので、クロード先生が心配して迎えに来てくれました。クロード先生はロビンを見てとても驚きました。
 「来るならひとこと、メッセージを送ってくれたらよかったのに」
本当にそうです。私もそう思います。
 今日は、ロビンのせいで、朝食を食べずに学校へ行かなければいけませんでした。クロード先生が、一緒に登校して学校を見学してはどうかとロビンを誘いましたが、ロビンは
「ずっと旅してきて疲れているので、室内で休ませてもらえるとありがたいです」
と答えました。それを聞いて、私はほっとしました。ロビンの顔を見ていたら、また心が乱れて、学校で泣き出してしまいかねなかったからです。

 モニカは仕事の帰り、ロビンのためにお総菜屋さんでオードブルをたくさん買い込んできました。メインはタラとパプリカのロティ。お手伝いしながら見ていたら、モニカはフライパンで焼いてタラにオリーブオイルとにんにくの香りをつけてから、赤と黄色のパプリカと一緒にもう一度オーブンで焼いていました。
 ロビンはとってもよく食べ、笑い、話しました。そして食事の最後に
「ああ本当に美味しかった。やっぱりロータシアの料理は最高ですね」
と言いました。そうですとも。そうなんですよ。人の気も知らないで、って思いました。

 心の中を整理するために日記を書いたけれど、結局、心は散らかったまま。こんな気持ちでコンサートを迎えたくなかったです。ロビンは今頃、ゲストルームでスヤスヤ眠っているのでしょう。安らかな寝顔が目に浮かびます。なんだか恨めしいです。



 

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